14.緑青色の瞳
「ジスラン様は大変長身でいらっしゃるのですね。わたくしも令嬢としては比較的背が高いほうなのですが、横に並ぶとまるで普通の背丈になったようで少しうれしくなりますの」
「……ありがとう、ございます?」
仕事をしてばかりでは体によくないので、たまには一緒に庭園を歩きませんかと誘ったブランディーヌが見上げた先で、ジスランは困惑した表情を隠すことなく小首をかしげつつも、なんとか絞り出したというような雰囲気でそう言葉を返す。声を発する直前まで瞬きを何度も繰り返していたあたり、本当にどう返答すればいいのか分からなかったのだろう。
ちなみに今回はゆっくりすることが目的なので、念のためについてきているだけの護衛たちは少し遠くからこちらを見守っており、侍女や侍従たちは最終目的地のガゼボでアフタヌーンティーを用意して待っている。つまり、以前のようにほぼ二人きりのような状態を作り出すことに成功していたのだった。
(もともとリッシュ伯爵がそう指示を出してくれていたおかげで、すんなり意見が通ったのは幸運だったわ)
本来ならばあまり歓迎されないはずの提案が却下されなかったのは、すでに何度もそういった状況を彼らが経験しているからなのだろう。一度も問題が起きたことがなかったというのも、おそらくそれを後押ししている理由のひとつなのだろうとブランディーヌは推察する。
(それにしても……。ジスラン様は本当に、他者との交流経験を全くと言っていいほどお持ちではないのね)
なにか話題はないだろうかと必死に考えているのは、その様子からもうかがえる。だが他人とまともに話した経験があまりにも少ない彼にとっては、そんな話題探しですら困難を極めるものだったようだ。
「わたくし前回のシーズンで初めて社交界に参加したのですけれど、あまり領地から出ることがなかったので他の女性陣のあまりのかわいらしさに驚いてしまいましたのよ。けれど実際には、皆様もわたくしを見て驚いていたようでして」
「そ、そう、なのですか?」
だが今回はジスランの交流経験を増やすことが目的なのではなく、あくまでも忙しい仕事の息抜きでしかないので、基本的に話題はこちらから振ることにしていた。そうでなければ、せっかくの休憩時間にまで頭を使わせて疲れさせてしまうのではないかと危惧したからだ。
それになにより、世の女性の大半はおしゃべりなものだから。聞く力を身に着けることのほうが今の彼にとってはまだ難しくはないだろうという、ブランディーヌなりの配慮をしたうえでの判断でもあった。
「ご存じですか? 実はリッシュ伯爵領のカントリーハウスで働いている侍女の中で、わたくしよりも身長が高い女性は一人もいないのですよ」
「そ、そうなのですか!?」
先ほどと全く同じ言葉だというのに、さらに驚いた様子でこちらを見ているジスランと、白銀の前髪越しに目が合う。その緑青色の瞳は言葉と同様に、驚きから大きく見開かれていた。
「えぇ。ですからジスラン様が長身な方だと知り、実は少し安心してしまったのです」
この国では基本的に男性の身長は女性よりもかなり高いほうなので、そこまで心配する必要もないのだということは前回のデビュタントとして出席した夜会でよく分かっていたのだが、それでもやはり男性側もそういったことは気にするのではないかと思っていたのだ。そんなブランディーヌの心配は、ある意味杞憂で終わったわけだが。
「そ……それは、よかった、です……」
「えぇ。けれどジスラン様、今後はあなたこそがリッシュ伯爵として表に立たなければなりません」
「っ……」
とはいえ、今は別の問題が浮上していることも事実。
「もちろんわたくしも常に隣におりますので、困ったことがあればある程度までならばお支えすることができます。ですが、やはりお相手の方とお話しする際にお顔がハッキリと見えないというのは、あまりいい印象を持たれないのではないかと思うのです。特に初対面の場合は、なおさら」
「ぅ……」
そう、その目元を完全に隠してしまっている前髪。これだけは、どうしてもいただけない。一部とはいえ顔を隠すという行為は、それだけであることないこと変なうわさを立てられてしまう可能性がある。なのでまずは目に見える場所から改善していくべきだと、ブランディーヌは常々思っていたのだ。
「お客様をお招きしないのであれば、お屋敷の中では今まで通りでも構わないのです。けれど前髪がない状態に今のうちから慣れておかなければ、当日にいきなりというのは少々難しいのではないかとわたくしは思うのですが、ジスラン様としてはどうお考えでしょうか?」
「い、いや……その……」
そもそもリッシュ伯爵として今後表に立つよりも先に、襲爵時のお披露目があるはずだ。その際に今の見た目のままでは、確実に他家から侮られてしまう。
「少しずつ慣れていくためにも前髪を上げるか分けるか、あるいはいっそ思い切って短くするなどの対策が必要になると思うのです。特に夜会などで人前に出る際、男性は前髪を完全に上げてしまうことが多いですからね」
最初からやり直しがきかないようなやり方を提案する気はないので、せめて必要な場面でしっかりと目が見える状況に慣れている状態にまで持っていきたいと考えたブランディーヌは、困惑している様子のジスランに対してそう提案する。こうでもしなければ、彼はずっと今のままでいるような気がしていたからだ。
案の定ジスランはあちらこちらに視線をさまよわせたあと、それはそれは不安そうな声でこう尋ねてきた。
「あ、の……お嫌では、ありませんか……?」
「なにが、でしょうか?」
だがその言葉の真意がどこにあるのかを掴み切れなかったブランディーヌは、真っ直ぐにそう聞き返す。そもそも彼は自己肯定感が低すぎるというのに、さらに言葉数も少ないため、こちらの予想が本当に合っているのかどうかの判断がその反応を見るまで下せないのだ。
「そ、その……」
だからこそ、ブランディーヌは根気よく待ち続ける。ジスランが自らの言葉でしっかりとした意思表示や疑問を口にする、そのときまで。
「わ、私の瞳は、その……毒と同じ色をしている、と……。ですので、お相手の方に不快な思いをさせてしまうのではないかと、それが心配で……」
「まぁ! そんなことはありませんわ。そもそもジスラン様の瞳と同じ緑青というのは、特殊な毒性など持たない物質ですし」
「…………え……?」
そうして彼の口から出てきた答えが予想通りだったのならば、そんなものは真実を伝えて否定してしまえばいいのだ。
「以前は緑青にも毒性があると信じられていたようですけれど、実際には他の金属と大差ありません。専門家の間では常識なのですが世間ではまだあまり一般的ではないせいで、誤解されたままになっているのでしょうね」
「…………」
困ったような表情でわざと頬に手を当ててため息をついてみせれば、白銀のカーテンの向こう側でこれでもかと見開かれたその瞳はそのままに、まるで呼吸すら忘れてしまったかのように固まってしまうジスラン。今まで信じていたものが真実とは異なるのだと初めて知ったのだから、そうなるのも仕方がないことなのかもしれない。
けれど、ここで追撃の手を緩めるブランディーヌではなかった。
「ですので、特に問題はございませんよ。緑青はその独特の美しさから、芸術家の中には一つの色として取り入れている方がいらっしゃるくらいですもの」
「っ!!」
毒として恐れられ忌避されていたものが、別の場所では美しいと言われている。その事実を知ったジスランの衝撃は、いかほどのものだったのだろうか。
ブランディーヌはそのたおやかな笑顔の裏でようやく彼に真実を伝えることができたと満足しつつも、同時にこれで少しずつジスランに変化をもたらすことができるのではないかと、一人心の中でほくそ笑んでいた。
「せっかくの美しい瞳なのですから、隠してしまうのは惜しいとわたくしは常々思っておりましたし。とはいえ今すぐにというのは難しいでしょうから、今日から毎日少しずつ慣れるための練習をするというのはどうでしょうか?」
だがそんな本心は微塵も見せずに、あえて譲歩する姿勢を見せて変化を促すための最後の一押しをする。
これがダヴィッド伯爵家の人間のやり方なのだが、当然ジスランがそんなことを知るわけもなく。そして遠くに控えている護衛たちには、二人の声は一切届いていない。つまり今この瞬間、ジスランは確実にブランディーヌの手のひらの上で踊らされていたのだが、それに気づく者は誰一人として存在していなかった。




