9.万が一の保険
「ブランディーヌ様、庭師から明日の朝でいいので薬草の様子について問題がないことを確認していただきたいとのことです」
「分かったわ。朝食前に確認すると伝えておいてくれる?」
「かしこまりました」
ひと通り必要な確認をピエールと済ませ、彼が手配してくれていた侍女長ジスレーヌの選抜だという侍女ポレットに屋敷内を改めて案内してもらっている間にも、あちらこちらで進められている作業の進捗や確認の報告に他の侍女たちがやってくる。
「やはり落ち着いてからのほうがよろしいのではありませんか?」
その様子があまりにもせわしなく見えたのだろう。心配そうな表情をしてブランディーヌつきとなったポレットが、淡い紅茶色の瞳でこちらを見上げてくる。
(ミルクティー色のふわふわとした髪に淡い紅茶色の大きな瞳だなんて、本当に全身紅茶を連想させるような人ね)
平均的な身長をしているはずのポレットがなんだかかわいく見えてしまうのは、ブランディーヌの身長が高いからだけではないのだろう。実際彼女はとてもかわいらしい顔つきをしていて、男性ならば庇護欲をそそられそうな見た目をしている。だがこれでいて実はブランディーヌよりひとつ年上の十九歳だというのだから、人は見かけによらない。
「ふふっ、大丈夫よ。待っている間は暇になってしまうだけなのだし、先に屋敷内を把握できていれば明日からが楽になるでしょう?」
「本当ですか? ご無理なさっていらっしゃいませんか?」
だが、この年上の可愛らしい侍女は侍女長であるジスレーヌが選んだだけあってしっかりと仕事ができる人物のようで、こうして会話をしながらも同じ場所を歩かなくていいようにという配慮が行き届いていることにブランディーヌは気がついていた。そしておそらく道順も他の侍女たちに共有されているのだろう。そうでなければ必ず同じ方向から彼女たちがやってくるなど、普通に考えてあり得ないのだから。
(この程度の時間であればこの場所を歩いているだろうという目星をつけて、きっとわたくしのところに報告に来てくれているのでしょうね)
つまりリッシュ伯爵家の使用人の教育は、そこまで行き届いているということ。これは今後この屋敷の女主人となるブランディーヌからすれば、思わぬ幸運だった。おそらくリッシュ伯爵の正妻だった人物が、しっかりとした教育を施していたのだろう。
「もちろん、無理なんてしていないわ。これでもダヴィッド伯爵家では美容品の研究もしていたのよ? 体力には自信があるの」
使用人を再教育する必要がないので最も時間がかかりそうな仕事はしなくてもよさそうだと内心ではひそかに喜んでいたのだが、そんな様子は一切表には出さずにブランディーヌは令嬢らしくにっこりと微笑んで、ポレットの質問にそう返す。
「それでも、あまり初日から根を詰めすぎないようにしてくださいね?」
「えぇ、ちゃんと気をつけるわ」
本気で心配してくれているのだろうその淡い紅茶色の大きな瞳が、少しだけホッとしたように緩む。そんなポレットの表情を見て、ブランディーヌとしては本当に無理をしているつもりはないのだが効率ばかりを考えてしまう性格のせいで他者からはそう見えているのかもしれないと、少しだけ反省したのだった。
とはいえ、若干の焦りがあるのも事実。実際先ほどピエールと話した際に、リッシュ伯爵との面会はやはり今現在は決められた数少ない使用人のみに絞っていて、息子であるジスランですら気軽に会いに行くことはできない状態なのだと聞いてしまったのだ。当然ブランディーヌは挨拶どころか顔を見ることすらできないまま、次の主治医の診察の際に許可が出たら短時間の面会が可能なのだという。
(万が一のときのことを考えて、保険としていくつか美容に関係のない薬草も持ち込んではいるけれど……。はたしてそれらが本当に役に立つのかどうかは、まだ判断がつけられないわね)
病の症状についても、やはり突然体に力が入らなくなってしまったのだというだけで、特に熱やせきなどがあったわけではないらしい。となれば、解熱剤となるような薬草はあまり必要ではなかったのかもしれないと思ってしまうブランディーヌだった。
だが今後どこで役に立つのか分からないので、念のためにと現段階でダヴィッド伯爵家から持ち出しても問題のない薬草をいくつか選んできたことは、別段間違った選択ではなかっただろうと思い直す。
「ブランディーヌ様……!」
そうして再びポレットの案内で屋敷内を歩いていると、後ろから聞き慣れた声で名前を呼ばれた。
「ジスラン様、お久しぶりです。お仕事はよろしいのですか?」
「お、お久しぶりです。そ、その……今すぐに確認が必要な分が終了したので、先にあなたにご挨拶をと思いまして……」
「まぁっ。そのためにわたくしのことを探してくださったのですか? ありがとうございます」
相変わらず白銀の前髪で目元をほとんど隠してしまっているが、走り寄ってきてくれたその姿にどこか幼い子供のようなかわいらしさを感じ取ったブランディーヌは、あえてその感情を素直に表情に出しつつそう言葉を紡いだ。
その瞬間。
「っ!!」
目元が完全に見えているわけではないのに、なぜか視線を左右に落ち着きなく動かしているジスランの気配が感じ取れてしまって、ブランディーヌはますます笑みを深めてしまう。
どうやらよくよく話を聞いてみると、嫁入り前だというのにわざわざリッシュ家のためにやってきてくれたというのに、肝心のリッシュ伯爵家の人間が礼を言うどころか挨拶すらできていない状態なのは失礼だと考えて、急いでやってきてくれたのだというではないか。顔合わせ初日のときとは比べ物にならないほどしっかりとした判断ができるようになっていることに、伯爵家の嫡男としての教育が滞りなく進んでいる事実を見て取れてひと安心したブランディーヌであった。




