4.初顔合わせ
「色よいお返事をいただけて、大変光栄ですよ」
社交シーズン中ではなかったためリッシュ伯爵領にまで赴いての初顔合わせとなったこの日、応接間での最初の挨拶の段階から一番の笑顔を見せていたのは、リッシュ伯爵家当主であるヴァンサン・リッシュである。光り輝く白銀の短髪に冷たい青の瞳というその容姿が、まるで冬の寒空を連想させるような人物だ。
この婚約に関してダヴィッド伯爵家からは、念のため国としても機密事項が多いダヴィッド伯爵領への立ち入りは許可制であることを伝えたうえで、さらに嫁がせる予定のブランディーヌは薬草については女性らしく美容に関わる部分にしか興味がないのだと若干のウソを混ぜた返答をしていた。だがそれでも構わないということだったので、この婚約が成立したのだ。めでたいのかどうかという部分はダヴィッド伯爵家にとってはまた別の話であり、そこについてはリッシュ伯爵家との間の認識にかなり大きな差があることも確かではあるが。
「事前にお約束していた通り、娘が今後も研究を続けられるように庭の一部と、専用の部屋を与えていただけるのですよね?」
「もちろんですとも! むしろ女性にとって美は常に追求し続けたいものでしょうし、こちらからお願いしたいくらいですよ! 必要とあらば事前に薬草だけ持ち込んでいただいて、庭師に世話もさせましょう!」
だが今のリッシュ伯爵は冷たい印象を与える見た目とは裏腹に、それはそれは大層ご機嫌な様子でダヴィッド伯爵と会話を続けている。その間、彼の隣に座っているブランディーヌの婚約相手であるはずのジスラン・リッシュは下を向いたまま、ひと言も言葉を発しないどころか前髪で目元を隠してこちらを見ようともしていなかった。
父親譲りなのであろうジスランの光り輝く白銀の髪はリッシュ伯爵とは正反対に長く伸ばされていて、一見するとその艶やかさから手入れが行き届いているようにも思える。だが高い位置で結ばれているその髪の毛先のほうをよく見てみると途中から縮れやうねりがあり、明らかにその部分だけ痛みが激しい。根元部分と同じように手入れされていればそこまで酷くはならないことを知っているブランディーヌは、おそらくその境目となるあたりで本来の嫡男が病気で亡くなったため彼が跡取りとなり、同時にしっかりとした教育や世話がされるようになったのだろうと推測する。
(ただこれでは、誰と誰の婚約なのか分からないわね)
ため息をつきたい気持ちをぐっとこらえて、ブランディーヌはそっとジスランから視線を外した。なにせ彼が言葉を発したのは、最初の挨拶で名を名乗った時のみ。しかもその際ですら目を合わせようとはせず、どこかうつむきがちだったのだ。
(緑青色の瞳、ねぇ)
婚約するにあたって当主同士でいくつか手紙のやり取りをしている中で、リッシュ伯爵が息子のことについて言及することがあった。その際手紙には、毒性があると言われている緑青と同じ色の瞳を本人が気にしているためどうしても普段からうつむきがちで消極的になってしまっているが、そこはあまり気にしないでほしいと書かれていたことを実際にブランディーヌはその手紙を読ませてもらっているので、よく覚えている。
(緑青なんて、他の金属と毒性はほぼ変わらないというのに。無知とは恐ろしいわね)
けれど、まともに教育を受けてこなかったであろうジスラン本人が緑青やその毒性の有無などについて知っているとは思えないのだと、父であるダヴィッド伯爵は口にしていた。もちろんブランディーヌとしても同意見であるし、むしろ周囲からそう言われて育ってきた可能性が高いとすら考えている。
ちなみに緑青とは銅などの金属の表面に発生する緑色のサビのことで、確かに昔は毒があると考えられていたらしい。だが今では有識者の間では金属の腐食を防ぐ効果があるとされ、また芸術家の中にはその独特の色合いを作品に取り入れていたり時の経過を楽しんでいたりと、むしろ比較的好意的に受け入れられている存在なのだ。
(その事実を知らずに、今でも毒があると信じているのかしら)
ジスランがこれまで周囲にどう言われてきたのかは、今後調べていけば分かることだろう。だがまさか古い定説を今でも信じているなど、研究者気質のブランディーヌからすればあり得ないことだった。
しかし一方で、こうも考える。嫁ぎ先の家の人物がそろいもそろって思い込みが激しく、また一度信じたものを疑うことすら知らないようであれば、むしろ操りやすく大変ありがたい存在なのではないか、と。
残念ながら彼女はその見た目に反して大変貴族らしい性格をしており、さらには自らの研究のためならば誰かを利用することもある程度許容できるような人物だった。見た目を最大限に整えているのもその性格や本心に気づかれないようにするためであり、同時に研究の成果を示す方法として最も効率的だったというだけのことである。事実ブランディーヌの外見にだまされた人物が数多くいたことは確かであり、そしてデビュタントとして夜会に出席した際には同じデビュタントの女性たちに髪や肌の美しさの秘訣はなんなのかと何度も聞かれたのだから、彼女の考え方は間違っていなかったともいえるだろう。ただしそれが正しいのかどうかと聞かれれば、それはそれで判断が難しいところではあるが。
だがいずれにせよ、今はまだそこまで大々的に動くべき時ではない。
「せっかく来ていただいたのですしダヴィッド伯爵令嬢に実際我が家の庭を見ていただいて、どこにどれだけの薬草を植える予定なのかを事前に決めていただくというのはどうでしょう?」
「それは、大変ありがたいお申し出ではありますが……」
「でしたら、ぜひ! ほらジスラン、案内して差し上げろ」
「は、はい」
今後の情報を得るためにも沈黙を貫く人物にどう歩み寄っていけばいいのだろうかと考えつつも、リッシュ伯爵家を乗っ取るための第一歩として興味を持ってもらえている髪油や香油の販売を今後はこちらでもできるようにしていこうか、などと不穏なことを計画しているブランディーヌの本心を知る由もないリッシュ伯爵からの提案に曖昧に答えると、なぜか婚約者となるジスラン本人が案内人として指名されるという事態になってしまう。今の彼女からすればありがたいような迷惑なような、どちらとも取れない微妙な展開だった。
(それにしても、この返答の仕方と脅え方……。普段はもっと高圧的に命令しているのかもしれないわね)
もしくは幼い頃からの刷り込みか。いずれにせよ、この親子は普通の関係ではないのだろう。
そんなことを思いながらもふと隣に座る父へとブランディーヌが視線を向けると、意味深な笑顔でうなずかれてしまう。つまり、少しでも内情を探っておいでということのようだ。
この場で決定権を持つのは、各家の当主の二人のみ。そしてそのどちらもが許可を出したのだから、これはもはや決定事項である。
「そう、ですね。でしたらお言葉に甘えて、よろしくお願いいたします」
だからこそブランディーヌはうなずいて、相手の出方をうかがうためにもジスランに手を差し出したのだが。
「よ、よろしくお願いいたします」
どうにも自信がなさそうに背を丸めているその姿に、早くも不安になってしまう。
それでもこの手を取ってくれただけまだいいほうなのだろうと自分に言い聞かせて、ブランディーヌはジスランに連れられ応接間をあとにしたのだった。