29話 撤退命令
俺は中隊本部の天幕で書類に目を通しながら、隣の机の事務官に声をかける。
「そういえば、中隊全員の給金を王室近衛兵並みに引き上げる件、王室会計局の反応はどうだ?」
小隊の再編から一ヶ月。ロランは中隊長から大隊長へ、そして俺、テオドールは中隊長へと昇進を果たした。
「善処するとの返答でしたが、まだ進展はなさそうです」
事務官は机に向かったまま、そっけなく答えた。彼は俺の扱いや存在に随分と慣れてきていた。
「そうか……。脅しの材料が安すぎたかな。もう少し恫喝するか、他の弱みを探るか」
俺の不穏な独り言にぎょっと肩を揺らした事務官を見て、「冗談さ」と笑って誤魔化す。
しばらく執務に勤しんでいると、ジュリアンが報告にやって来た。
「小隊長ジュリアン、ご報告に参りました! おや、執務ですか。精が出ますね」
俺の指揮下に打撃小隊の他に3つの索敵小隊が加わったため、打撃小隊長は正式にジュリアンへ任せていた。そして先刻、数日ぶりに索敵小隊がゴブリンに遭遇し、打撃小隊が援撃に出ていたところだ。
「からかうなよ、ジュリアン。それで、出撃はどうだった?」
「20匹程度の小さな群れでしたので、我々が到着する頃には索敵小隊がほとんど片付けていましたよ。なので損耗無し。散歩と変わりませんね」
「最近は遭遇する頻度も少ないし、群れも小粒ばかりだな。このまま自然消滅してくれると助かるんだが」
「それはちょいと楽天的過ぎやしませんかね……そうそう、ベルナデット分隊の男衆、すっかりあの女傭兵たちに骨抜きにされてますよ。『あの凛々しさがたまらない』だとか」
驚くべき報告だ。ジュリアンは呆れたように苦笑している。
「理解できんな。俺には全くわからない魅力だ」
「ははっ、殿下には少し大人すぎる魅力かもしれませんね。まあ、部隊の結束が固まるのは良いことです」
ジュリアンは軽口を叩いて天幕を出ていった。
◇
執務がひと段落したため、俺も外に出る。
向かったのは、駐屯地から少し内地に入った小川のほとり。そこに建てられた小さな丸太小屋だ。
この牧歌的な場所で、ルネは魔力制御の厳しい鍛錬を続けていた。
「ふぅー……っ、すぅー……っ」
川のほとりで座禅を組むルネ。その背中には、エリナが両手をぴったりと当てている。
「ルネ、そのまま。魔力の流れは安定している。焦らず、ゆっくりと身体の奥で循環させて」
「はい、エリナさん……!」
指導役のエリナ自身に元素魔法の素養はないが、幼少期から武神流の魔力鍛錬を叩き込まれているため、他者の魔力回路を感知するのに長けているのだ。
初めの頃はルネの炎魔法が暴走しかけ、その度に容赦なく川へ投げ込まれていた。だが今では暴走の気配はめったに見せず、小規模な火炎を安定して放射できるようになっていた。
「お疲れ様。順調そうだな」
俺が声をかけると、2人がぱっと振り返った。
「殿下! 今日は魔法の調子がとってもいいですよ!」
俺に怯えていたころが懐かしい。駆け寄ってくるルネの頬には、痛々しい火傷の痕が残っている。
セシルの献身的な治療の甲斐あって随分と目立たなくはなったが、完全に消えることはないだろう。それでも、今の彼女の表情は年相応の明るさに満ちていた。
「また油を売りにきたのか放蕩王子。中隊長ってのも随分暇なんだな」
辛辣なエリナの反応に苦笑する。彼女の口の悪さは相変わらずだが、ルネという庇護対象が出来たことで、心なしか以前より大人びて見えた。
「テオドール様、お待ちしておりました。ちょうどお昼の支度ができたところです」
小屋の中から、エプロン姿のコレットが顔を出す。彼女は今、ほぼこの小屋に住み込みでルネの世話を焼いていた。
「ああ、いい匂いがするな。中隊の野戦食は俺にはどうも合わない。コレットの飯が一番だ」
「ふふっ、ありがとうございます。今日は近くで採ってきた野草を使ったスープですよ」
俺たちは小屋の前の丸太に腰掛け、昼食を取りながら穏やかな雑談を交わす。コレットが微笑ましく見守る中、ルネが魔法のコツを熱心に語り、エリナがそれを真面目に補足する。俺も相槌を打ちながら、温かいスープを喉に流し込んだ。
戦場から少し離れたこの場所に、和やかな空気が佇む。
――だが、戦場に長居する平穏などない。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!
突如として、慌ただしい足音が土を蹴立ててこちらへ向かってきた。ただの足音ではない。切迫した、命を削るような響きだ。
「殿下ッ……!!」
血相を変えた伝令の兵士が、息も絶え絶えに走り込んでくる。その顔は恐怖と疲労で蒼白だった。
「どうした。落ち着いて報告しろ」
「だ、第二中隊の駐屯地が……! 突如、大規模な襲撃を受けました!!」
伝令は悲痛な叫びを上げた。その言葉に、和やかだった空気が一瞬にして凍りつく。
「第二中隊、壊滅ですっ!!」
張り詰めた静寂が、小川のせせらぎを掻き消した。
◇
「……酷いな」
鼻を突く焦げ臭さと、むせ返るような血の匂い。急報を受けて馬を飛ばしてきた俺たちの眼前に広がっていたのは、無惨に破壊し尽くされた第二中隊の駐屯地だった。
ひしゃげた天幕、なぎ倒された防柵、そして原型を留めないほどに蹂躙された兵士たちの亡骸。あちこで燻る火が、惨劇の生々しさを物語っている。
「こりゃあ戦争じゃねえ。虐殺だ」
歴戦の傭兵であるベルナデットでさえ、必死に顔を背けないよう我慢しているようだった。
「殿下、大隊本部の救援部隊から状況を聞いてきました」
周囲の警戒に出ていたラウルが、低い声で報告する。
「ご苦労。それで内容は?」
「哨戒中の索敵小隊がゴブリンの大群と接敵し、駐屯地まで敗走。その索敵小隊と、駐屯地を死守しようとした打撃小隊および中隊本部要員がほぼ全滅。別の地区で哨戒任務に就いていた索敵小隊だけが命拾いしたようです」
「さっさと内地に逃げればいいものを、ここを死守してなんになる」
レオが信じられないといった顔で声を荒げた。それにラウルが静かに答える。
「彼らのほとんどが南部を故郷に持つ。だからこそ命を懸けた。冷静な判断とは……言えないがな」
西部戦区の薄い防衛線を突破されれば、1日、2日で南部の村に到達してしまう。ここは最前線であり、彼らにとっては故郷を守る最終防衛線なのだ。
「ゴブリンの数は? 生存者はなんと?」
「命からがら逃げ出した徴発兵が2人。彼らが言うには、森を埋め尽くす程で、数はとてもじゃないが数えられなかったと」
「その言い方だと確実に千は超えているな。直接話を聞きたいが……」
「生存者は大隊本部へ搬送されたそうです。それと、不自然な証言がありました」
「なんだ、もったいぶるな」
「2人とも、森から放たれる火球を見たと。それで駐屯地が瞬く間に火の海になったと証言しています」
レオが息を呑む。
「ゴブリンが元素魔法を使ったとでも!? 錯乱していても無理はない。見間違いでしょう」
「身体強化魔法を扱えるゴブリンの話なら、南軍にいたころに耳にしたことがあります。しかし、元素魔法は全くの初耳ですな……殿下はどう思われますか」
皆の目がこちらを向く。
俺は目を閉じて眉間を押さえる。懐かしい単語が頭をよぎる。この現象は『ヴィクターナ戦記』初心者のころに何度も経験した、理不尽な現象だ。
「……『大規模群行』だ」
「グラン……なんです? それは」
聞き慣れない単語に、レオが即座に聞き返してきた。
「古い文献で読んだことがあるんだ。蛮族の中には、稀に強力な『上位種』が発生することがある。この上位種の統率力が大きければ巨大な群れが形成され、災害級の被害をもたらす。これが大規模群行だ」
沈黙が場を支配する。
「『上位種』は普通種とは比べ物にならない能力を備え、中には元素魔法を操る個体もいるという。状況からして、炎魔法を操るゴブリン・シャーマンが群れを率いているとみて間違いないだろう」
(ゲームでの『大規模群行』は、蛮族を放置する悠長なプレイヤーを、罰するかのように発生するイベントだった。これがあるから、戦力が整っていなくとも、極力急いで蛮族の拠点を潰す必要があったのだ)
「……万が一、殿下のおっしゃることが事実だった場合……西部戦区の維持は絶望的になりますな」
ラウルが悲痛な面持ちで言葉を絞り出す。
無理もない。炎魔法は元素魔法の中でも、軍人に最も恐れられている。攻撃範囲が広く、周囲の人や物に燃え移りやすい炎魔法は、拠点破壊能力に長け、多対多の戦闘において極めて厄介な攻撃手段だった。
絶望が空間を支配する中、大隊本部の伝令が駆け寄ってきた。
「殿下……ですね! 第一中隊長のテオドール殿下! 大隊本部より命令書がございます。ご確認を!」
「ご苦労。ロランも仕事が早いな。どれどれ……」
そこには、各中隊長は自らの駐屯地の防備を固めろという指示が記されていた。無難な指示ではあるが、果たしてそれで駐屯地を守り切れるのか。ここと同じ惨状が繰り返される可能性が高い。
「了解した。もののついでに上申書を書かせてくれ」
俺は手早く羊皮紙に走り書きし、封をして伝令に託した。
「よし、この封書をロラン大隊長に渡してくれ。火急の報告ゆえ最優先で頼む」
俺の真剣な眼差しを見て、伝令は強く頷き駆けだしていった。封書には大規模群行の可能性と、上位種を警戒するよう書き記し、中隊規模では守り切れない可能性があると警告しておいた。
「よし。いずれにせよ、急ぎ駐屯地に帰るぞ。俺たちの家を、ここと同じ目になんて絶対にあわせない」
◇
第一中隊の駐屯地に帰還した俺は、すぐさま中隊全員を集結させ、防備の強化を徹底し、広範囲に斥候を放った。幸運にも、その日にゴブリンの襲撃はなかった。
そして翌日。
司令部から極めて切迫した命令が下った。
『西部方面旅団の三大隊は、現在の駐屯地を一時放棄。それぞれ近郊の小都市へ後退して駐留し、付近の領民を都市に集めて防備を固めよ。他方面軍の余剰戦力を再編し、援軍を組織するには時間を要する。その間、都市を死守せよ』
「駐屯地の放棄……事実上の撤退ですね」
ジュリアンが険しい顔で命令書を覗き見る。
「そうだな。だが、良い判断だと思うぞ。俺はゴブリンの群れが万を超えているとみている。であれば、そもそも中隊規模の野営陣地で守り切れるはずがない」
(俺の知るゲーム上の『大規模群行』は、五千から二万程度の幅を持っていた。相手はゴブリンとはいえ、最低でも千人規模の大隊でなければまともな野戦すら望めない)
「しかし、小都市を防衛せよというのは悪手なのでは? 無防備な平民を守りながら戦うのは至難の業ですよ」
「仕方がないさ。大隊が一点に集まってしまえば、広範な防衛線を監視することは不可能になる。間をすり抜けて都市を襲撃されてみろ。凄まじい数の犠牲が出る。司令部も悩んだ末の決断だろうよ」
「それもそうですね。それで……我々の担当はネモリスですか。夜通し行軍すれば1日ちょっとの距離ですね。すぐ移動しますか?」
「ああ、そうしよう。今の今、ゴブリン共がネモリスへ向かっているかもしれない。一刻の猶予もないぞ」
(ネモリス――ルネの幸福と絶望の故郷。まさか俺たちが、あの街を死に物狂いで守り抜かなければならなくなるとはな)
俺は部隊に出立を命じる。押し寄せる「緑の津波」に飲み込まれる前に、強固な防衛網を築き上げなければならない。




