15.5.ジスラン・リッシュの困惑②
「お嫌では、ありませんか……?」
前髪をどうにかするべきだとブランディーヌに助言された際にそう尋ね返したとき、ジスランには彼女がなんのことを聞かれているのか本気で分からないという表情をしていたように見えていた。実際ブランディーヌはジスランの問いかけがどの部分に該当するものなのか測りかねていたので彼のその予想は間違ってはいなかったのだが、これまで毒の色をした瞳など見せるなと言われて育ってきたジスランにとっては、そのことを聞き返されるという事実でさえ信じられなかった。
だが彼女は、さらに信じられない言葉を次々と口にしていく。
「そもそもジスラン様の瞳と同じ緑青というのは、特殊な毒性など持たない物質ですし」
「…………え……?」
そうブランディーヌに告げられた瞬間の衝撃は言葉では言い表せないほどのものだったのだが、彼女はまるで当然のことのようにこの事実は専門家の間では常識なのだと言い放った直後、さらにこうも続けたのだ。
「緑青はその独特の美しさから、今では芸術家の中にも一つの色として取り入れている方がいらっしゃるくらいですからね」
「っ!!」
それを聞いた瞬間、ジスランの心と体に衝撃が走った。まさか毒の色だと思っていたものが実は毒性などないどころではなく、場所や人によっては美しいとされているなどと想像したことすらなかったからだ。そもそも顔をしっかりと見せるべきだと言われたときには不快にさせてしまうのではないかと困惑していたのだが、そのすぐあとに完全に別の意味で困惑することになるなど予想できるわけがない。
だというのに、彼女はいまだ衝撃から抜け出せていないジスランに気づいていないかのような笑顔をこちらに向けながら、こう断言するのだ。「せっかくの美しい瞳なのですから」と。
(そんな、言葉……)
今まで誰からも、一度もかけられたことなどなかった。むしろ毒と同じ色を周囲に見せるなど不愉快だと言い放ち視線を向けるなとまで命令してきたのは、他でもない実父であるはずのリッシュ伯爵だったのだから。その日以来ジスランは常に下を向き、誰とも視線を合わせないよう気をつけながら、瞳を隠すために前髪を伸ばし続けてきた。
それが、まさか。他家からやってきた令嬢、しかも自分の婚約者に固定観念をひっくり返され、さらには自分の中にあった常識や真実だと思い込んでいたものが完全なる間違いだったのだという事実を告げられることになるなど、これまで考えたこともなかったのだ。あまりにも驚きすぎて、その空色の瞳を見つめ続けている間に風に前髪がさらわれて瞳が完全に見えてしまっていることにすらジスランが一切気がついていなかったとしても、もはや仕方がないことだったとしか言いようがない。
だがブランディーヌはそんな様子を見てなにを思ったのか、まるで唐突に話題を変えるかのように言葉を紡いで後ろを向いてしまうから。急激な不安に襲われてどうすればいいのか分からずさらに困惑してしまったジスランは、思わず無意識のうちに彼女へと手を伸ばすとそのドレスの袖を指先で軽くつまむことでブランディーヌの気を引き、歩き出そうとしていたところを完全に引きとめてしまっていたのだった。
このときの行動の理由を聞かれたところで、ジスラン自身にも正確な答えは分からない。ただ衝動的に、わけの分からない不安から解消されたくて取ってしまった行動だったのかもしれないし、あるいは初めての顔合わせの日に言われた、分からないことがあればその都度確認すればいいという彼女の言葉を真に受けてしまった結果だったのかもしれないが。いずれにせよ、明確な意思がそこにあったわけではない。
ただ、ガゼボに向かおうとする彼女を引きとめてまで聞きたかった言葉ならば、その心の内に存在していた。ジスランの中に初めて湧き上がってきた、希望のような願いのようなそれは――。
「ほ……本当、ですか……? 本当に……私のこの瞳の色がお嫌ではない、のですか……?」
血のつながった両親のどちらからも嫌な顔をされたこの色を、本当に彼女は受け入れてくれるのか。どうか受け入れてほしいと、彼は初めて心から願ったのだ。
幼少期から、お世辞にもいいとは言えないような環境で育ってきたジスランは否定されることに慣れすぎてしまっていて、いつしか誰かに受け入れてもらいたいと願うこともそんな感情すらもすっかり忘れてしまっていた。人のぬくもりをほとんど知らない彼からすれば、自らの存在は他者にとって常に疎ましく思うようなものであり、だからこそ極力他人の目に触れないような場所で生活しなければならないのだと考えていたのだ。たとえ部屋の窓から仲睦まじい様子で寄り添う両親の姿が見えたとしても、そこにジスランの居場所はなかった。なぜならば、自分には愛してもらえるだけの価値がないと信じ込んでいたから。
本気でそう考えていたジスランにとって、ブランディーヌの言葉は希望だった。そしてそれは次の瞬間、大きな光へと変わる。
「もちろんですわ。むしろこんなにも美しい色を、どうして嫌いになどなれましょう」
誰からも必要とされることなく、ただ邪魔な存在として扱われてきたジスランに初めて向けられたその優しい言葉が、彼の中の意識を変えていく。ほんの少しだけ認められたような、この世界で自分が生きていることは間違いではないのかもしれないと、そんなふうに生まれて初めて思うことができたのだ。
「気になることがあれば、なんでも聞いてくださって構いませんよ。わたくしたちは婚約者なのですから、遠慮など必要ありませんもの」
ブランディーヌに出会えたことが、彼女の存在こそがジスランにとっての奇跡。だからこそ、そう言って差し出されたその手の意味を必死に考える。
そうしてようやく答えにたどり着いたジスランは、急いで彼女の白く細い手を取ったのだった。
(父上に言われたあの顔合わせの日から、私の意思でブランディーヌ様をエスコートしたことは一度もなかったから……)
つまり彼女は、態度で示してみせたのだ。緑青色の瞳もジスランに触れられることも、決して嫌などとは思っていないのだということを。
その証拠に、ブランディーヌは初めて自主的にエスコートの姿勢を見せたジスランに対して、小さく笑みをこぼして肯定する言葉をかけてくれた。それだけで彼の心の中は、あたたかいなにかで満たされていく。
こうして少しだけ自信を取り戻したジスランはこの日、自らの意思でしっかりと婚約者をエスコートすることを覚えたのだった。
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