4話 図書館の賢者
病み上がりの体でふらつく俺を、コレットが肩を貸すようにして懸命に支えながら城内を進んだ。
「テオドール様! ですからお部屋でお休みになってと申し上げたのに……! 危ないですから、しっかり私に寄りかかってください!」
「悪い、助かる……だが時間が惜しいんだ。それより次の突き当たりはどっちに曲がればいい?」
「右です、右!」
すれ違う文官や騎士たちが、あからさまな囁き声を交わしていた。
「テオドール殿下じゃないか? 死にかけていたはずでは……」
「またふらついておられる。関わるな、厄介事に巻き込まれるぞ」
驚愕と侮蔑の視線が突き刺さったが、今の俺に彼らの相手をしている暇はなかった。
やがて、城の北端にある人通りの途絶えた場所に辿り着いた。ひっそりとたたずむ王宮図書館の大扉を見上げ、コレットが不安げに口を開いた。
「殿下、人の気配がありません……お休みなのでは?」
「ノックは……反応無しか。仕方ない、開けるぞ」
力を込めて大扉を引き開けると、古書特有の、少し湿り気を帯びたかび臭い匂いが鼻を突いた。
「どちら様かな……おや、小役人以外のお客とは珍しい」
「俺はテオドール・アストレウス。悪名はここまで轟いているのだろうか」
俺の言葉に、初老の男は眼鏡の奥の目をわずかに見開き――次いで、面白がるように細めた。
「これはこれは……熱病に侵されていると噂されていましたが、無事回復されたのですか。それは何より。……申し遅れましたが、私はここ王宮図書館の館長であり唯一の司書、リュシアン・ヴェリタスと申します」
リュシアンは立ち上がり、恭しく一礼した。
「私は侍女のコレット・フィディアと申します、ヴェリタス様」
コレットも丁寧に礼を返した。
(ヴェリタスという姓には聞き覚えがあるが……今は彼の素性よりも、情報を引き出す方が先決だ)
「館長、単刀直入に言おう。アストリアの内情と周辺国の国際情勢を把握したい。まずは最新の国境線が記された世界地図を見せてくれないか」
ピタリ、と。リュシアンの所作が止まった。
先程までの面白がるような気配は消え失せ、眼鏡の奥の瞳が、俺という人間を改めて値踏みするように鋭く射抜いてきた。
「失礼……噂の放蕩王子が、まるで外務官のようなことを口にされるもので、つい。……少々お待ちを」
リュシアンは書架の隙間へと消え、すぐに一本の古い巻物を携えて戻ってきた。彼がそれを巨大なテーブルの上に広げると、乾いた羊皮紙の擦れる音が響く。
「この地図は十年前のものですが、私の知る限り、主要な国境線に変化はありません」
世界地図には『セントゥリア大陸』と記されていた。
アストリア王国は大陸中央南部に位置する小国の一つだった。
(北に接する大国エクイタニア共和国と、南の蛮族領域に挟まれ、文字通り身動きが取れない情勢にある。東西には同規模の小国があるが、とてもじゃないがこちらから侵略する余裕などないだろう)
「館長、確認だが、他の大陸の存在は確認されていないな? 東の洋上に浮かぶ大きな島についての情報は?」
「ご存知のように、外海には極めて凶暴な海洋モンスターが跋扈しております。ゆえに、他の大陸の存在など知る由もありません。東の島についても、未だ人類が上陸できたという記録はないはずです」
(やはりか。ゲームと同じであれば、序盤は海を渡ることができず、高速艇や対海獣船が開発されてようやく大陸間の移動ができるようになるのだ)
「そうか、そこは想像通りだな。この地図に記された三箇所の蛮族領域はどういう状態なんだ?」
「……本当に王宮で学ばれたのですかな? これらの領域は完全に蛮族の勢力圏で、人間が容易に足を踏み入れられる場所ではありません。北東の方はセヴェリグラード帝国が武力でせっせと開拓しているようですが、南部と南東部は手つかず。むしろ、我々アストリアが接する南部蛮族領域は少しずつ拡大しています」
「……つまり、アストリアの国境が後退しているということか。迫ってきている蛮族の種類はわかっているのか?」
「ゴブリンとオーガによる越境と襲撃が頻発しているようですな。古い記録になりますが、ハーピィとリザードマンに遭遇したという報告もあります」
(『蛮族』は知能が低く人類に敵対的な種族の総称で、初期の空白地帯を埋める存在だった。ゲームと同じ設定であれば、舵取りを誤らなければ脅威ではないはずだが……)
「南部戦線はどうなっているんだ。このままでは国民が危険だろう」
「国防省は認めないでしょうが、南方の防衛体制は劣化の一途を辿っていると考えられます。現在、北方のセヴェリグラードとエクイタニアの国境摩擦が拡大しており、アストリアを含む南方の四小国は、北への援軍の徴用を実質的に強制されております。皇太子殿下にいたってはその将軍の任に就いておられる」
「……事実上の属国扱いをされているわけか。父王はこの惨状を良しとしているのか?」
「国王陛下のお考えを推し量るのは不遜ではありますが、親エクイタニアである王妃殿下と宰相殿に遮られ、南方の悲鳴は陛下の耳には届いていないのでしょう。私はこれら『王妃派』の目的は、アストリアの完全な属国化にあると睨んでいますがね」
(王宮図書館の一館長にしては、随分と大胆な物言いだ。憲兵の耳に入れば不敬罪で捕まりかねない)
「失礼だが館長、随分な物言いだな。貴殿はいったい何者なんだ?」
「テオドール様……っ! 滅多なことを仰らないでください!」
隣でコレットが顔を青ざめさせ、慌てて俺の口を押さえに来たが、既に遅かった。
「私ですか? なるほど……放蕩王子の異名は伊達ではなかったようですな。ヴェリタス家は北方の大貴族の一つ。私はその現当主の弟にあたります。若い頃は、国王陛下と勉学を共にしたこともありました」
館長――リュシアンは、懐かしそうな、どこか穏やかな笑顔を見せた。
「これは失礼した、ヴェリタス卿。……それほどの御仁が、なぜこのような寂れた図書館の館長に収まっているんだ?」
「テオドール様! いい加減にしてください、あまりに失礼です!」
今度はコレットに物理的に引きずられそうになった。だが、リュシアンは愉快そうに笑って首を振った。
「当主でもないので『卿』はやめてください。館長で結構ですよ。私は政争に明け暮れる政界に愛想を尽かしましてね。若かりし頃の思い出が詰まったこの場所を離れられず、こうして館長に収まったというわけです」
「そうか……ならば、博識であろう館長に意見を伺いたい。このまま南方を放置していて、本当に良いのだろうか」
「無論、良いはずがありません。北方の紛争が終結すれば援軍を南方に回せますが、その機運は乏しい。蛮族による被害が拡大し続ければ、いずれ王妃派とて対応せざるを得なくなるでしょうが……問題は、どれほどの犠牲が出れば彼らが本腰を上げるか、という点ですな」
(ただでさえ弱小国家だというのに、大国への忠誠のために自国の防衛を疎かにするなど愚の骨頂だろう)
リュシアンの言葉の重みを反芻し、俺は地図を睨みつけた。
(アストリアの国力がこれ以上低下すれば、俺がこの国を掌握したとしても、その後の『世界統一』など夢のまた夢になる……)
脳内で、現在の戦力と打つべき手立てを猛烈な勢いでシミュレートしていく。
(国権奪取への布石を打ちつつ、南方蛮族の被害を食い止める。そのための『手立て』を考えなければならないな……)
◇
それから俺は夜遅くまで、館長が音を上げるほど議論を交わし続けた。最後は半ば強制的に、コレットに自室へと引きずり戻された。
ベッドに横たわった途端、抗いようのない強烈な睡魔が襲ってきた。視界がぐにゃりと歪み、手足の先から感覚が消失していく。
(……くそ、限界か……)
泥のような疲労感が、無理を重ねた全身の筋肉を重く押さえつける。
(転生直後の死にかけた病体で、無理しすぎたな……)
コレットに、明朝に起こすよう告げた瞬間、糸が切れたように意識が遠のく。
(南部を救って名声を上げ……国権を手に入れてやる……)
最後の決意を重い意識の底に刻み、俺は深い闇へと沈んでいった。




