13.無意識の癖
(それにしてもポレットは素直すぎて、癖と呼べるような癖があまり見受けられないわね)
本来人間には、無意識の癖というものが誰にでも存在している。おそらくポレットにも癖自体はあるのだろうが、言動と表情の乖離がほぼ皆無と言っていいほど彼女は全てを素直に表現しているため、ブランディーヌが気になってしまうような点は一切なかった。
実は、ブランディーヌはリッシュ伯爵邸へとやってきてからひそかに、けれど注意深く確実に周囲を観察していたのだ。
もともとはジスランに対する使用人たちの態度に若干の違和感を覚えたことがきかけだったのだが、ヴァンサン・リッシュ伯爵が亡くなってからのその行動は別の意味合いに取って代わられていた。それは違和感の正体の解明から、毒殺犯のあぶり出しへと。
(立場が上になればなるほど、本心を隠すこともうまくなっていくもの。まだ全員の癖は見抜けていないけれど、それでもリッシュ伯爵と直接かかわることができたであろう人物全員との直接的な接触ができているだけ、まだいいほうなのかもしれないわ)
特に家令のピエールや侍女長のジスレーヌなどはその立場上常に本心を隠す必要がある人物ではあるが、それ以上に仕事の関係上顔を合わせる機会を頻繁に作るというのが難しい。とはいえ不可能というほどでもなく、特にブランディーヌが屋敷内の管理を任されている以上全く関わらないということもあり得ないため、今のところそちらは少しずつでも問題ないだろうと判断しているのだ。
(ジスラン様を補佐している侍従たちとも、徐々に交流が増えてきているもの。ここで変に焦って不審がられるよりは、少しでも早く馴染もうとしている健気な令嬢を演じておくほうが警戒心も薄れるはずよね)
ポレットからは情報を得て、他の使用人たちからの印象も操作して。実に貴族令嬢らしい振る舞いを見せているブランディーヌだが、その本心に気づく者は今のところリッシュ伯爵邸の中には存在していない。
そもそもダヴィッド伯爵家の人間は、基本的に警戒心が強く策略家でもある。むしろそうなるように育てなければ、簡単にだまされ貴重な薬草や知識をどんなことに利用されてしまうか分からないという危険性があった。そのためダヴィッド伯爵をはじめとしたその系譜は、他人の善悪や本心を見破り悪人を見極めるための方法を、薬草の扱いと同様幼い頃から徹底的に教え込まれてきたのだ。そうして彼女が身に着けたのが、他人の癖を見破る能力だった。
ひと口に癖と言っても、その種類は様々だ。心理的なものに基づいた全ての人に共通する無意識下での行動もあれば、完全にその人独自の言動というものもある。それら全てを総括して癖とひとまとめにしてはいるが、今回ブランディーヌが見抜くべき癖は主に後者だった。残念ながら人間の心理的な行動は共通しているがゆえに、それを知っている人物から逆手に取られてしまうことも意外と多い。だがそれぞれ独自の癖であれば本人ですら自覚していない可能性が高く、また指摘されない限り気に留めるようなこともないからこそ、その人物を色濃く表していると言っても過言ではないのだ。
(唯一の欠点があるとすれば、ポレットのように素直すぎて言動に全て出てきてしまうような人物に対しては、あまり意味がないということくらいかしら)
とはいえ彼女は今回初めて大役に抜擢されたということなので、これまで屋敷の主であるリッシュ伯爵に接触する機会など存在していなかっただろう。それ以前にジスランの実母であるリッシュ伯爵の妾が亡くなった時期に、ポレットはまだ生まれていなかった可能性が高い。年齢を偽っていない限り、生まれていたとしても幼すぎて毒薬など扱えなかっただろう。
ちなみにリッシュ伯爵家は王都にタウンハウスを所有しているが、そちらは現在別の使用人たちが管理しているのだという。社交シーズンになればタウンハウスに滞在することになるのだろうが、今はまだその必要はないからとブランディーヌも特に顔を出したりはしていない。また今回のリッシュ伯爵毒殺の実行犯がその中にいないことだけは確かなので、ピエールに資料だけを用意してもらい目を通している、程度にしか彼らのことは知らなかった。もちろん毒殺に関してタウンハウスにいる使用人たちが全くの無関係だとは言い切れないが、亡くなった伯爵家の関係者は全員このカントリーハウスで最後に息を引き取っているという事実をポレットから早いうちに引き出していたブランディーヌからすれば、彼らは限りなく白に近い存在であるのと同時にたとえその中に黒幕がいたとしても今すぐに手を出すことは叶わないだろうという判断のもと、まずは確実にいるであろう実行犯を探し出すことが先決だと結論づけていたのだった。
ちなみにブランディーヌがタウンハウスにいる使用人たちを現段階で調査対象から除外している一番の理由は、リッシュ伯爵が身内に対してはしっかりと区別する人物だったという事実があるからだ。
彼は妾として迎え入れた女性を決して領地から出すことはなく、また彼女の住まいも当然のようにこのカントリーハウスの離れにある別邸のような場所に初めから用意しており、そしてジスランに至ってはそのさらに一室のみで生活させていたというのだから、それだけでも色々と徹底していたことがうかがえるだろう。そしてその事実がある以上、タウンハウスで働いている使用人たちはリッシュ伯爵の妾に接触することどころか顔や声すら知らなかった可能性が非常に高い。つまり彼らにジスランの実母である人物を亡き者にする理由はないのだ。
そもそもリッシュ伯爵が妾に対してそこまで徹底していたのは、正妻の顔を立てるためでもあったのだろう。だからこそ社交界に連れ出す必要のない女性をタウンハウスに連れて行くことはおろか、わざわざ領地から出すことすらしていなかったのだ。その必要など、一切なかったから。
(当然といえば当然よね)
貴族の婚姻とは家同士のつながりであり、夫婦というものは通常絆ではなく契約で結ばれているものなのだ。それを一方的に破棄することなど当然できるわけがなく、そして利があるからこそ両者が受け入れている以上、互いのことをないがしろにしていい理由もない。であれば正妻の意思を無視して妾ばかりにかまけていることはできなかっただろうし、家のつながりという利害の一致により迎え入れた人物の機嫌を損ねるようなことも、いくら周囲の弱みを握っているリッシュ伯爵とてしたくはなかっただろう。
(いいえ。むしろだからこそ、なのかもしれないわ)
妻を大切にしていないという事実は、貴族間ではいいうわさの種になる。侮られてはいけないこの貴族社会で、万が一にも妻本人にそのことを社交界で口にされてしまっては、たまったものではないだろう。そしてそれは逆に考えれば、自らの弱みとなる可能性もある。
つまりリッシュ伯爵は妻に自分の弱みを握らせないためにも、しっかりとした区別と対応をしていたとも言えるのかもしれない。
(思い出に興味がないのも、そのせいだったのかもしれないわね)
ただそれは、ある意味でこれだけの人々に囲まれていながら孤独だったとも捉えられる。
「……たまにはジスラン様と、ゆっくり庭園を歩いてみようかしら」
「えぇ、ぜひ! このポレット、とっておきの茶葉をご用意いたしますよ!」
「あら、それは楽しみだわ」
うふふと上品に笑いながらも、ジスランにはそんな孤独を感じさせたくはないと唐突に思ってしまったブランディーヌは、さてどう言って彼を連れ出そうかと今後の計画を立てはじめたのだった。




