20.唯一の味方
「ジスラン様はジスレーヌのことを、いつから認識していらっしゃったのですか?」
誰にも聞かれたくない話をする際にはもはや定番となった、二人きりでの庭園の散歩の時間。気になっていたことを思い切って口にしたブランディーヌは、空色の瞳で真っ直ぐに緑青色の瞳を見上げながらそう問いかけた。
ちなみに最近では庭園を歩くことが多くなっているからなのか、それを伝えるとポレットが「まぁ……! やはりお二人だけでいられる空間というのは、とても大切なのですね!」となぜか興奮気味に妙な納得をしながら両手で頬を挟んで体をくねらせていたのだが、あれにいったいどういう意味があるのだろうかとブランディーヌは毎回不思議に思う。ただどうやらあの行動は興奮すると出るポレットの癖なのだということだけは理解できたので、彼女がどういう納得をしているのかは別として素直に準備はしてくれているのでそれでよしとしよう、とブランディーヌは考えていた。
「ジスレーヌのこと、ですか?」
「過去の使用人の配置に関する資料を眺めていて、少し気になったものですから……。実は彼女は、幼い頃のジスラン様に直接お会いしていたことがあったのではないかと思ったのです」
ジスランに対して回りくどいやり方は必要ない。ただ気になったことや疑問を素直に口にして、彼からの返答を待てばいいだけ。知らなければ知らないと正直に返ってくるし、知っている内容であればなるべく質問に答えようとしてくれる。ジスラン・リッシュとは、出会った頃から変わらずにそういう人物なのだから。
初期から変化している点があるとすれば、自信がついてきたのか話し方や立ち居振る舞いがかなり洗練され堂々としてきており、ここ最近では伯爵が板についてきたというところだろうか。それは大変喜ばしい変化なので、ぜひともそのまま努力を続けていって欲しいと願うブランディーヌである。
そしてそんな彼からの返答は、案の定ただ素直で真っ直ぐなものだった。ただし、その内容に衝撃を受けないという保証は一切なかったのだが。
「はい、ありますよ。ジスレーヌは当時、唯一私に話しかけてくれていた母上の侍女でしたから」
「…………はい?」
ここにきてまさかの新事実発覚。しかも本人はまるで当然のことのように、あっけらかんとした表情をしながらサラリと口にするものだから。珍しくブランディーヌのほうが展開についていけず、思わずそう聞き返してしまっていた。
「今考えれば同情だったのだろうと理解はできるのですが、幼い頃の私にとっては彼女だけが優しくしてくれる味方のように見えていました。とはいえ、それも母上が病で亡くなるまでのことだったのですが」
穏やかな表情でジスランの口から語られたのは、誰も見ていないときにだけまだ幼かった彼に話しかけクッキーやアメなどの小さなお菓子をくれたのは、当時妾つきの専属侍女であったジスレーヌだけだったのだとか。不思議に思いどうして優しくしてくれるのかと聞けば、名前の響きが似ているから親近感が湧いたのだと言われたのをよく覚えているという。しかもそれ以来、ジスランも彼女に親近感を覚えるようになったのだと。
「私に話しかけるという行為がどれだけ危険だったのかということも、今ならばよく分かります。だからこそジスレーヌは誰にもそのことを話してこなかったのでしょうし、私も今まで聞かれるようなことがなかったので特に知られることもなかったのでしょうね」
つまり、過去の問題を引き合いに出されて今の地位を追われる可能性があるから言えなかったのだと、彼女のあの言動はそう解釈することもできる。
ただそうなってくると、同時に別の疑問が湧いてきてしまうのだ。
「なるほど……。今は侍女長になっているくらいですし、すぐに本邸のしかも伯爵夫人つきの専属侍女に選ばれたほどですから、ジスレーヌは当時から相当優秀だったのでしょうね」
「きっとそうなのでしょうね!」
ブランディーヌの言葉に嬉しそうにそう返してくるジスランだが、おそらく彼は本気で気がついていないのだろう。目の前にいる人物が、その当時の配置について疑問を抱いているのだという事実に。
(別邸で妾についていた人物を、他の場所での仕事も経験させずにすぐ本邸の夫人の専属侍女に? 普通の感覚で考えれば、まずありえないわ)
あのときジスレーヌが考える時間を必要としていたのが幼いジスランとのやり取りがあったことをブランディーヌに話していいのかどうかを迷っていたからだと仮定すれば、ウソは言っていないが完全に本当のことを言っているわけでもない、という中途半端な状態になってしまっていたことも理解できる。そしてブランディーヌが抱いた違和感の正体がそれだったのならば、確かに納得するしかない。
だがジスランの実母が亡くなった直後の再配置については、どうやったって説明がつかないのだ。なにせそれまで別邸に勤めていた人物なのだから、本来であればしばらくの間は今の本邸のやり方などをもう一度学び直す必要があるはず。それを完全に無視して屋敷内の管理を学んでいる次期女主人の専属侍女になど、本来ならば選ばれるはずがないのだ。事実、他の妾つきだった侍女たちはそのほとんどが本邸の別の場所にそれぞれ再配置され、その後正式な持ち場が決定している。
(……もしかして、ジスレーヌは伯爵夫人のお気に入りだった?)
それを妾つきにされてしまったが、その判断を下したのは当時のリッシュ伯爵。そしてそれはおそらくヴァンサン・リッシュですらなく、彼の父親である先々代のリッシュ伯爵の采配だったのだろう。であれば、いくら嫡男の正妻とはいえ否やを口に出すことはできなかったはず。
(だからといってこんなにも分かりやすく、すぐに自分の手元に置くなんてことがあるのかしら?)
資料が間違っているとは考えにくいし実際ジスレーヌも前伯爵夫人つきだと口にしていたのだから、おそらくはそれが真実なのだろう。だがブランディーヌが知りたいのはそこではなく、なぜその許可が下りたのかということだ。理由もなしに簡単に許されたとは、どうしても思えないのだ。
(ほかにもなにか裏があったと考えるのが、一番妥当よね)
そして同時に、ブランディーヌはふと思う。本当は彼女は、あまりその話題に触れてほしくなかったのではないだろうか、と。
そこまで考えて、あるひとつの可能性にブランディーヌはたどり着く。今まで不自然だと思ったことのなかったジスレーヌの言動の中に、実は本心を隠す際やウソをつく際に無意識にやってしまっている癖があったのではないかと、先日のやり取りを思い出しながら彼女は頭の中で必死に考えていた。
そう。癖をひとつも持たない人間など、この世には存在しない。素直なポレットやジスランですら、その人特有の癖があるのだ。であれば秘密を持っていそうなジスレーヌに癖がないなどということは、まずもってあり得ないだろう。
(共通している行動に、心当たりはあるわ。けれどもし、あれが本心からのものではないのだとすれば……)
一気に彼女の言動が怪しくなってしまう。
とはいえ、やはり断定できるような証拠はひとつもなく、さらにはジスランやピエールもまだ犯人ではないと断定できない。そして今現在、ジスランに毒が盛られているような様子も見受けられないのだ。
(このままでは、いたずらに時間が過ぎていってしまうだけよね)
全員を疑っていてはどうしようもない。このあたりで白黒ハッキリさせなければ、真実などいつまで経っても見えてくることはないだろう。なにより時間がかかりすぎてしまえば、犯人が毒薬を処分してしまう可能性もあるのだから。
(毒も薬も、見た目だけでは見分けがつかないもの。それならば疑われてもいないのに手放すよりも、手元に持っていたほうが安全ではあるわ)
万が一にも誰かに見つかってしまえば元も子もないし、なにより薬だと偽ったところで捨てるのも容易ではないのだ。それが毒薬ならば、なおさらだろう。
(今のところ、薬の回収に関する要請は出していないものね)
ただのゴミとして捨てるには誰に被害が及ぶか想像もできないので、あまりにも危険すぎる。そして薬は必ず専門業者が回収をすることになっていることから今ならばまだ間に合うだろうとブランディーヌは考え、思い切って一か八かの賭けに出てみようか本気で悩み始めたのだった。




