6.夫婦になる決意
(これは……わたくしが想像していた以上に、闇が深いのかもしれないわ)
あまりにも弱気すぎるその発言に、ブランディーヌは早々にその一端を垣間見てしまったような気がしたのだが、彼女はあえてそれ自体を今考えることはせず。代わりに――。
「まぁ。でしたらわたくしが全力でジスラン様のことを愛して差し上げますので、ぜひともそこから学んでくださいませ」
「!?」
にっこりと、それはそれはいい笑顔で告げたのは、そんな言葉たち。当然ジスランは驚いたように顔を上げ緑青色の瞳を大きく見開きながら、今日出会って初めて真っ直ぐこちらへと視線を向けてきた。
そんな彼の様子にブランディーヌは若干の満足感を覚えながらも、あえてジスランが驚きから立ち直るのを待たずに言葉を続ける。
「なにか分からないことがありましたら、その都度わたくしに確認していただければ問題が起きることはありませんもの。夫婦の形は人それぞれなのですから、わたくしたちはわたくしたちだけの正解を見つけていけばいいのですよ」
「ダヴィッド伯爵令嬢……」
穏やかな風が吹く中微笑むブランディーヌとは対照的に、どう返答すべきなのか分からずに困惑の表情を浮かべるジスラン。その素直さは貴族としては失格なのかもしれないが、この時のブランディーヌにはどこか好ましくさえ思えるようなものだった。
そもそもこの婚約は、今さらなかったことになどできないのだ。であればこれから正式な夫婦となるまでの婚約期間中に、少しでも二人の間にある距離を縮めておくべきなのは当然のことだろう。そしてそのためにはジスランが自主的に動くことを待つよりも、ブランディーヌが直接教えていったほうがどう考えても早いし効率がいい。
(それにこのご様子だと、きっと本当に跡継ぎとしてどころか、貴族としての教育すら間に合っていないのでしょうから)
リッシュ伯爵家を乗っ取る以前に、はたして今後もこの家が存続できるかどうかも怪しいところなのだろう。だからこそダヴィッド伯爵家という後ろ盾を、リッシュ伯爵はなにがなんでも欲しがったのだ。
正直なところを言ってしまえばブランディーヌとしては、どうして愛せるか自信がないなどという言葉が出てきたのかということを直接ジスラン本人に尋ねてしまいたいところではあったのだが、今はまだそこまでの信頼関係を築けているとは思えないと判断して、あえて違うことを彼女は口にする。
「ですので、まずは手始めにお互い名前で呼び合うことにいたしませんか?」
「……へ?」
胸の前で両の手のひらを合わせながら、にっこりと笑みを浮かべて小首をかしげてみせる。そんな彼女の姿と言葉に脳の処理速度が追いついていないのかジスランは間抜けな声を上げると、まるで小さな子供がするように小首をかしげつつ瞬きを繰り返していた。
おそらく無意識なのであろうその無防備な彼の姿のあまりのかわいさに思わずときめいてしまったブランディーヌは、笑顔のまま慌てて両手の指先でしっかりと口元をおさえる。こうでもしなければ、そのまま素直にかわいいと口に出してしまいそうだったからだ。
(まぁまぁ……! まさかわたくしの婚約者が、こんなにもかわいらしい一面をお持ちだったなんて……!)
もちろん心の中ではしっかりと本心を叫んでいたが、嬉しい誤算を知ることができた喜びで予想外に胸の内は満たされていた。
そして同時に、彼女は思う。これならば今後もうまくやっていけるかもしれない、と。
けれど、このまま二人黙って見つめ合っているわけにもいかないのでブランディーヌはひとつ小さく咳ばらいをすると、いまだに固まっているジスランに向かってこう語りかけ始めたのだった。
「わたくしたちは今日初めて顔を合わせたばかりですが、書類上では婚約者であり将来は夫婦となる仲ですから。今からお互い少しずつ現状に慣れて夫婦となる日までに距離を縮めておけるよう、できることから始めていく努力が大切なのではないでしょうか」
「そ、れは…………そう、ですね……」
納得していないということではなく、まだうまく飲み込めていないような雰囲気ではあるが、それでもジスラン本人がそう答えたのだからいいだろうと判断して、ブランディーヌは再び彼へと笑顔を向ける。
「なので、わたくしは今後もジスラン様とお名前でお呼びいたしますね」
「え……あ。は、はい……。……っ!!」
少し戸惑った様子でうなずいてから、なにかに気がついたようにハッとした彼の表情を見て、ジスランの頭の回転の速さは案外悪くないのではないだろうかとブランディーヌはふと思う。おそらく彼にとっては予想外のことばかりが起きているのであろうことは容易に想像がつくし、だからこそどうしても戸惑いを隠しきれないのだと理解はしている。だが最初が肝心だということを熟知している彼女は、ここで譲るつもりは一切なかった。
「ですからどうかジスラン様も、わたくしのことはブランディーヌとお呼びくださいませ」
「い、いやいやいやいや……! そんな……!」
「夫となる方にいつまでもダヴィッド伯爵令嬢と呼ばれていては、わたくしも周囲も困ってしまいますもの」
「うっ……」
徐々に自分が追い詰められていることに気がついたらしいジスランは、ブランディーヌに向けている視線から逃れるようにその緑青色の瞳をあちらこちらへとさまよわせる。だが、将来夫婦になるのだという決意を新たにした彼女の空色の瞳からは、簡単に逃げられるはずもなく。
「さぁ、ジスラン様。まずはそこから頑張ってみましょう」
「~~~~っ!!」
結果、小さな声でジスランが「ブ……ブランディーヌ様……」とつぶやくようにその名前を呼ぶまで、彼女は本当に辛抱強く待ち続けたのだった。
ちなみにこの日、薬草を植えたい場所の目星までしっかりとつけて領地へと戻ったブランディーヌは、それはそれはご機嫌だったのだが。それとは対照的にジスランは疲れ果ててしまっていたようで、夕食後はすぐに自室へとこもってしまったことを、この時の彼女はまだ知らずにいた。
ブランディーヌがその事実を知って、そんなにかわいいことになっていたのかと再び心の中で叫ぶのは、もっとずっと先の話である。
~他作品情報~
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