7.突然の知らせ
婚約に関する書類が受理され正式にダヴィッド伯爵家とリッシュ伯爵家が縁を結ぶことになってからというもの、両家はそれぞれにブランディーヌの嫁入りの際に必要となる部屋や調度品や薬草の手配などを整えつつ、本人たちは基本的に手紙でのやり取りを交わしながら時折リッシュ伯爵家で顔合わせの日のように二人で庭園を歩いて少しずつ言葉を交わすなど、徐々にではあるが交流を開始し始めていた。
その、矢先の出来事だった。
「リッシュ伯爵が!?」
昼食後に父ダヴィッド伯爵から執務室に来るようにと言われていたブランディーヌは、突然聞かされた事実に驚き思わず声を上げてしまう。だが、テーブルを挟んで向かいのソファーに座っているダヴィッド伯爵の表情は彼女のその反応を予想していたのか、一切動くことはない。
「あぁ。今朝リッシュ伯爵家から届いた手紙に、突然病に倒れたと書かれていたのだよ。しかもどうやら、自力で起き上がるのさえ難しいほどの重症らしくてね」
むしろ深刻そうな沈痛な面持ちのまま、ダヴィッド伯爵は一度立ち上がり執務机の上に置いていたその手紙を手に取りソファーへと戻ると、テーブルの上にそっとそれを置きブランディーヌの前へと差し出してくる。
そんな父の珍しい様子につい手紙とその顔を交互に見比べてしまったブランディーヌだったが、やがて意を決したように目の前のテーブルに置かれた手紙に手を伸ばしそっと開いて目を通してみると、確かにリッシュ伯爵が病に倒れてしまったのだという事実だけが淡々と書かれていたのだった。
「こちらの手紙の信憑性は……」
「封蝋に使われていた印章は正しくリッシュ伯爵のもので、我が家まで届けにきたのもあちらの家の使用人だった。すでに手紙の返事を持たせたけれど、彼が言うには突然のことで屋敷の中も混乱していて、今は家令が使用人たちに指示を出しなんとか仕事を回している状態らしい。ちなみに筆跡が今までと違うのは手紙にも書かれている通り、代筆させたからだと言われたよ」
「つまり現在のリッシュ伯爵は、手紙を書くことすらままならないほど病が進行している、ということなのですよね?」
「内容を読んでわかる通り会話を交わすことは可能らしいけれど、この短期間で自力でベッドから起き上がることもできなくなってしまうほどとなると、おそらくはかなり進行が速い病なのかもしれない」
ある日突然体に力が入らなくなってしまったというリッシュ伯爵が、ペンを握るどころか自分の力だけで座ることもままならない状態になってしまったと、確かに以前とは違う筆跡で手紙には書かれていた。文面からすると、おそらく伯爵自身が口にしたことを誰かが代筆して書いた手紙なのだろうが、前回ブランディーヌがリッシュ伯爵邸へと訪れ挨拶を交わした際には疲れや顔色の悪さなどもなく、突然病に倒れてしまうような兆候があるようにも見受けられなかったが、実際この手紙が届いているということはそれが事実なのだろう。
もちろんダヴィッド伯爵家は薬草を扱う関係で病にはある程度の知識を持っているが、専門的かつ高度な知識を持つ医者ほどではない。なので、ほんのわずかな時間顔を合わせただけのブランディーヌがそこまで見抜けなかった可能性も確かにあるのだが、それにしても急すぎるとつい疑いの目を向けてしまいたくなるのは最初の手紙の図々しさが印象に強く残っているせいかもしれない。
ちなみに、今のところリッシュ伯爵以外に同じような症状は見られないことから感染症ではないだろうとのことだったが、主治医からは免疫力が落ちている可能性も否定できないのでなるべく決まった人間以外とは接触しないようにと言われているとのことだった。
「気になるところではあるのですが、屋敷の中でも面会制限をかけている状況のようですので、わたくしもしばらくの間はリッシュ伯爵領へは赴かないほうがよいのかもしれませんね」
「そうだね。万が一にも免疫系の疾患だった場合には、外部から持ち込んだ細菌などが症状をさらに悪化させてしまうかもしれない危険性があるから、今回は花などの見舞い品も控えたほうがいい」
「はい。念のためジスラン様にもそういった理由でしばらくはお会いできない旨と、お見舞いの品をお届けすることも控えさせていただきますとお手紙に書いてお伝えしておきますね」
「それがいいかもしれない。ブランディーヌから聞いている彼の様子からすると、おそらくはそういった知識も不足しているだろうからね」
うなずき合う親子の間では、今までリッシュ伯爵邸で見聞きしたこと全てを共有してきていた。だからこそダヴィッド伯爵も知っているのだ。リッシュ伯爵の跡取りになるはずのジスランが、あまりにも貴族としての常識を知らなすぎるのだという事実を。
そうでなくとも病に関する知識など、本来ならば貴族が持ち得るようなものではない。あくまでダヴィッド伯爵家が特殊なだけで、これが他の家だった場合にはなにも考えずに見舞いの花などがリッシュ伯爵へと届けられていたことだろう。その危険性すら、なにひとつ知らないまま。
「それといい機会だから、この事実が嫡男にも共有されているのか一度しっかりと確かめておくのもいいかもしれないよ」
「そう、ですね。さすがにそこまでぞんざいな扱いは受けていないと、信じたいところではありますが……」
返す言葉の歯切れが悪くなってしまうのは、何度か訪れたリッシュ伯爵邸で見てきたジスランや周囲の使用人たちの様子から、そういった過去があったかもしれないという事実をブランディーヌ自身がなんとなく感じ取ってしまっているから。客人である彼女がいる手前そこまであからさまな態度ではないものの、時折使用人たちの態度が嫡男に対するそれとは若干違うように見受けられることが、これまで何度かあった。それは見下しているというよりも、むしろどこか戸惑っているような、そんな違和感を覚えるようなものだったのだが。
(まだ距離を縮めるには、もう少し時間が必要なのかもしれないわね)
特に今後はリッシュ伯爵の容態を見ながらの交流になっていくので、今まで以上に時間がかかるかもしれない。
そう考えていたブランディーヌだったが、そう悠長なことも言っていられなくなってしまったのはこの突然の知らせをダヴィッド伯爵家が受け取ってから、わずか十日後のことだった。