9話
「……っ」
意識が泥の中から浮上するような感覚と共に、俺はゆっくりと目を開けた。 視界に映ったのは、心配そうに俺を覗き込む数多の顔、顔、顔。
「テオドール様!!」
俺の覚醒にいち早く気づいたコレットが、たまらずといった様子で飛びついてきた。 肺から空気が押し出され、うめき声が漏れる。
「ぐっ……コレット、苦しい……。俺は、いったい……」
「良かったです……! 本当に、もう目覚めないかと……!」
涙目で俺の服を握りしめるコレットを、セシルが「安静が必要ですよ」とたしなめながら引き剥がす。 身を起こして周囲を見渡すと、そこは先ほどまでの薄暗い祭殿ではなく、最初 通された教会の広間だった。 護衛のラウルたち三人も、安堵の表情を浮かべて控えている。
「気がつかれましたか、テオドール王子」
重々しい声と共に、ゴーティエ司教が歩み寄ってきた。その表情は、どこか畏敬の念を含んでいるように見える。
「司教……。俺は祈祷の最中に気を失ったのか?」
「左様です。王子が神玉に触れ、祈祷が佳境に入った瞬間……神玉が強烈な光を放ち、王子は糸が切れたように倒れられたのです」
「光、か……」
やはり、あれは夢ではなかった。 無限に続く回廊、圧倒的な威圧感を放つ武神ベルガトスとの対話。
「王子……気を失っている間、何かを見ませんでしたか? あるいは、誰かの声を」
司教の鋭い眼光が俺を射抜く。 周囲の空気が張り詰めたのが分かった。コレットや護衛たちが息を呑む。
「……その口ぶりだと、司教も経験があるようだな」
「……ええ。かつて一度だけ、武神様と邂逅した経験がございます」
司教の言葉に周囲からどよめきが起こる。この世界でも、 神との交信はおとぎ話の中だけの出来事らしい。
俺は少し考え、言葉を選ぶ。 信仰心の薄さを糾弾されたなどと聖職者に話すわけにはいかない。
「……ああ。夢か現かは定かではないが、光の中で声を聞いた」
「……武神様は何と?」
司教が身を乗り出す。
「俺の志……蛮族討伐への覚悟を問われた。そして、これからの鍛錬を約束に、帰依を認めると」
『不信の若人』とか『魂を握っている』といった物騒な発言は、オブラートに包んで伏せておく。 あくまで「志を評価された」という体裁だ。
「……おお……」
司教が震える声で感嘆を漏らす一方で、ラウルたち護衛やコレットは呆然としている。
「信じられん……」 「まさか、王子がそこまで武神様に……」
ジュリアンとレオポルドが小声で囁き合う。
「静粛に」
司教が手で制し、静かに語り始めた。
「武神教において、肉体と精神の練達を認められた信徒は、武神様よりその『証』を頂くのです」
そう言って、司教は右腕の僧衣の袖をまくり上げた。 露わになった太い腕には、刺々しい円形の紋様が火傷の痕のように黒く焼き付いていた。
「これは……」
「武神教のシンボルです。選ばれし者の肉体にのみ刻まれる聖痕。……王子、貴方の腕も確認させていただけますか」
言われて、俺は自分の右腕を見る。 まだジンジンと痺れるような熱さが残っていた。 恐る恐る袖をまくり上げると――。
「――っ!?」
そこには、司教の腕にあるものと同じ紋様がくっきりと刻まれていた。
「なっ……!?」 「同じ……紋様……?」
コレットが口元を押さえ、セシルが眼鏡の奥で目を見開く。
司教はその場に膝をついた。
「……異例中の異例です。拝礼の経験すらない若者が武神様に認められ、あまつさえ司教になる資格すら得るとは……」
「司教になる資格、だと?」
「はい。この聖痕は、王子が単に帰依しただけでなく、武神教を体現する聖職者の一人として認められたことを意味します」
広間に沈黙が落ちる。 俺は自分の腕に刻まれた焼き印を見つめながら、その意味を噛み締めていた。
(……上出来だ。武神教を楔として、南軍に取り入る計画においては)
ただの信徒になるつもりだったが、まさか司教候補になってしまうとは。
(これで武神教の教義をあからさまに反故することは難しくなったな。他の宗教と融和的に接することも困難になるだろう)
これはこれで頭を悩ます問題が増えてしまった。だがまずは、目の前の目的を果たすことに集中しなければ。
「……そうか。武神様の期待、裏切るわけにはいかないな」
俺は静かに袖を下ろし、神妙な顔を作って司教を見据える。
「ゴーティエ司教。この聖痕に恥じぬよう、精進することを誓おう。成人の儀を終えた後、この教会で本格的な修練を付けてもらいたい。……それも、短期集中で頼む」
司教はわずかに困惑の表情を見せたが、すぐに頷いた。
「……武神教の格闘術、そして教義の理解。この二つは最低限の責務です。短期で終わるかは王子次第ですが……その後のことも含め、準備を進めておきましょう」
「恩に着る。成人の儀の結果次第で方針も固まるだろう。また連絡する」
「承知いたしました。……くれぐれも、武神様に泥を塗る行いは慎んでいただけますよう。聖痕持ちを破門にするなど、想像しただけで私の胃が保ちませぬゆえ」
気づけば外は夕闇に包まれていた。俺たちは迎えの馬車に乗り、帰路に就く。
道中、コレットの慌てふためいた質問攻めにのらりくらりと答え、セシルの疑り深い視線を適当に受け流す。一方で、護衛の三人組からは敬意の色が混じり始めているように感じた。
(教会訪問は思いもよらない展開になったが、結果として最高の『証』を手に入れたな)
この聖痕を最大限に利用し、来たる成人の儀で俺の望み――南軍司令官のポストを、確実に掴み取ってやる。
お世話になっております。Tastyです。
ここまでご覧いただきどうも有り難う御座います。
やっとここまできました。次でようやく王家と対面できる予定です。できるだけテンポよく進めていきたいものです。
それでは、また次話でお会いできますことを楽しみにしております。
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登場人物紹介
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【主人公】
八雲 蓮 (20歳)
難病を患う妹・凛を救うため、クリア報酬「願いを叶える」を求めてストラテジーゲーム『ヴィクターナ戦記』の世界へ転生した。
テオドール・アストレウス (15歳)
アストリア王の側室の子で、放蕩王子と呼ばれていた不良少年。熱病によって死を迎えたが、蓮の精神が転生することで蘇生した。身体強化魔法の才を持つ。
【テオドールと行動を共にする人物】
コレット・フィディア (35歳)
テオドールの専属侍女。テオドールの母ロザリーが出産と同時に死去した後、宮廷内で孤立するテオドールを幼少期から支えてきた。
セシル・グラティア (25歳)
王宮所属の女性癒術師。他の宮廷癒術師が匙を投げた結果、異例の若さで王子であるテオドールの治療を担当することに。
ラウル・ベラトル (42歳)
南軍で蛮族相手に武勲を上げたベテラン兵。王宮近衛に栄転したが、上級貴族の子息中心の近衛隊では浮いてしまっている。
ジュリアン・ルクスリウス (28歳)
成金商家の四男で、父親の意向で王宮近衛に押し込まれた。飄々としていて軽薄な印象を与えるが、近衛兵の選抜試験を通過するだけの実力は持っている。ラウルと同じく、上級貴族の子息中心の近衛隊では浮いた存在。
レオポルド・マイオルム (22歳)
没落貴族の跡継ぎ。実家を経済的に支援するため、給金の多い王宮近衛に入隊した。金目当てというものの、実力で選抜試験を通過している。ラウルと同じく、上級貴族の子息中心の近衛隊では浮いた存在。
【アストリア王国の住人】
ゴーティエ・リギドゥス (56歳)
王都の外れに建つ武神教会の司教。身体強化魔法に精通する。
【アストリア王宮の面々】
ルイ・アストレウス (55歳)
アストリアの現国王。優柔不断かつ臆病。北の大国エクイタニアの意を汲む王妃や宰相の傀儡と化している。
イザベラ・アストレウス (40歳)
アストリアの現王妃で継室。大国エクイタニアの有力貴族オプシディウス家の長女。権力欲が強く、実子リシャールの王位継承に固執している。
リシャール・アストレウス (18歳)
イザベラの第一子でアストリアの皇太子。エクイタニアに派遣されている北軍の元帥の任に着く。尊大かつ傲慢で、庶民からの受けは悪い。
マルグリット・アストレウス (16歳)
イザベラの第二子で長女。母に似て高飛車だが小心者。
ルドルフ・アストレウス(14歳)
イザベラの第三子で次男。内向的で、自室に籠りがちと噂されている。
ジュール・ドロス (46歳)
宰相であり北方の大貴族ドロス家当主。親エクイタニア派の貴族筆頭で、王妃と結託してアストリアの属国化を推進していると目される。
リュシアン・ヴェリタス (58歳)
王宮図書館の館長。北部の大貴族の三男で現国王の学友だった。政争からは身を引いているが、アストリアの行く末を案じている。
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セントゥリア大陸地図




