31.それから
それから一年後。無事婚姻を終え夫婦となったジスランとブランディーヌは、本当に愛し合える夫婦になるため今まで以上にお互い積極的に時間を作り、仲を深めるため二人きりで出かける機会も徐々に増やしていた。
「え!? そ、その……」
「夫婦なのですから、敬称をつけて呼び合うのもおかしな話ではありませんか」
「そ、そうなのですか?」
「はい。少なくともわたくしのお父様とお母様は、互いに名前で呼び合っていましたもの」
ただしその会話の内容は主に、ブランディーヌの「愛とはこういうもの」「夫婦とはこういうもの」という言葉にジスランがひたすらに押され気味で、結局最後には言われた通りに従ってしまうというお決まりのパターンになってしまっているのだが。
「……ジスレーヌは? 君の両親も、そういった関係だったのかい?」
「大変申し上げにくいのですが、私も旦那様と同じように隔離されて育てられた身ですので、あまりそういったことには明るくないのです」
「そ、そうなのか」
ちなみにこの一年の間に、ジスランはリッシュ伯爵として使用人たちとも少しずつ関わりを持つようになっており、最近では自分から彼らに話しかけられるようになるくらいには成長を遂げていた。それもこれも、失っていた自信を取り戻すことができたからだろう。そしてなにより立場というものをしっかりと理解し、ブランディーヌや他の貴族に対する時は今まで通りの口調なのだが使用人に対しては決して敬語で話さないようにと教育し直された結果、当主として恥ずかしくない振る舞いができるようにもなっていた。
「おはようとお休みのキスは、先日覚えてくださったではありませんか」
「そっ、それはっ……!」
ただし恋愛面ではまだまだ未熟な彼は、今日もまた愛妻に新しいことに挑戦させられてタジタジになっているのだが、実はジスランがブランディーヌに想いを寄せているという事実は見ている周囲だけではなく、それを向けられているブランディーヌ本人も自覚しているのだ。そのうえでの、これ。
(あぁっ。今日もジスラン様が大変かわいらしくて癒されるわ……! わたくしこれだけで、あと十日は頑張れそう)
そう、つまりこの状況をブランディーヌは楽しんでいるのだ。愛を知らないと口にしていた年上の夫が、自分の言葉に素直に従って困ったり一生懸命になっている姿など、彼女にとってはたまらない癒しだった。
もちろん意地悪でそんなことをしているのではなく、実際に愛にあまりにも疎いジスランのため情緒を鍛える必要があるだろうと考え、それならばせめて楽しくなければという理由で行われているだけなのだ。そしてジスランにとっては残念なことに周囲もその事実を理解しているため、あのピエールでさえも一切止めるようなそぶりはこれまで見せていない。
「ねぇ、ジスレーヌ。あなただって当主夫婦の仲が冷めきっているよりは、常に仲睦まじく寄り添っているほうが、仕えていてやりがいがあるでしょう?」
「もちろんです、奥様」
「ジスレーヌ!?」
さらにはこの一年で、ジスラン自身がジスレーヌに対してブランディーヌがどれほど素晴らしい人物なのかと力説した結果、なぜかジスレーヌはブランディーヌに絶対的な忠誠を誓っていた。
ジスランと無事に婚姻を終え、正式にリッシュ伯爵家の一員となり伯爵夫人となったその日に、ブランディーヌはジスレーヌから直接こう言われていたのだ。「新たな誓いを、奥様に捧げます」と。それは彼女にとって生家である子爵家との決別を表す言葉であるのと同時に、生涯使える相手を自らの意思で選ぶという覚悟でもあった。だからブランディーヌもその言葉を受け入れて「期待しているわ、ジスレーヌ」と返していたのだ。
周囲の侍女たちはおろか、ジスランですらそのことは知らない。これはブランディーヌとジスレーヌ、二人だけの間での誓いの言葉だったから。つまりあの日、ブランディーヌはジスランとの夫婦の誓いだけではなく、ジスレーヌとも主従の誓いを交わしていたことになる。
同じ日に二つの誓いを受けるなど、そうそうある体験ではないだろう。だがジスレーヌにとっては、おそらくその日こそが重要だったのだろうとブランディーヌは理解していた。ダヴィッド伯爵家の令嬢ではなくリッシュ伯爵家の夫人への誓いであることこそが、彼女にとって一生をかけて罪を償っていくという決意の表れでもあったのだから。
「私たちは『ブランディーヌ様を褒めたたえる会』の会員だろう!? 敬称をつけずに名前を呼ぶなど、規則違反になるのではないか!?」
「いいえ。私ども使用人とは違い、旦那様は夫という立場でいらっしゃいますので。何事にも、例外というものがございますから」
「い、いいのか!? 本当に!?」
「もちろんでございます。副会長の私が言うのですから、間違いありません」
ただし、その後なにやらおかしな会がリッシュ伯爵邸の中で結成されていたのだが、ブランディーヌは今まであえてそのことには触れずにきていた。というのも、別段その会自体に害はなさそうだと判断したからなのだが……。
(本人の目の前で堂々とそんな会話を繰り広げるのも、どうかと思うのだけれど?)
とはいえ、あえて口を出すこともなければ笑顔を崩すこともない。ただ優雅に微笑んで、まるで母と子のような二人の様子を見守るだけである。
ジスランとジスレーヌによって結成された『ブランディーヌ様を褒めたたえる会』の会員数が今どれほどのものになっているのかは、さすがにブランディーヌであっても把握していない。むしろ一切気がついていないフリをして、放置を決め込んでいるのだ。というのも、その内容がどこぞの宗教のような熱狂を帯びているのだという事実を知り、これは教祖のように祭り上げられないよう逆に距離を置いておくべき存在だろうと判断したためである。実際ジスレーヌの言動など、ほぼ信奉者のそれだった。そしてジスランが彼女に対して行っていたのは、もはや布教に近いことだったとあとから知ってしまったのも、距離を置くことを決意した理由のひとつだ。
(屋敷の中だけで留めておいてくれるのであれば、変に抑圧して不満が出るよりもよほど操りやすくていいわ)
神のように崇めている相手がまさかそんなことを考えているとは露ほども知らない二人だったが、はたしてブランディーヌの屋敷の中だけならばという願いがこの先も通じるのかどうかは分からない。だが今の彼女にとってはそんな不確定な未来のことよりも、夫となったかわいい男性を自分好みに育てていくことのほうがなによりも重要で、そして今一番楽しいことなのだ。
はたして本当の意味でジスランがブランディーヌと想いを交わす日が訪れるのかどうかは、現段階ではまだ誰にも判断できないことではあるが、少なくともリッシュ伯爵邸内ではこれからも平和な日々が続いていくことはまず間違いない。なにせ新しいリッシュ伯爵夫婦の新事業がすでに軌道に乗り始めているので、このまま薬草園を領地内に拡大していくことが決定しており、現在もその準備に領民たちはうれしくも忙しい日々を送っているのだから。
誰もがこれから先の大成功を確信している中、その中心にいる薬草のスペシャリストのダヴィッド伯爵家から嫁いできた人物はのびのびと日夜研究に励んでいるのだが、その傍らにはこうして夫と腹心の部下が寄り添い常に笑顔の絶えない会話を繰り広げているのだから、これから先は事業だけでなくリッシュ伯爵家の未来も明るいものとなるのだろう。
これにて完結です!
この次は「あとがき」となりますので、興味のある方だけ、どうぞお進みください。
ここまでの方は、またどこか別の作品でお会いできたら嬉しいです!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!m(>_<*m))
~他作品情報~
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「待てば¥0」の話数も1話増えておりますので、ぜひ読んでハートをたくさん押していただけると嬉しいです♪
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