27話 再生の少女
「見よ! これこそが、貴様らの安寧を脅かし、家を焼き、大切な家族を奪った忌まわしき魔女だ!」
広場を見下ろす演台の上で、この街を治める男爵が裏返った声を張り上げた。
その言葉を合図に、衛兵たちに引きずられた1人の少女が急造の処刑台へと引き上げられる。
猿ぐつわを噛まされ、薄汚れたボロ布を纏った小柄な少女、アメリだ。彼女の姿が露わになった瞬間、扇形の石畳を埋め尽くす住民たちの興奮が沸点に達した。
「殺せ! 魔女を殺せ!」
「俺の店を返せ!」
「焼き殺してしまえ!」
石礫や腐った野菜が投げ込まれる。
(……凄い殺気だ。3日前の大火災の恨み、きっちり溜め込んでいるな)
アメリの背後に立つ俺は、黒い処刑人の頭巾を被り、亡霊のように血走った目を持つ群衆を一瞥した。
処刑台の中央には太い四角い柱が1本突き立ち、周囲には二重に薪が積み上げられている。内側の薪は水を吸って黒ずんでいるが、外側の薪にはたっぷりと油が塗り込まれ、鼻をつく臭いを漂わせていた。
だが、高さを増した足場の下が板張りで目隠しされ、その内側に何が潜んでいるのか、熱狂する群衆には知る由もない。
アメリは恐怖に顔を歪め、ガタガタと震えながら縮こまることしかできない。その小さな背中に石が当たり、鈍い音を立てた。
「慈悲はいらぬ! 魔女には、我らが受けた苦しみと同じ報いを与えるのだ! 生きたままその身を焼かれる、紅蓮の地獄を味わわせよ!」
男爵は顔を蝋のように蒼白にさせ、額の脂汗を拭うことも忘れて、群衆の憎悪をさらに煽るように叫び続けた。
「燃やせ!」「燃やせ!」「燃やせ!」
広場全体が狂気に包まれる中、処刑人に扮する俺は、怯えるアメリの腕を乱暴に掴み上げて中央の柱へと押し付けた。
「う、うぅ……っ!」
猿ぐつわ越しの悲鳴。俺は無言のまま、柱の横に立てられた添え木ごと、アメリの身体を縄で縛り付けていく。
アメリの瞳から大粒の涙が溢れ出し、絶望の色が濃くなる。結び目を確認するふりをして、アメリの耳元に顔を近づける。
「少しの辛抱だ」
アメリの肩がびくりと跳ねる。
「死にたくなければ、限界まで息を止めていろ」
アメリが見開いた目の中に、俺の冷徹な双眸が映る。そこには憐憫や慈悲はないが、その瞳は確かに「死ぬな」と告げていた。
アメリは震えながらも、小さく、誰にも悟られないように頷いた。
俺は演台の男爵へと視線を送る。男爵は俺の氷のような視線に射抜かれると、喉を鳴らし、小刻みに震える手で処刑開始の合図を送った。
「刑を……執行せよ!」
その言葉を合図に松明を掲げる。
揺らめく炎が、アメリの絶望に歪んだ顔を照らし出す。群衆が固唾を呑んで見守る中、俺は松明を薪の山へと放り込んだ。
ボッ!
油をたっぷりと吸い込んだ外側の薪が、爆発するように発火した。一瞬にして円筒状の炎の壁が立ち上がり、アメリの姿を遮断する。
「おおぉぉっ!」
歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。
(……舞台は整ったな)
足場の床を、革靴の踵で強く踏み鳴らす。
ドンッ、ドンッ!
それが合図だった。
足場の下にはベルナデットを忍ばせてある。彼女の最初の仕事は、足場の四隅に仕込まれた仕掛けに火を付けることだ。
ゴォオオオッ!
不自然な轟音と共に、足場自体から火の手が上がり、巨大な黒煙と火柱が巻き起こった。
視界を埋め尽くす黒煙。渦巻く熱風。
間髪入れずに、群衆に紛れたベルナデットの配下が大仰に叫び声を上げた。
「ま、魔女の炎魔法だ! 暴走しているぞ!」
その声は劇薬だった。
今まで「燃やせ」と叫んでいた群衆の顔色が、一瞬で恐怖へと変わる。3日前の大火災の記憶が蘇り、彼らはパニックに陥った。
「ひっ、こっちに来るぞ!」
「熱い! 下がれ!」
我先にと後ずさる群衆。彼らの視線は、猛り狂う黒煙と炎の柱に釘付けになり、処刑台の中央で何が起きているのか判別する余裕はない。
俺は炎から身を逸らすように足場から飛び降り、足場の側板を拳で叩いた。
(ベルナデット! 今だ!)
足元の床板が外れ、アメリを拘束していた添え木ごと、彼女の身体が真下へと落ちる。
「……っ!」
アメリは声を上げる暇もなく、足場の下へと吸い込まれた。
数秒後、足場の下から微かに何かがたわむような音が響き、気配が遠ざかる。脱出の仕掛けは無事に成功したようだ。
直後。
内側から焼かれた柱が、メキメキと悲鳴を上げて崩れ落ちた。
柱の中に仕込んでおいた『身代わり』――解体されたばかりの豚と牛の死骸が、業火の中にばら撒かれる音が響く。
バチバチッ! ジュワァアアッ!
脂が爆ぜる激しい音。
そして、風に乗って広場全体へと広がったのは、鼻孔を強烈に刺激する臭気だった。肉が焼け、内臓が焦げ、濃厚な脂の臭いが広がる。それが人間のものか家畜のものか、嗅ぎ分けられる者などここにはいない。
「うっ……くさ……」
「おぇっ……!」
あまりにも濃厚な死の臭いに、最前列にいた男が口元を押さえる。
煙の向こうで崩れ落ちた柱の影を見て、誰もが確信しただろう。魔女は死んだ。生きたまま焼かれ、肉塊へと変わり果てたのだと。
「も、燃えた……! 魔女が燃えたぞぉ!」
誰かの叫び声を皮切りに、狂喜と安堵、そして生理的な嫌悪感が入り混じった異様な歓声が上がる。
炎の勢いは未だ衰えず、赤黒い舌を夜空へと伸ばしている。その円柱の脇から、俺は演台の男爵を見据えた。
『終わらせろ』と、俺の無言の圧力が男爵の喉を締め上げる。
男爵は必死に声を絞り出した。
「み、見よ! 魔女は灰に帰した! 災いは去ったのだ! 我々の勝利だ!」
ワァァァァッ! と湧き上がる歓声。
興奮と吐き気が渦巻くカオスの中、俺は脱いだ頭巾を口に当て、燃え盛る『魔女の墓標』に背を向けた。
これでアメリはこの世から消滅した。後に残るのは、灰と嘘、そして全てを失った『魔女』だけ。
(……さっさとずらかるか)
俺は冷ややかな目で熱狂する群衆を一瞥し、闇へと姿を消した。
◇
ネモリスを離れて2日目の明け方。兵站道路の悪路を行く馬車は、ガタガタと激しく揺れ続けていた。
「ひっ……! ごめんなさい、ごめんなさい……ッ!」
「大丈夫、大丈夫ですよ。もうここはネモリスじゃありません」
コレットが毛布ごと少女を抱きしめ、背中を優しくさすり続けている。アメリは悪夢にうなされ、小刻みに震えていた。
ふと顔を上げた拍子に俺と目が合うと、彼女は「ヒッ」と息を呑んで身を縮こまらせた。
その怯えきった姿が、かつて抗がん剤の副作用に苦しんでいた妹・凛と重なる。俺は無意識に、表情を和らげようと口角を上げた。
「……おはよう、アメリ。少しは落ち着いたか?」
自分では精一杯『柔和な兄』を演じたつもりだったが、アメリは怯えたように毛布を被り、完全に沈黙してしまった。
「……今更無理があるぜ、大将」
御者台との仕切り窓から、ベルナデットが呆れたように声を投げかけてきた。
「予告していたとはいえ、十歳のガキにあんな迫真の処刑人を演じて見せたんだ。トラウマになって当然さ。あんた、鏡見てきな。今の笑顔、人攫いそのものだぜ」
「……余計なお世話だ。前を見ろ」
俺は咳払いで誤魔化すと、真面目なトーンに切り替えた。
「仕方がない。だが、魔力回路の様子だけは確認させてもらうぞ……コレット」
「はい。アメリちゃん、ちょっとだけ我慢してくださいね」
嫌がるアメリをコレットになだめさせ、俺はその小さな背中に手を当てた。武神教のゴーティエ司教の猿真似だが、魔力暴走の予兆程度なら判別できる。
(……回路の熱は引いたまま。昨日から変化はないな)
「問題ない。魔力の流れはまだ燻っている程度だ。しばらくは魔力暴走の危険はないだろう」
「へぇ、便利なもんだね。今度アタシにも教えてくれよ」
「ああ。だが、お前にはそれより過酷な魔力鍛錬をやってもらう。覚悟しておけよ」
「げっ、そりゃ勘弁だ」
ベルナデットが鼻を鳴らし、手綱を捌く音が聞こえた。コレットが優しくアメリの頭を撫でる。
「アメリちゃん、聞こえましたか? しばらくは大丈夫だそうですよ。安心してくださいね」
アメリは少しだけ安心したのか、毛布からおずおずと顔を覗かせた。俺はその瞳を真っ直ぐに見据える。
「さて、アメリ。お前はこれから魔力の制御を覚え、元素魔術師として鍛錬を積むことになる。だが、『炎魔術師のアメリ』の名が広がれば、ネモリスの魔女が生きていたとすぐに露見してしまうだろう。だから、名前を変えなくちゃならない」
「……嫌……です」
アメリは消え入りそうな声で、だがはっきりと拒絶した。
「……お父さんとお母さんがつけてくれた、大切な……。2人に貰ったものは、もう名前しか残ってないの……」
俯いて涙を流す少女。コレットが痛ましげに俺を見た。だが、ここで情に流されるわけにはいかない。俺はあえて、突き放すような冷徹な声を出す。
「何を言っている。その身に宿した炎魔法の才――それこそが、両親がお前に遺した最大の贈り物だろう」
「……え?」
「その才能は呪われたものなんかじゃない。暴走する前にその才を見出し、導いてくれる存在に出会えなかっただけだ」
俺は少女の目を見据えて告げる。
「なんのために大芝居を打って生き永らえたんだ。その強大な魔力で民を救うんだろう? 名前がどうなるかより、お前がこれから何を成し遂げるのか。それこそ、あの世の両親が一番気にかけるところだろう」
アメリはハッとしたように顔を上げ、唇を噛み締めた。
「……なにも『アメリ』の名を捨てろとは言っていない。幸せだった思い出と一緒に、心の奥底に大事に仕舞っておけばいい」
少女は目を見開き、やがて、ゆっくりと頷いた。
「よし……で、どうする。新しい名は自分で決めてもいいんだぞ」
アメリはしばらく考え、やがて小さく首を振った。
「……思いつきません……王子が決めて下さい……」
(俺に丸投げか。まあ、その方が後腐れがなくていい)
「……炎の魔女は火刑で灰になり、お前は不死鳥のごとく再生した。新たな名は、古い言葉で『再生』を意味する――『ルネ』。今日からお前は、炎魔術師のルネだ」
「……ルネ。なんだか、不思議な響きです……ルネ……」
「お前がその名で多くの民を救い、英雄として称えられることを願っているぞ。そして姓はコレットから頂戴しよう」
「ええ! そんな適当に決めてよろしいので!?」
生まれ変わった少女・ルネと慌てるコレットを乗せ、馬車はテオドール小隊の待つ駐屯地へと、朝日の中を進んでいった。




