18.ジスランの実母
「ジスラン様、わたくしたちが初めて出会った日のことを覚えていらっしゃいますか?」
「は、はいっ。もちろんです……!」
いつものように庭園を散策している最中、ふとそのことを思い出したブランディーヌは隣に立つジスランの顔を見上げながら問いかけた。それに対する彼の返答は先ほどのものだったのだが、その表情は驚きから徐々に気まずげなものへと変化していく。どうやらここにもしっかりと教育の成果が出ているようで、あの顔合わせの日の言動がどれだけ失礼なものだったのかを今さらながら自覚したらしい。
「あ、あの……。その節は大変、申し訳ございませんでした……」
ブランディーヌの手を離して深々と頭を下げてくる彼の姿に、なぜか叱られた子供のようなものを感じてしまった彼女は焦るのではなく、小さく笑みをこぼしてしまう。
「ふふっ。頭を上げてください、ジスラン様。わたくしは決して怒っているわけではありませんから」
「その……。ありがとう、ございます……」
それでもまだ申し訳なさそうな表情のままのジスランに手を差し出すと、再びエスコートの形を取ってくれる。その素直さに一層笑みが深まってしまうブランディーヌだったが、今度はあえて優しい表情を浮かべながらこう告げるのだ。
「侍女たちから聞きました。ジスラン様は幼い頃、離れの一室のみで暮らしていらっしゃったのだと。貴族としての教育を受けられるような環境ではなかったのだということを今のわたくしは存じておりますし、そもそもダヴィッド伯爵家となんとしてでも縁続きになろうとしていらっしゃった前伯爵様の行動からも、なにかあるのだということは予想しておりましたから」
「は、はい……すみませ――」
「ですが。むしろこの短期間でここまで成長なされたのは、ジスラン様の努力あってのものですから。領地経営とは違い対人関係はこうして直接言葉を交わさなければ学べませんから、とても頑張っていらっしゃるとわたくしは思いますわ」
「ブランディーヌ様……」
まだまだ謝罪の回数のほうが多いジスランなのであえてそれを遮って強引に言葉を続ければ、どこか感動したような表情で緑青色の瞳を潤ませながらこちらを見てくる。事実彼の努力の成果がこの自然なエスコートなのだから、こちらもかなり学びが進んでいると見て問題ないだろう。
だがだからこそ、ひとつの疑問がブランディーヌの中に生まれていたのだ。
「ですがわたくしは、どうしてあの日ジスラン様が『あなたを愛せるか、自信がない』とおっしゃったのかだけが分からないのです。そして今もまだ、使用人たちとの距離感を測りかねていらっしゃいますよね?」
「っ……」
それは彼が正式にリッシュ伯爵となり、現状に合わせて使用人たちの態度が変化したことにいまだ戸惑っている様子からしても明らかだった。ただ、それを指摘できる人間がブランディーヌ以外には存在していなかったというだけで、実際には周囲もそのこと自体には気づいていたことだろう。
「そ、その……」
そしてこれだけ定期的に交流を図っていれば、そろそろ尋ねてみてもいい頃合いだろうと判断したからこそ、ブランディーヌはあえて二人きりになるこの時間を狙ってそれを口にしたのだ。
(リッシュ伯爵家には問題がいくつもあるけれど、ひとつひとつ解決していく以外に方法はないものね)
使用人たちならば彼の言葉の真意について知っている可能性も高いが、わざわざブランディーヌにそのことを話すような人物はいないだろう。もちろんポレットあたりは質問すれば嬉々として答えてくれるかもしれないが、これについてはあえてジスランの口から真実を聞きたかった。彼の本心を知るためにも、それが一番効果的なのではないかと考えたから。
「あ、あまり面白い話ではないのですが……」
「えぇ、問題ありませんわ。わたくしはただ、ジスラン様のことが知りたいだけなのですもの」
ブランディーヌのその言葉に嘘偽りはひとつもなく、本当に彼女としてはジスランについて知りたいだけなのだ。それは婚約者であり将来的に夫婦となる相手だからというのもあるが、それ以上に彼が一連の毒殺事件の犯人なのかどうかを見極めるためにも必要なことだと感じていたからだった。
「その……ご存じの通り、私は父上の妾としてリッシュ伯爵家に迎え入れられた母上と共に、この屋敷の離れにある別邸で暮らしておりました……」
そんな彼女の心の内など知るよしもないジスランは、ただただ素直に過去の自分の出来事を口にする。
そうして彼から語られたのは、ブランディーヌが想像していたよりも残酷な過去だった。
「私が生まれたとき、父上はこれで安泰だと喜んでくださったのだそうですが……母上は生まれてきた子供が男児だったことで正妻から疎まれ自分の立場が危うくなるのではないかと考え、本心では私を産んだことを後悔していたのだそうです……」
生まれてすぐに母親から見放され愛も与えられず、ただ疎まれるだけの日々だったらしいと語るジスランは、まるで他人の過去を話しているようで。けれど彼は実母と話したことなど数えるほどしかないそうなので、血がつながっているとはいえほとんど他人のようなものだったのかもしれない。
そんなある日、正妻であるリッシュ伯爵夫人も子供を授かり、さらに生まれてきたのは後継者となれる男児だった。こうなればもう、ジスランの存在は誰にとっても必要ではなくなってしまう。
(そうして満足に貴族としての教育も受けられないまま、離れの一室に隠されるような形で育てられてきたのね)
それでも彼が生かされてきたのは、おそらく正妻との間の子に万が一があった際の保険になるようにということだったのだろう。実際その判断は正しかったのだから、ある意味リッシュ伯爵の采配は見事だったと言わざるを得ない。
(けれどそのつもりだったのなら、教育くらいは受けさせるべきだったわね)
変な知恵をつけられては困るとでも思っていたのかもしれないが、結果的にそのせいで苦労をしたのはリッシュ伯爵とジスラン本人であり、そしてなによりこの状況下ではもうほぼほぼダヴィッド伯爵家に乗っ取られているといっても過言ではないだろう。
残念ながらリッシュ伯爵家とは違い、ダヴィッド伯爵家の乗っ取り方はじわじわと外堀を埋めるようなやり方ばかりだ。そのせいで途中まではその事実に誰も目を向けることができず、気がついたときには全てが終わっておりすでに飲み込まれている状況だった、というのがほとんどなのだ。実際問題、今もこの庭園の中では着々と薬草たちの楽園ができあがりつつある。おそらく数年もすれば、ダヴィッド伯爵家直属の薬草園が領地内に広がっていることだろう。そしてそれが領地経営の主な財源となるため、結果的にダヴィッド伯爵家の傘下から抜け出せなくなるのだ。
「ですので、実は母が亡くなったと幼い頃に聞いた際も、悲しいと思うような感情が湧くこともなければ実感もなく……」
「……もしかして、そのせいで愛が分からないと思っていらしたの?」
「その……そう、ですね。それも一因ではあります、ね……」
つまりジスランの実母の死や息子に対する態度と考え方により、物心がついた頃にはすでに家族から愛を向けられていなかったからこそ、彼自身が愛そのものを知らなかったということなのだろう。
愛されたことのない人間が他者を愛する方法を経験上の記憶だけで思いつくはずがないというのは、確かに理屈としては理解できなくもない。だがそれは、あの時点ではまだ極端に他者との交流経験が少なかったからというのも、ひとつの事実ではあるのだ。
「ではもしもわたくしが明日、突然命を落としてしまったらどうでしょう? 同じように悲しいとも思えず、実感など――」
「そんなことはありません!」
案の定、試しに自分で想像した場合はどうなのだろうかと問いかけたブランディーヌの言葉を途中で遮ってまで、ジスランは首を横に振りながら必死に否定してくる。
「ブランディーヌ様がいなくなってしまうなんて、そんなっ……! 無理です……! 私には耐えられません……!」
「……それが答えなのではありませんか? ジスラン様はもう、しっかりとわたくしのことを大切に思ってくださっているではありませんか」
「……っ!」
確かに、愛された記憶は持たないのかもしれない。だが今から愛を与えられればエスコートの仕方を覚えたのと同じように、きっと他者を愛する方法だって分かるようになるはずなのだ。
なぜか泣きそうな顔をしてこちらを見つめてくる緑青色の瞳の持ち主が、嘘をついているようには見えなくて。彼とならば愛し愛される関係の夫婦になれるのではないかと今までで一番の期待を胸に抱きつつ、ブランディーヌは空色の瞳を優しく細め微笑んでみせたのだった。
~他作品情報~
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