22話 血塗られた初陣
ヴァラリア要塞を背にして西へ進むにつれ、世界の色調が明確に変わっていく。要塞周辺の赤茶けた荒野は鳴りを潜め、代わりに鬱蒼とした原生林が視界を埋め尽くす。
俺たちは、南部方面軍が整備した兵站道路――馬車がようやく2台すれ違える程度の泥道だが――を、西へ向かって進んでいた。
「……ひどい森ですね。空気が淀んでいます」
御者席のレオが、嫌悪感を隠そうともせずに呟く。
(今にもゴブリンが飛び出てきそうだ……実物はまだ見たことないが)
ここは人間の領域ではない。蛮族と、それに対抗しようとする人間が、互いに血を流し続けている呪われた緩衝地帯だ。
現在、俺たちが向かっているのは、西部戦区を担当する『西部方面旅団』の最左翼、第一大隊の駐屯地だ。途中にある第三大隊と第二大隊の駐屯地でそれぞれ一泊し、到着するのは3日目の夕方の予定だ。
俺は移動の車中で、ラウルからこの戦区の特異な組織構造について講義を受けていた。
「いいですか。西部戦区は全長70キロにも及びます。しかし、3大隊の総兵力はたったの3千」
「1キロあたり40人ちょっとか。それでは防衛線なんて張れないだろう」
俺が顔をしかめると、ラウルは重々しく頷いた。
「その通り。だから旅団本部は、統一指揮を諦めました。この広大な森では、本部の命令が届く前に戦況が変わってしまう。おまけに視界が悪く、大規模な増援も送れない」
車窓から流れる暗い森を一瞥し、ラウルは言葉を続ける。
「だから、ここは『中隊』が全てです。旅団は戦区を三つの大隊に分け、さらに各大隊は六つの中隊を森の中に点在させている。それぞれの中隊が独立部隊として、自分たちの縄張りを守る形態です」
中隊の定員は約150名。それが森の中に孤立して拠点を構えている。となると、気になるのは戦い方だ。150名で、無尽蔵に湧いてくるゴブリンをどう捌くのか。
「そこで採用されているのが、『拘束と打撃』ドクトリンです」
ラウルが苦虫を噛み潰したような顔で、その戦術名を口にした。
「単純な話です。中隊は三つの『索敵小隊』と、一つの『打撃小隊』で構成されます。索敵小隊は徴発兵……つまり新兵中心の部隊。彼らが森を巡回して、ゴブリンを見つける」
「見つける、というより……」
「ええ、『襲われる』のが仕事です。接敵したら即座に円陣を組んで防御に徹し、狼煙を上げる。これが『拘束』。敵をその場に釘付けにする役目です」
「そこに、残りの部隊が駆けつけるわけか」
「その通り。待機している『打撃小隊』……こちらは職業軍人の精鋭です。彼らが狼煙を見て急行し、ゴブリンを殲滅する。これが『打撃』です」
(足りない頭数で長大な防衛線を守る方法としては一理あるが……)
敵の餌となる索敵小隊は、南部から掻き集められた素人同然の徴発兵。お目付役の職業軍人が指揮するとはいえ、損耗率は高止まりするだろう。
そして、広大な森を駆け回り、到着の遅れが友軍の全滅に直結する打撃小隊の負担も大きい。職業軍人とはいえ、極度のプレッシャーと常時即応体制が求められる環境では、心身の摩耗は避けられない。
(とてもじゃないが、持続可能な戦略とは思えないな)
◇
それから数時間。太陽が中天を過ぎ、木漏れ日がオレンジ色を帯び始めた頃だった。
「……狼煙です。南東方向」
後方を警戒していたジュリアンが、短く警告を発した。視線を向けると、木々の隙間から白煙が頼りなげに立ち昇っているのが見えた。あれが、接敵を知らせる合図だ。
「距離は約2キロ。索敵小隊が食いつかれたのでしょう」
ラウルが冷静に距離を見定める。順調に進めば日没前には第三大隊の駐屯地に到着するはずだが……。
「ラウル、どう見る? 俺たちが介入する必要はあるか?」
「本来なら不要です。すぐに管轄の中隊本部から打撃小隊が駆けつけるはずです」
ラウルがそう言った直後、北西方向から黒い狼煙が上がった。
「あれが打撃小隊の出撃合図の、黒煙です」
(この戦術、ちゃんと機能してるんだな……)
そう考えながら数分進んだ時だった。
風に乗って、微かにラッパの音と悲鳴が聞こえた気がした。直後、今度は進行方向の真西の空に、別の白い煙が上がった。近い。
「チッ、まずい!」
ラウルが舌打ちをする。
「多重交戦です! 打撃小隊は南東に向かっているはずなので……」
「西の部隊はどうなるんだ!?」
「中隊本部へ向けて後退し、本部の予備兵と共に迎撃するのが基本です。しかし……練度の低い徴発兵中心の索敵小隊に、整然とした後退戦など望むべくもありません。散り散りになって敗走するか、最悪の場合は包囲されて全滅します」
『拘束と打撃』ドクトリンの致命的な欠陥が露呈した瞬間だった。あの白い煙の下では、数十人の徴発兵たちが、絶望的な戦いを強いられているかもしれない。
俺は思考を加速させる。
(コレットとセシルの安全は絶対条件だ。ここで戦闘に介入するのは、どう考えてもリスクでしかない……)
だが、目の前で友軍が全滅するのを見過ごせば、ゴブリン共の侵入を許すことになる。何より――そんな真似をして、部下たちに示しがつかない。
「ラウル、決めたぞ。友軍を救援する。ただし、最優先事項は二人の安全だ」
「……承知しました。部隊を分けますか?」
「いや、各個撃破が怖い。馬車を護衛したまま、全員で急行する!」
無茶な命令であることは承知の上だ。馬車という弱点を抱えての強行軍だ。
「ラウル、ジュリアン! 先行して状況を探れ! レオはそのまま馬車を急がせろ! 他の者は全周防御! そのまま全速前進!」
俺の号令と共に、部隊が加速する。馬車が激しく揺れるのも構わず、俺たちは兵站道路を駆け抜ける。
◇
十分ほど走っただろうか。先行していた二人が、顔色を変えて戻ってきた。
「報告! 距離300! 友軍は完全に包囲されています!」
「敵の数は?」
「グリーンゴブリン多数! 百を下りません!」
「百だと!?」
俺は驚愕の声を上げる。これでは30人程度の小隊が、三倍以上の敵に囲まれている計算だ。
「友軍の状態は?」
「限界です! 円陣は維持していますが、何重にも包囲されています! 一箇所でも食い破られたら全滅ですよ!」
ジュリアンの切羽詰まった報告に、俺は覚悟を決めた。
「よし、突っ込むぞ! レオ、ガストン、他3人だけを護衛に残し、攻撃隊を二手に分ける! ラウル隊は右翼から、ジュリアン隊は左翼から45度の角度で侵入! 友軍を救助しつつ、敵包囲の自軍側を殲滅しろ!」
指示を飛ばし、俺自身も剣を抜いて馬車の屋根へと駆け上がる。しばらく進むと視界が開け、そこには地獄絵図が広がっていた。
木々の間のわずかな広場。ボロボロになったアストリア軍の小隊が、必死に盾を構えて円陣を組んでいる。その周囲を、緑色の肌をした小鬼たちが黒い波のように覆い尽くしていた。
錆びた剣が盾を叩く音。絶叫。血飛沫。
「総員、突撃!」
俺の怒号が戦場の喧騒を切り裂いた。右からラウルとエリナが、左からジュリアンたちが躍り出る。
「失せろ! ゴブリンども!」
ラウルが剣を一閃させ、三匹のゴブリンをまとめて薙ぎ払う。
「お前らをぶっ殺すのが夢だったんだ!!」
エリナは拳でゴブリンの頭蓋を粉砕し、蹴りで胴体をへし折る。突然の奇襲に、包囲網の一角が崩れた。
「今だ! こじ開けろ!」
俺は馬車の上から叫ぶ。友軍の兵士たちが援軍に気づき、死にかけていた目に光を取り戻した。
「援軍だ! 中隊本部か!?」
「盾を構え直せ! 押し返すんだ!」
二つの分隊の猛攻により、二本の回廊が友軍に繋がる。だが、安堵は一瞬だった。
「くそっ、負傷者が多すぎる!」
ラウルが毒づく。友軍の半数近くが動けず、担いで逃げるには人手が足りない。混乱から立ち直ったゴブリンたちが、ラウルたちをも飲み込もうと、圧迫し始めた。倒しても倒しても、奥から次が湧いてくる。
「ヒッ、うわあああ!」
テオドール隊の新兵が数の暴力に圧され、悲鳴を上げて尻餅をついた。ジュリアンが即座にカバーに入るものの、突破口がじりじりと圧縮されていく。
(まずいな……このままじゃ共倒れだ。今必要なのは……敵の戦意を完全にへし折るほどの、強烈な一撃……!)
「コレット! セシル! つかまっていろ! レオ、馬車ごと包囲に突っ込む! 急がねば隊がもたない!」
「危険は承知でしょうね! 各員、馬車を守りつつ突撃! ガストン、馬車の前にでろ!」
俺も馬車から飛び降り、ガストンに並ぶ。
「俺たちで奴らを押し込む! 纏めたところを馬車で轢き潰せ!」
吼えると同時に、密集するゴブリンの群れへ真正面から突っ込んだ。血の噴水が上がり、視界が赤く染まる。死の恐怖と殺戮の興奮が脳を焼くが、手足は意思があるかのように動き続ける。
「ラウル! ジュリアン! 戦線を維持しろ! 包囲殲滅する!」
俺は絶叫して指示を飛ばしながら腕を振るう。
「レオ、今だ!」
「承知! お二人とも、舌を噛まないように!」
馬車が猛然と加速し、俺たちの脇をすり抜けて群れの中心部へ突っ込む。
「きゃあああ!」
「コレット! 体を支えて!」
二人の悲鳴を置き去りに、堅牢な軍用馬車は暴走機関車のごとくゴブリンを跳ね飛ばし、群れの一角を文字通り轢き潰した。
◇
包囲を切り刻まれ、中央に巨大な楔を打ち込まれたゴブリンの群れは、もはや烏合の衆だった。俺たちは扇を畳むように前線を押し上げ、残党を森の奥へと追い散らす。
完全なパニックに陥った緑色の小鬼たちは、我先にと逃げ出し、あるいは同士討ちを始めて勝手に自滅していった。
逃げ惑う背中を見送ると、森に嘘のような静寂が降りてくる。
救い出した友軍の通信兵は、泥と血に塗れた手で、まだ狼煙用の火打ち石を握りしめたまま呆然と俺たちを見上げていた。
助かった安堵など微塵もない。その虚ろな瞳は、明日も続くであろう地獄に生き残ってしまった恐怖だけを映している。
(……これが、西部戦区の日常ってわけだ)
勝利の歓声など上がるはずもない。血の匂いと、圧倒的な「現実」だけがそこに横たわっていた。




