31話 希望の突撃
「斥候の報告通り、2キロ先にゴブリンの大群を確認したぞ。ゆっくりとネモリスに向かってる……それと、遠目に椅子に担がれた奴が見えた。あれが親玉だろうな」
索敵に出ていたエリナが報告に戻ってきた。
彼女はまるで忍者のように、音もなく木々を飛び回る。
(夜間行軍において、これほど頼もしい偵察兵はいないな)
「ご苦労、エリナ。その親玉をゴブリン・シャーマンと推定し、背後に回り込むとしよう。エリナはまた先行して、奴らの動きを探ってもらえるか?」
斬首作戦の目的は、敵の頭領――炎魔法を扱うと思われるゴブリン・シャーマンの排除だ。まずは群れの背後に潜伏し、シャーマンの防備が薄くなる瞬間を待つ。たとえ、ネモリスに被害が出ようとも。
「ウチに任せときな。せいぜいずっこけて物音を立てないよう、足元には気をつけろよ!」
俺はつい、口元を緩ませた。
(プレッシャーのかかるこの状況で、エリナがいつも通りで助かるな)
「あの子は相変わらずですねぇ」
隣を歩くジュリアンがこぼす。彼には強化弓を担いだ弓兵隊の指揮を任せている。
「いつも通りなのが、今は有難いじゃないか。ジュリアンこそ緊張していないのか? 想定通りゴブリン・シャーマンが炎魔法を扱う場合、弓兵隊の役割が何よりも重要になるんだからな」
「……全く、嫌な役回りですよ。責任重大じゃないですか!」
ウィンクして見せるジュリアン。結局、この飄々とした態度は、王都で会った時から何も変わっていない。
「頼むぞ? お前たちがシャーマンに圧をかけてくれないと、この作戦は成り立たない。まあ、初撃で撃ち抜いてくれれば楽に済むんだが」
「任せろと言いたいところですがね、大群に囲まれた1体を射抜く自信は正直ありません。それに、気づかれた後は逃げ回りながらの射撃になるんですよ? 命懸けの逃走劇です」
軽口を叩いてはいるが、彼の言う通りだ。作戦の成否は、弓兵が奴の炎魔法をどれだけ牽制できるかにかかっている。牽制がなければ、ゴブリン・シャーマンは悠々と俺たち本隊を丸焼きにするだろう。
だからこそ、ジュリアンたちには群れの追撃をかわしながらも、できるだけ長い間、シャーマンを牽制し続けてもらう必要がある。
「ジュリアン、そんなに弓役が嫌なら、一番槍を代わってくれると助かるんだが」
ニヤリと笑ったラウルが、ジュリアンの背を叩く。
本隊は紡錘陣を組み、シャーマンめがけて突っ込む手筈だ。その一番槍は、言わずもがなラウルが務める。中隊一、いや、白兵戦であれば大隊一の実力者なのだから当然だ。
「勘弁してくださいよ〜。ラウル隊長の小指ほどの力も出せないんですから」
「今は副長だ!」
そう言って、ラウルがもう一度ジュリアンの背を叩く。
(こんなやりとり、前にも見たな)
俺はふと懐かしい気持ちになる。
「それならジュリアン、僕と代わりますか? ラウル分隊長のすぐ隣なんですが」
背後からレオがからかうように声をかける。
ラウルの両脇である先端部は、レオ、ベルナデット、ガストン、そして合流予定のエリナといったテオドール小隊の生え抜きたちで固める。志願兵たちは後段に配置し、俺は最後尾から指揮を執る。
「逃がさないよレオ。アタシは軽い男よりもアンタみたいな硬派なのが好みなんだ」
ベルナデットががっちりとレオの肩を抱き寄せる。レオは引き剥がそうとするが彼女の腕力には敵わず、早々に抵抗を諦めたようだ。
「残念だったなレオ。女王様はお前をご指名らしい。大人しく先鋒を務めてくれ」
「そういう王子様こそ、もっと後方に下がった方がいいんじゃないかい?」
ベルナデットがニヤリと俺を見て言う。
「英雄譚じゃあるまいし、王族が決死隊なんて、ねぇ?」
「違うぞベルナデット。決死隊じゃなく突撃隊だ。それに、俺が立てた作戦だぞ。俺が指揮するに決まってるだろう。安心しろ、自分の身を守る程度には鍛錬を積んできたつもりだ」
王都を出てから約5ヶ月。俺もラウルやエリナの指導の下、身体強化魔法と剣術の訓練に励んできた。精鋭連中には遠く及ばないが、ただのゴブリンに遅れをとるつもりはない。
「殿下も随分と逞しくなられましたな。初めてお会いした時は、ひ弱で体力もない、身丈も小さく……おっと、これは今も変わりませんね」
ラウルが声を殺して笑うと、皆からも堪えきれないような笑いが漏れた。
(ラウルがいなければ、これほど精強な部隊を組織することも、俺が中隊長にたどり着くこともなかっただろうな)
「まったく、お前らが俺に不満があることはよーくわかった! この任務が終わったら、いくらでも文句を聞いてやる。だからこの仕事はしっかりこなせよな!」
冗談交じりの笑い声が、夜の森の静寂に吸い込まれていく。
この和やかなひとときが、これから死地へ向かう恐怖を覆い隠すためのものだと――言葉にせずとも、誰もがわかっていた。
◇
とうに夜は明けているが、鬱蒼とした森の中は嫌な薄暗さに包まれていた。
俺たちは、木々がまばらになる手前、森の端に身を潜める。
500メートル先には1万5千に及ぶグリーン・ゴブリンの大軍が蠢いている。そしてその先には、俺たちが守るべき街――ネモリスが見える。
「どうだジュリアン、狙えるか」
俺の問いに、ジュリアンが目を細める。
「狙えは……します。けど当てる自信はないですね。見てください、あれ」
群れの後方には、南軍の駐屯地から略奪したと思われる重厚な椅子が置かれていた。そこに、ひと際体が大きく全身に石飾りを巻きつけた1体――おそらくは上位種であるゴブリン・シャーマンがふんぞり返っている。
驚いたことに、そのシャーマンは丸太や角材を担いだ取り巻きに守られていた。
(弓矢を警戒してのことか……ゴブリンにしては賢すぎるな)
「元素使いを敵の弓兵から守ることは常識だが、まさかその常識がゴブリンにも伝わっているとはな」
「笑えない冗談ですね。それで、どうします? 作戦を修正しますか?」
「いいや、作戦に変更はない。遮蔽があろうがなかろうが、奴の炎魔法を牽制できる手段は弓矢くらいしかないんだ。欲を言えば、あの遮蔽の隙間を狙ってくれればより強い圧力を与えられる。頑張ってくれよ、ジュリアン」
俺に肩を叩かれたジュリアンがため息をつく。
「まったく人使いが荒いですね。ま、最善を尽くしますよ」
ジュリアンがぼやいた直後、ゴブリン・シャーマンの気味の悪い叫び声が響き渡った。
それを合図に、緑色の波がうねりを上げ、ネモリスに向かって一斉に駆け出す。地鳴りのような足音が、森の端にいる俺たちのところまで伝わってきた。迎え撃つネモリスの守備隊からも合図のラッパが鳴り、空を黒く染めるほどの矢の雨が放たれる。
「まだだ。動くなよ」
俺は後ろ手で、今にも飛び出しそうな部下たちを制する。
「ネモリスに向かった第一陣は……1万くらいか。シャーマンの周りにはまだ5千の護衛が残っている。奴の守りが薄くなるまで、こらえるんだ」
俺たちの目の前で、ゴブリンの波が木の柵にぶつかり、それをあっけなく押し流していく。
(頼むからこらえてくれよ……!)
街路に作られた頑丈なバリケードが、なんとかその勢いを食い止めた。盾を構え、槍を突き出す守備隊に阻まれて、先頭のゴブリンたちが次々と弾き返されていく。
「なんとか防衛線は持ちこたえているようですな。問題は、いつまで持つかですが……」
ラウルが目を細める。守備隊は地形をうまく使い、道幅の狭い場所に敵を誘い込むことで、ゴブリンどもを押し留めていた。奴らはバリケードの手前でひどく渋滞し、その多すぎる数を持て余している。
「ああ。このまま前線を維持して、奴らが焦って護衛を前に出してくれれば……」
そう言いかけた時、視界の隅で強烈な光が瞬いた。
ゴブリン・シャーマンが両手を掲げた先に、光り輝く火球が5つ、徐々に膨らんでいく。シャーマンが叫び声を上げると火球が飛び出し、ネモリスに向かって放物線を描き――腹の底に響くような轟音が鳴り響いた。
街のあちこちから、黒煙と火の手が上がる。
「クソッ! 炎砲術です! あんな高等魔術を、ゴブリンごときがっ!」
ジュリアンが悔しげに地面を叩く。
(高等魔術かどうかはさておき、確かに序盤では強力な魔法だ……特に射程距離が)
「弓矢の射程を越える遠距離魔法か。考え得る中で最悪のシナリオだな。これで、俺たちが奴を斬らない限り、ネモリスを救う方法はなくなったわけだ」
剣の柄を握る手に、ぎゅっと力が入る。
幸い、数分のうちに街の火災は消し止められ、バリケードもまだ機能している。だが、それを見たシャーマンは業を煮やしたのか、先ほどよりも長い詠唱を始めた。
今度は、倍の10個もの火球が浮かび上がる。シャーマンが腕を振り上げると、全ての火球が中心通りのバリケード1点をめがけて襲いかかった。
ドォォォン!!
直後、守備隊ごとバリケード一帯が丸ごと吹き飛んだ。まるで爆撃を受けたようなひどい有様で、辺りは真っ黒な煙に覆われる。
「……!!」
(ここまで正確に魔法を操れるとなると、話は別だ。このままじゃ、ネモリスの守備は長くは持たない……)
俺は無意識に歯を軋ませる。
(いくら上位種でもやりすぎだ……!)
「殿下! このまま炎砲術を受ければ、ネモリスが落ちます!」
血相を変えたラウルが、今にも飛び出しそうな勢いで詰め寄ってきた。
「……待て。まだ敵が多すぎる。俺たちがここで失敗すれば、それこそネモリスは終わりだ……見ろ!」
見事な炎魔法にすっかり気を良くしたのか、ゴブリン・シャーマンは勝ち誇ったような短い叫び声を上げ、自分の護衛の大半を街へと向かわせた。
残った取り巻きは、およそ2千。
(それでもまだこちらの20倍の数だが、シャーマンの首1つを狙うだけなら、可能性はゼロじゃない)
「……よし」
汗が頬を伝う。脚が震える。
脳裏にコレットの、セシルの、ルネの顔が浮かぶ。
そして、病室で涙を流す妹・凛の泣き顔が、俺の背中を強く押した。
俺は息を深く吸い込み、後ろを振り返る。
「今日、俺たちが全員揃って生きて帰ることはないだろう。だが、死してその魂はアストリアの礎となり、未来に命を繋ぐ。いいか、恐れるな。俺たちの手で、未来を切り開くんだ!」
死地へ向かう配下たちが、誰1人目を逸らさずに頷いた。
ラウル、ジュリアン、レオ、ベルナデット、エリナ、ガストン。俺が見出したテオドール小隊の面々。その後ろで、震えを堪えながら武器を握りしめる志願兵たち。
「……それじゃあ、始めるか」
俺はゴブリン共の背を見据え、右腕の聖痕にそっと手をかざした。
(……武神ベルガトスよ、力を授け給え……今日くらいは、少しは手を貸せよな!)
柄にもない神頼みを打ち切り、俺はゆっくりと立ち上がる。
「ジュリアン、手筈通りに。俺たちの接近に気づかれた瞬間、矢を放て」
「わかってますよ、殿下。どうかご武運を」
俺は声もなく頷き、右手を高く掲げた。
背後から、隊員たちが脚に魔力を込める圧が伝わってくる。
(肌が粟立つほどの凄まじい殺気だ。この気迫だけで、ゴブリン共に勘づかれてしまいそうだな)
俺も極限まで前傾姿勢をとり、両脚にありったけの魔力を練り込む。
そして――掲げた右手を、勢いよく振り下ろした。
瞬間、突風が俺の脇をすり抜けた。
一番槍のラウルを先頭に、精鋭たちが鋭い楔の陣を組み、地を這うような低い姿勢で草原を駆け抜けていく。そのすぐ後ろに志願兵たちが続き、俺も最後尾から大地を蹴った。
粘り気のある土を踏み抜き、まとわりつくような重たい空気を切り裂いて、ただ前へ、前へと突き進む。
魔力による過負荷で脚の筋肉が弾け飛びそうになるが、悲鳴を上げる肉体を気力だけで強引に押し進める。
――ヒュンッ!!
背後から、空気を切り裂く鋭い音が響いた。ジュリアンたちの射撃だ。
(つまり、俺たちの接近がゴブリン共に気づかれたってことだ)
弾かれたように顔を上げた瞬間、シャーマンを守る丸太に徹甲矢が何本も突き刺さった。そのうちの1本が、シャーマンの左肩を深々と貫いた。
鼓膜をつんざくような、奴の絶叫が上がる。
だが、それを最後まで聞く間もなく――俺たちは、ゴブリンの群れへと激突した。




