2.ダヴィッド伯爵家
「つまり遠い昔の出来事を今さら持ち出してきて、すでにこちらからのお礼をすませているにもかかわらず借りを返せとあまりよろしくない家から脅されている、と。そういうことでよろしいでしょうか?」
「うん、端的に言うとそうかもしれないけれどね。もう少し言葉は選ぼうか」
「あら。もしもわたくしのこの発言が外部に漏れるようなことがあった場合には、その犯人は今この場にいることになりますね」
「いや、それは確かなのだけれど……。私はそういうことを言っているのではないのだよ?」
当主である父が悩むほどの案件なのであれば早いうちに詳しい話を聞いておくべきだろうと、ブランディーヌは父親のダヴィッド伯爵を急かしてカントリーハウスの中にある執務室へと向かい、詳細が書かれているという手紙を読ませてもらった。
そうして出てきた結論が、先ほどのものだ。
「二十年も昔の、さらには他国による配送の手違いだったにもかかわらず、恩着せがましくそのことを持ち出すような方がご当主なのですもの。しかもお礼の二重取りをしようだなんて、もはや盗人同然ではありませんか」
ダヴィッド伯爵の補足によると、当時珍しい薬草を取り寄せ楽しみに待っていた彼が予定日になっても荷物が到着しないことを不審に思い、取引先の国の担当者に確認したところ誤配送が発覚したのだとか。そこで急いでその配送先にも連絡し、別の荷物に紛れ込んでいたところを発見し保管してくれていたのが、今回ブランディーヌに息子との婚約を半ば脅すかのような文面で要求してきたヴァンサン・リッシュ伯爵なのだそうだ。
当時はまだお互い若く、またどちらも伯爵位についていたわけではなかったため軽い手紙のやり取りをした程度で、実際の配送などに関する手配の件を文書に残すようなことも一切していなかったのだという。
「確かに感謝はしているが相応の礼もその際にすでに済んでいるし、かなり遠い昔の出来事だからね。正直、今頃になってそんな過去のことを持ち出して借りを返せと言われても、とは思っているのだけれど……」
「では、お断りしてしまえばいいのではないですか? 特に我がダヴィッド伯爵家の知識は、こんなおかしな家に渡してよいものではありませんもの」
国内においてダヴィッド伯爵家が薬草のスペシャリストだということは、すでに売り出している薬の効果も合わせてよく知られていた。特にダヴィッド伯爵領で採れた薬草類は大変品質もよく、国内外から求められるほど名も売れているのだ。
けれどだからこそ、その知識を悪用することも容易にできてしまう。そのためダヴィッド伯爵家では常に子供たちに厳しい教育を施し、万が一にも薬草を扱うのに不適切な性格をしていると判断された場合には即刻親戚の家へと養子に出すことで、徹底的に問題が起こらないように管理してきた。
そんな中での、この婚約話なのだ。明らかに断るべき案件であることはブランディーヌでもよく分かるし、当主であるダヴィッド伯爵がそんな簡単なことを理解していないはずがない。
だが、事態はそう簡単ではないらしく。
「それができたら苦労していないよ。リッシュ伯爵家といえば相手の弱みを握ったり、うわさ話を広げるのが得意だと言われているからね。社交界で変に立場を悪くしないためにはどうすればいいのかと、頭を悩ませていたんだ」
「まぁ」
断りたいという意思はあるが、どう返事をすれば波風を立てずに済むのかという部分で困っていたのだ。いかんせん普段は薬草のことばかり考えているせいで、社交界ではあまり他の家と積極的な交流を持とうとはしていなかった研究者気質だったことが、ここにきて彼の足を引っ張っている。
その特性上ダヴィッド伯爵家の知識は途切れさせることを許されておらず、生まれてきた子供には原則全員に薬草の知識を与えるようにしているため、時折こうして令嬢の嫁ぎ先問題が発生してしまうのだ。しかし男児だけに知識の継承をさせていては、令嬢以外の全員が突然の事故や病などでこの世を去ってしまうなどの万が一の事態が起きた場合、これまでの研究成果も含め全てが失われてしまう。その問題と危険性を天秤にかけた結果、薬の開発に比べれば知識の継承による不安要素はそこまで大きな問題にはならないだろうという判断のもと、最悪の場合は嫁がせないという選択肢を残すことで今日まで令嬢への薬草教育は続けられてきた。実際、過去に何度か男児が死亡してしまい女児しか残らなかったという歴史的な事実があることも、その方針が変わることのなかった要因の一つだろう。
「それならばいっそ、わたくしは基礎的な知識しか持たないということにいたしましょうか?」
「いや。リッシュ伯爵は薬草の知識が欲しいのではなく、あくまで嫡男である息子の婚約相手としてブランディーヌを指名してきているのだよ」
「あら、まぁ」
基本的にダヴィッド伯爵令嬢に持ちかけられる婚約話というのは、薬草絡みであることが多い。そのため、基本的な知識しか持たず実家から薬草を持ち出す予定もないということにしてしまえば、そんな娘に用はないと相手は諦めるのではないかとブランディーヌは考えたのだが、どうやら薬草の知識うんぬんは一切関係なく嫁取りしたいという話になっているようだ。
珍しいこともあるものだと思ったものの、けれど次の瞬間にふとその理由に思い至ってしまった彼女は、ポツリと小さくつぶやく。
「……外見を磨く努力を、わたくしは少々やりすぎてしまっていたのでしょうか?」
「うん、まぁ……そう、かもしれないね」
そんな娘の言葉に首を縦にも横にも振ることのできなかったダヴィッド伯爵は、困ったような笑みを浮かべながら曖昧に返事のようなものをこぼすだけにとどめていたのだった。