18. ガスパール — 思い出されたら、終わりだ
「シニョーラ、コーヒーを。」
エンツォはゆっくりとカップを執務机の上に置いた。
「ありがとう、エンツォ。」
ロザリアは書類から目を上げることなく礼を言った。
ロザリアは武器庫と金庫を確認してから、仕事に取りかかった。
この家でも書斎は二階にあったが、ここの部屋の書棚は本ではなく、すべてが分厚いファイルで埋め尽くされていた。
ロザリアはこの仕事に本気で向き合い始めていた。
今日ここへ来た理由は、ただの確認ではない。書類を精査し、じっくりと目を通すためだった。
彼女は何時間も席を立たず、資料を読み込み、細かくメモを取っていた。
ファイルには、バルディーニ家が所有するカジノや資金洗浄の拠点、その他の施設に関する詳細な情報が隅々まで記されていた。
主要な施設の責任者に関する書類は、すでにすべて確認し終えていた。
ロザリアが一冊読み終えるたびに、エンツォが次のファイルを運んでくる。
「エンツォ、何か問題でも?」
ロザリアは顔を上げ、問いただすような視線を向けた。
エンツォは部屋に入るたび、数秒間立ち止まり、注意深く私を見つめていた。
「どこかで会った気がするんだが……思い出せない。」
彼は私から視線を外さないまま、手にしていたファイルをロザリアの前に置いた。
「仕事に集中して。」
ロザリアは再び書類へと目を落とした。
見覚えのあるはずの私の顔が、エンツォの中で引っかかっている。
彼が思い出そうとするたびに、私の胸も落ち着かなくなる。
全身に冷たい汗がにじんでいた。
(思い出されたら……何かでごまかさないと。考えろ、ガスパル。もし気づかれたら、筋の通る嘘を用意しなければならない。)
私は左手で額をかきながら、黙って座っていた。
「ガスパル、大丈夫?」
ロザリアが私を見る。
額を伝う冷たい汗に、彼女は気づいていた。
すぐに平静を装わなければならない。エンツォが思い出す前に、自分から正体をさらしてしまうわけにはいかない。
「大丈夫です。」
私は手を下ろし、視線を逸らした。
ロザリアは施設と責任者の書類をすべて確認し終えていた。
次は「ブラックリスト」だ。このリストもファイルの中にある。バルディーニ家のカジノへの出入りを禁じられた人物たちの情報と写真が収められている。
「シニョーラ、“分厚いファイル”もご覧になりますか?」
エンツォが再び部屋に入ってきた。
“分厚いファイル”は他とは違う。特別な資料だった。
イタリアには、バルディーニ家のほかに、さらに八つの強力なマフィアの家系が存在している。その詳細な情報が、そこにまとめられていた。
「いいえ。今日はここまでにしましょう。」
ロザリアは目の前のファイルを閉じ、立ち上がった。
ルカ・バルディーニは一つのシステムを築き上げていた。
若きボスは、マフィアの世界をまるで組織化された企業のように統治していた。
ロザリアもまた、その体制を守るために力を尽くしている。
ルカ・バルディーニが支配していたこの世界は、血と死に満ちていた。
彼らには多くの子どもがいる。だが、ルカもロザリアも、この世界から手を引こうとはしなかった。
子どもたちに残したいのは、ただの莫大な財産ではない。“力”そのものだった。
ロザリアは何時間も書斎にこもり、資料を読み、記録を残した。
しかし一日はまだ終わらない。
「最後に“薬局”にも寄りましょう。」
ロザリアはハンドルを握り、エンジンをかけた。
“薬局”とは、隠れたカジノのことだ。
ここ最近、その店の責任者が規則を破っているとの報告が入っていた。営業していないはずの日に、ブラックリストに載っている客を中へ通しているという。
ロザリアはこれまで数回、その違反を見逃してきた。
今日は“薬局”の定休日。
だが今回は、密かな視察ではない。
ロザリアはそのカジノへ――踏み込むために向かった。




