24話 小隊の成長
翌朝、天幕の入り口を開けると湿った森の空気が流れ込んできた。
簡易ベッドでは、昨日瀕死の重傷を負い、臓腑すら覗くほどだった2人の兵士が、上体を起こして呆然と自分の腹をさすっていた。
「……傷が、ない?」
「あれだけの深手だったのに……いったい……」
セシルが少しだけ顔色を青白くしながらも、誇らしげに微笑んでいた。
「王宮仕込みの腕は流石だな、セシル。だけど無理するなよ。昨日、魔力を使い切ったばかりだろう」
「ええ……少し眩暈がしますが、問題ありません。万全じゃないまま戦場に出すわけにはいきませんから」
気丈に振る舞う彼女に、俺は無言で水差しを渡した。
「まったく大した癒術師様だよ……2人とも動けるか? 俺たち援軍を待っている連中がいるんだ。悪いが、悠長に構えているつもりはないぞ」
負傷した2人は恐る恐る立ち上がると、体を曲げたり足踏みしたりした後、力強く頷いた。
「よし。それじゃ、手早く支度して出発するとしよう」
◇
中継拠点で一泊し、その翌日の夕方にようやく目的地に到着した。第一大隊本部は、鬱蒼とした森を強引に切り開いて設営されており、正真正銘の最前線といった様相だ。
白髪混じりの大隊長は、俺が持参した南軍元帥からの書状に目を通すと、重々しく頷いた。
「テオドール殿下。お噂はかねがね。昨日は索敵小隊を救って頂き、感謝申し上げます」
「当然のことをしたまでだ。王族として南軍を救い、武神ベルガトスの信仰に殉じて蛮族を屠る。そのために、俺はここへ来た」
「……ふむ。崇高な理念ですな。しかし現実は厳しい」
大隊長は執務机に広げられた地図を指で叩いた。
そこには無数の赤いラインが引かれ、自軍の防衛線が虫食いのように浸食されている惨状が示されている。
「ご覧の通りです。西部方面旅団の状況は極めて芳しくない。ここ数ヶ月、グリーンゴブリンの活動が異常なほど活発化しておりまして」
大隊長は苦渋の表情で、地図の左端――最西端のエリアを指差した。
「特に、第一大隊最左翼の第一中隊。ここは山脈沿いで視界が悪く、予期せぬ遭遇戦が発生しやすい。先日の戦闘によって大きな被害を出しましたが、補充に出せる予備戦力の準備に時間がかかっております」
「……厳しい戦地であるのは間違いないな。承知した、すぐに向かおう。防衛線に穴をあけるわけにはいかない」
俺が即答すると、大隊長は少しだけ目を見開き、それから安堵の息を吐いた。
1日だけ基地で休養を取り、装備の点検と補給を済ませた俺たちは、翌朝早くに第一中隊の駐屯地へと発ったのだった。
◇
到着したそこは、本部と呼ぶにはあまりに心許ない、急造の柵で囲われただけの野営地だった。
「ようこそ、テオドール隊長。お待ちしておりました」
出迎えたのは、整った顔立ちをした若い騎士、ロラン・フェロクス。比較的近隣に領地を持つ下級貴族の長男であり、この第一中隊を率いる中隊長だ。
聞けば年齢は27歳。小隊長として数々の戦果を上げ、若くして中隊長に抜擢された実力者らしい。だが、その顔には隠しきれない疲労の色と、焦燥が滲んでいた。
「中隊長のロランです。大隊長より話は伺っております……正直なところ、殿下のような増援が喉から手が出るほど欲しかった」
「放蕩王子の悪評は気にならないか?」
俺が試すように尋ねると、ロランは真面目腐った顔で首を横に振った。
「戦場で信じられるのは、噂ではなく実績です。昨日の索敵小隊救出の一件、ここまで聞こえています。それに今、我々は猫の手でも借りたい状況でして」
ロランの案内で中隊の状況を確認する。
予想以上に酷い有様だった。
「現在、第一中隊の定員は150名であるべきですが……実働戦力はその八割にも満たない状況です」
ロランは苦虫を潰したような表情で続ける。
「ここ数週間、連中の襲撃頻度が急増しています。索敵小隊が敵を拘束しきれず敗走、その救援に追われる打撃小隊も疲弊し、損耗が拡大する一方です。特に、中隊の要であるはずの打撃小隊が酷い有様で……定員35名に対し、万全に動ける者はわずか25名しかおりません」
打撃小隊の戦力が不十分では、そもそも『拘束と打撃』ドクトリンが成立しない。まさに危機的状況といえるだろう。
「本部からの補充も滞っており、現場は限界です。徴発兵たちの士気も……見ての通りで」
視線を向けると、索敵任務から生還した兵士たちが、泥人形のように地面へ座り込んでいた。
彼らは自らの故郷を守るために全てを投げ出し、そして摩耗し尽くしたのか――今はただ、抜け殻のように浅い呼吸を繰り返すのが精一杯という有様だ。
「……なかなかに深刻な状況だな……」
俺は思考を巡らせた。
奇しくも、手元にあるテオドール隊の実働戦力も同じ25名。だが、厳しい選抜を潜り抜けた彼らの素質は高いはずだ。先の戦闘で証明した通り、現時点でも同数以上のゴブリンに対処できるだろう。
「ロラン中隊長。提案がある」
「……提案、ですか?」
「損耗した既存の打撃小隊を解体し、残存兵員をすべて索敵小隊に割り振るのはどうだろう。その代わり、テオドール隊が新たな『打撃小隊』として、中隊の打撃力を一手に引き受けよう」
ロランが目を丸くした。
「熟練兵を索敵小隊に回せば生存率は上がりますが、殿下の隊とて定員割れの状態です。大きな負担がかかりますよ」
「勝算はある。戦い方そのものを変えるんだ」
そこで俺はゲームの序盤、蛮族相手に有効だった戦術を提案した。
ロランはしばらく考え込んだ後、決断したように顔を上げた。
「……分かりました。殿下の頭脳と、その部下たちを信じましょう。再編の手続きは直ちに行います」
◇
それから三ヶ月。
第一中隊の担当戦区において、ゴブリンは恐るべき脅威から、単なる『獲物』へと成り下がっていた。
森の奥深く。巡回中の第二索敵小隊の先頭を歩く分隊長が、茂みの揺れに気づき、即座に手を挙げた。
「敵影確認! 前方、数不明! 総員、反転! 『拠点』へ走れ!」
以前ならば、震える手で火打石を打ち、狼煙を上げる間に包囲され、決死の遅滞戦闘を強いられていただろう。
だが、今は違う。
兵士たちは一斉に踵を返すと、迷うことなく全力で走り出した。目指す先、わずか数百メートルの位置には、丸太と土嚢で組まれた防衛拠点が待ち構えている。
「グギャギャギャ!」
獲物が逃げ出したのを見て、興奮したゴブリンたちが茂みから飛び出してくる。
兵士たちは拠点の中に滑り込むと、重い木の扉を閉ざし、柵の隙間から槍を突き出す。
「狼煙、上げろ!」
分隊長の指示で、火の残る炉に発煙筒が投げ込まれる。またたく間に、煙突から赤い警告煙が立ち上った。
ゴブリンたちは拠点を取り囲み、柵を乗り越えようと殺到するが、それこそが狙いだ。壁を登ろうとして無防備になった腹を、隙間から突き出された槍が的確に貫く。
これは俺の提案した『多拠点戦術』だ。
兵員増加で余裕が出た徴発兵たちに命じ、哨戒ルート上に多数の簡易防衛拠点を設営させたのだ。索敵小隊は敵と遭遇したら無理に戦わず、ここまで撤退して籠城する。
知能の低いゴブリン相手だからこそ有効な策だ。もし相手が人間であれば、空の拠点を奪われて橋頭堡にされるリスクがあるが、野生動物のように動くゴブリン相手ならその心配はない。
「テオドール隊、到着! これより殲滅する!」
森を切り裂くようにして、新生打撃小隊が現れる。
打撃小隊の駐屯地を、リスクを承知でより前線に近い位置へ移設させたことで、即応時間は劇的に短縮されていた。
「レオ隊、中央突破! 敵の注目を集めろ!」
「了解! ガストン先頭! 総員突撃!」
全身鎧の巨漢が、大楯を構えてゴブリンの群れに突っ込む。
質量と魔力強化による理不尽な突撃は、群がる小鬼たちをボウリングのピンのように弾き飛ばした。
「弓兵隊、用意……放て!」
後方からジュリアンの号令が響く。彼が指揮する分隊が、人の背丈ほどある強弓を引き絞り、大質量の矢を解き放つ。
轟音。一矢につき数匹のゴブリンが串刺しになり、肉塊となって吹き飛ぶ。
遠距離攻撃で混乱する敵集団の側面から、今度はラウルとエリナの隊が切り込む。
それは戦闘というより、作業に近い掃討戦だった。
「……頼もしいな」
拠点の隙間から覗いていた索敵兵が、安堵と畏怖の入り混じった声を漏らす。
わずか数分で、数十匹のゴブリンは死屍累々となって森の腐葉土に沈んだ。
◇
戦闘後の報告会。中隊本部には、これまでにない明るい空気が漂っていた。
「……信じられない数字です。今月の死者数、ゼロ。重傷者も数名のみ。三ヶ月前、毎日誰かが倒れていたのが嘘のようだ」
ロランが報告書を持つ手を震わせている。
「不思議なことじゃない。索敵小隊の損耗が減ったことで、徴発兵たちが生き延びて経験を積む時間ができた。結果として、中隊全体の練度と士気が底上げされたわけだな」
俺の言葉に、ロランは深く頷いた。
「ええ。それに何より、殿下の小隊の活躍が凄まじい。以前の職業軍人による打撃小隊とは、比較にならない戦果を上げておられる。まさに戦場を支配していると言っても過言ではありません」
「うちの連中は元々ポテンシャルが高かったからな。ようやく実戦に慣れて、才能が開花し始めたってところだ」
謙遜せずに事実を口にしながら、俺は窓の外を眺めた。
活気を取り戻しつつある駐屯地で、兵士たちが訓練に励む声が聞こえてくる。
(……組織の欠陥を修正し、兵士の生存率を高め、全体を精鋭に育て上げる。国力の脆弱なアストリアにおいて、この地道な戦力増強こそが、覇道への最短距離だ)
俺は脳内で、この泥沼の西部戦区を解放する方策を組み上げていった。
(そろそろ次の手を打つ頃合いだな……まずは、俺の小隊の頭数を揃えるところからか……)




