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5.自信がない

 リッシュ伯爵の提案を受けて庭園へと足を踏み入れた二人を、まばゆいばかりの緑と色とりどりの花たちが出迎える。穏やかな風が吹くこの場所は、確かに薬草を育てるのにも申し分ない環境なのかもしれない。


(いえ。今わたくしが考えるべき優先事項としては、リッシュ伯爵家についてのはずよね)


 思わず薬草のことばかり考えてしまいそうになる自分の思考に待ったをかけて、隣を歩く人物の顔を盗み見るかのように視線だけを向けてみる。ブランディーヌも女性にしては背が高いほうなのだが、そんな彼女がヒールのある靴を履いていてもなお見上げなければならないほどの位置に頭があるということは、それだけジスランの身長が高いことを意味しているのだろう。


(お父様やお兄様よりも、さらに高いのかもしれないわ)


 普段から見上げている位置よりもさらに上に視線を向けなければ、表情ひとつうかがい知ることはできない。けれどそのおかげで、応接間ではほとんど見ることができなかった彼の緑青色の瞳が、その白銀の髪の間から時々姿を現すようになっていた。

 おそらく普段から背中を丸めがちなのだろう。そしてうつむきがちなのも。けれどそれ以上に、普通に立っていても目元がかなり隠れてしまうほどジスランが前髪を長く伸ばしているのだという事実に、ブランディーヌは今初めて気がついた。なにせ先ほどまで彼は黙ってソファーに腰かけたままうつむき、まともに目を合わせることすらしてくれなかったので、そこまで観察しきれていなかったのだ。

 あれだけしっかりと下を向いてしまっていては、誰だって前髪で目元が隠れてしまうだろう。だからそれがまさか、そもそもの長さからして普通ではない状態にあるなど考えもしなかった。


(前髪を伸ばしているのは、その瞳の色を隠すためなのかしら?)


 リッシュ伯爵から届いた手紙の内容を考えれば、あながち間違いではないのかもしれない。息子の婚約相手になってもらおうと働きかけた相手の家に、あんな内容の手紙を送ってくるほどなのだ。おそらく悪気など一切なく、ジスラン本人にも毒と同じ色だとかそういった言葉を告げてきた可能性が高い。そうでなければ、貴族令息として非常識と言っても過言ではないほど前髪をここまで長く伸ばすなど、普通に考えてあり得ないだろう。

 だがそれ以上にブランディーヌが気になったのは、彼が今も背中を丸めうつむきながら歩いているという現実だった。


(本来貴族として教育を受けていれば、真っ先に注意をされるはずよ)


 だというのに、二十二歳だというジスランは立ち姿ひとつとっても伯爵令息として教育を受けてきたようには見受けられず、さらにはリッシュ伯爵家の誰もがそれを当然のこととして受け入れているようにしか見えないこの状況から察するに、この家がかなり大きな問題を抱えていることはまず間違いないと考えていいだろう。

 厄介な家に嫁ぐことになってしまいそうだと白銀のすき間から見える緑青色から視線を外しつつ、ブランディーヌは彼に気づかれぬようにそっと息をついた。

 ちなみに今現在もあえて話しかけず様子をうかがっているのだが、こちらに目線を向けることすらしないジスランから話題が振られる気配はない。確かリッシュ伯爵は庭を案内しろと言っていたはずなのだが、彼からすれば連れて行くことだけが案内という意味合いを持っているのかもしれないと考えると、ブランディーヌの気分と思考はさらに落ちそうになる。


(おそらくこれまで、本人がそういった対応をされてきたのでしょうね)


 だからこういった場合に、女性に対して退屈させないよう話題を振るということすら知らない。

 そう、きっと彼は知らないのだ。緊張しているとか、そういうことですらなく。基礎的な知識も貴族としての基本も、なにもかもを知らないままここまで育ってきてしまったのだろう。そうでなければ、婚約者やその父親を前にして目線も合わせることなくうつむいたままなど、どう考えてもあり得ない対応の仕方なのだから。

 問題は、それがどこまで影響しているのかということ。

 ここまでのジスランの様子から推察すれば、これまでこの屋敷の中で彼がまともな対応をされてきたとは到底思えない。むしろ疎まれて育ってきたと言われたほうがよほど納得できるが、ただそうなってくると場合によっては人としての基本的な常識すら知らないままの可能性も出てくる。そうなった場合、彼を扱いやすい人物と捉えるべきかそれとも妻として支えるのに苦労しそうな人物だと捉えるべきか、今の段階では情報が少なすぎて判断が難しいところだ。


(ただ、これ以上の情報は直接お話ししてみないことには得られそうにないわね)


 そう結論づけたブランディーヌは、風に揺れた花に気を取られたふりをしてそっと目線を横に流す。その瞬間、遠くからこちらの様子をうかがっているリッシュ伯爵家の使用人たちの姿が、視界の端に映る。


(この距離であれば、わたくしたちの声までは聞き取れないでしょうね)


 本来ならばすぐ側にいるはずの使用人がこの距離感を保っているということは、それ自体がリッシュ伯爵の指示である可能性が高い。ようするに、今のうちに二人の仲を深めておけということなのだろう。もしくはジスランに対する、無言の圧力なのか。


(後者であった場合には、おそらく本人にだけは意図が伝わっていないのでしょうけれど)


 それは二人の親子関係だったりジスランへの教育の進み具合などの問題であって、今この場ではブランディーヌになんの関係もない。だが、せっかくのチャンスを無駄にする必要もないだろうと思い切って色々と質問してみようと口を開きかけた、その時だった。ふと彼が足を止めて、相変わらず目線を合わせないまま唐突にこう告げたのだ。


「ダヴィッド伯爵令嬢、私は……あなたを愛せるか、自信がないのです」


 ジスランからの脈絡もない突然の告白に、予想もしていなかったブランディーヌは彼と同じように足を止めて、思わずその顔をまじまじと見上げてしまう。彼の真意と状況がつかめずに二回三回と瞬きを繰り返してしまったその空色の瞳は、ただただ真っ直ぐにジスランだけを映していた。



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