17.家令の矜持
そんなやり取りをした日からしばらくの後、無事に襲爵とお披露目を終えたジスランが王都より戻ってきたその直後から、屋敷内の雰囲気が変化したことにブランディーヌは気がついていた。
襲爵に関しては国王陛下の目の前で行われるため基本的には本人とその家族が呼ばれるものなのだが、今回に限ってはジスランの家族が全員亡くなってしまっているため、本人以外は招待されていなかった。ブランディーヌも現在はまだ婚約者という立場のため、あくまでもダヴィッド伯爵家の令嬢という扱いになっており、残念ながら家族としては認められないため領地で使用人たちと共におとなしくジスランの帰りを待っていたのである。
ちなみに彼女が共に王都へと向かわなかった理由は、今はまだ家族ではないからということだけではない。万が一にも領地を留守にしている間になにか問題が起きては対処できないだろうからという至極真っ当な理由もあるにはあるのだが、それ以上に前リッシュ伯爵となるヴァンサン・リッシュやその関係者を毒殺したであろう人物がおかしな行動を取らないか見張っている必要があるからというのが、その一番の理由だった。
側にいられない間にジスランが毒を盛られる危険性もあるので、実はギリギリまで判断を迷っていたのも事実だ。だが王都で病に倒れたとなれば、むしろ犯人を絞りやすくなる。そしてこちらが急いで駆けつければ、今度こそ命を落とさせるようなことはないだろうという自信もあった。なにせ手元に解毒薬があるのだから当然といえば当然で、けれど誰を信用すればいいのかも不明なこの状況下でうかつに解毒薬の存在を口にするわけにもいかず貴重な薬を他人に預けるなどということもできなかったので、ブランディーヌ自身が個人的にそう考えていただけだったのだが。
しかし同時に、彼女には確信のようなものがあった。たとえジスランが毒を盛られることがあったとしても、それはおそらくこのカントリーハウスにいるときのみだろうという確信が。
実は彼一人を王都に向かわせるなんて心配だとわざとこぼしていたブランディーヌに、数人の使用人たちが教えてくれたのだ。王都にあるタウンハウスにいる間は不幸なことなど一度も起こったことがないので、むしろ安心なのだ、と。
不思議なことにジスランの実母から始まったであろうこの一連の毒薬事件に関して、被害者となった全員が例外なくここリッシュ伯爵領のカントリーハウスで病を発症し、そして命を落としていた。以前ポレットからもその件について教えてもらっていたのでそれ自体は知っていたのだが、逆に彼らが口にしていたようにタウンハウスでは過去そういったことは一切なかったというのも事実だということを、ブランディーヌは今回改めて調べてみて初めて知ったのだ。つまり、犯人は必ずカントリーハウス内で犯行に及んでいたということになる。
「おかえりなさいませ、旦那様」
事実こうして無事に領地へと戻ってきたジスランを迎えに出ているのだから、ブランディーヌのその予想は完全に当たっていたと言っても過言ではない。
だが今はそれよりも、出迎えた家令のピエールのジスランに対する態度が今までとはあまりにも変化しすぎていて、そちらのほうがよほど気になるところだった。
「お疲れ様でございました。浴室の準備は整えてございますので、まずはどうぞごゆっくりとお休みくださいませ」
「あ……あぁ、うん。ありがとう……」
実際それを向けられているジスランなど状況がよく飲み込めていないのか、どう対処すればいいのかも分からず戸惑っている。だがピエールにとっては、彼のその反応自体はあまり関係がなかったらしい。
「恐れ多いことでございます。私どもは旦那様にお仕えする身ですので、どうぞいかようにもお使いくだされば幸甚に存じます」
あまりにもへりくだりすぎているようにも取れるその様子は、どう考えても以前の彼らの関係とは全くの別物になってしまっている。そもそもピエールは家令としてブランディーヌと言葉を交わすことはあったが、ジスランに対して話しかけているところなど彼女がリッシュ伯爵邸にやってきてから一度も目にしたことはなかったし、もっと言ってしまえばヴァンサン・リッシュ前伯爵の葬儀の手配ですら次期伯爵であるジスランに一切確認することなく進めていたので、実はピエールは本心ではジスランを嫡男として認めていないのではないかとすらブランディーヌは疑っていたというのに。
(どうして、今さら……?)
確かにこの屋敷で働いている以上、正式に伯爵位を継いだジスランをないがしろにしたり悪意を向けるなどということをするのは、どう考えても得策ではない。だがだからといって、こんなにもあからさまに態度を変化させるようなことがあるのだろうか。
あまりにも気になったブランディーヌは、ジスランが玄関ホールから移動したタイミングを見計らい思い切ってそのことをピエール本人に切り出してみたのだった。どうしてジスランに対する態度が以前と全く違うのか、と。
すると、真面目な顔をしたピエールが鉛のような灰色の瞳をこちらに真っ直ぐ向けながら、こう答えたのだ。
「ジスラン様は正式にリッシュ伯爵家のご当主となられました。そして私どもはリッシュ伯爵家に仕える身。であれば、旦那様となられた方に従うのは当然のことなのです」
その瞬間、彼の後ろに控えていた使用人たちがうなずいて同意を示す。その中には当然侍女長であるジスレーヌの姿もあり、こちらを真っ直ぐに見つめながら彼女も周囲と同様にうなずいていた。まるで微笑んでいるかのように、わずかに口角を上げながら。
つまり今までジスランは彼らの中ではあくまで嫡男でしかなかったが、正式に襲爵した今は仕えるべき相手として今後支えていくつもりだということなのだろう。
(逆に考えれば、今までの彼らの態度は前伯爵の指示だった可能性が高いということね)
そんな嫌な可能性にたどり着いてしまってブランディーヌは思わず顔をしかめたくなってしまったのだが、さすがにそこは令嬢として表情を変えることなく、自身もそれに返答するかのように鷹揚にうなずいてみせたのだった。
「そうね、確かにピエールの言う通りだわ」
「はい。なにより私自身の使命はリッシュ伯爵家を存続させることのみですので、そのためならば手段は選びませんし、ご当主となられた方がどのような御仁であったとしても忠実に従います」
決して強い口調ではないそれは、けれどきっとピエール自身の家令としての矜持なのだろう。だからこそ、前リッシュ伯爵の血を引いているジスランが離れの一室にまるでその存在を世間から隠すかのように閉じ込められていても、当主の判断であり意思なのだと解釈して一切手を差し伸べるようなことはしなかった。おそらくはそういうことなのだ。
(ある意味、究極の合理主義者なのかもしれないわね)
あるいは頑固者と呼ぶべきか。
ただいずれにせよ彼のこの言葉が仮に本心なのだとすれば、絶対的にジスランを裏切ることのない存在が確実に一人はいるのだという証明になる。
「心強いわ。わたくしもジスラン様の妻となる者として、今後も頼りにさせていただくわね」
「身に余るお言葉、光栄に存じます」
そしてどうやらジスランが正式にこの家の主となったことで、ブランディーヌの存在もまた彼の中で格上げされていたらしい。今まで以上に丁寧な言葉で返されるそれが、そのなによりの証拠だろう。
もちろん現段階では、彼が毒殺犯でないという確証はない。だが同時に、犯人であるという確証もまた存在していないのだ。
(本当に、裏切らない存在だったらいいのだけれど)
そうであってほしいという願望も多分に含みながら、ブランディーヌはピエールに向かってにっこりと笑ってみせたのだった。




