ソバ
「だからさあ」
「うん」
「ソバなんだよ」
「うーん?」
スマートホンにおれは唸った。Nからの電話だ。
アパートの二階にある自宅。その畳敷のへやで、おれはごろりとねそべっていた。さっきまでは漫画を読んでいた。けどNと話すと同時にやめた。
外は暗い。となりからは晩ごはんのいいにおいがただよってくる。これはきっと「おでん」だな。
「いいよ。言えよ」おれはNを促した。電話のむこうで、Nが肚をくくる気配がした。
「Aがさ、」「うん」「死んだろ。先月」「うん」
『A』というのは、おれんちの隣にすむ男だった。先月アレルギー性のショックで死んだのだ。
おれは起きて、あぐらをかいて、覚えているかぎりのことを話した。
「そう。『ソバアレルギー』で死んだ。帰ってきた親が、たおれてるの見つけて、救急車をよんだけど駄目だったんだ」
「うん。ボク、なんでAはソバ食っちゃったんだろう? って考えてた」
「で?」
「きみが食べさせたんだよ。T(おれの名前だ)」
「ふーん」
Nと話をするのは好きだった。Nは学校の成績はいまいちだけど、へんなところで頭がいい。ちなみにおれは成績トップ。これはただの自慢だ。
おれがアパートに引っこすまでは、おとなりさんだったからNの家によくあそびにいっていた。その時からNはパズルやクイズ、なぞなぞが上手だった。
おれはもう少し電話をしていたかった。長電話がバレたら親におこられるけど、「それでもいいかな」と思った。
「おれがAにソバ食わせたって?」
「そう」
「どうやって? むりやり? だったらおれ捕まってるよ。今頃」
「むりやりじゃないよ。きみはそこまで自分がリスクを負うやりかたはしない」
「じゃあ?」
「……」
Nはまた言いよどんだ。いいやつだ。クラスの連中の大半が、おれにとってはどうでもいいやつだった。
けど、Nだけはちがう。気が合うというか……。まあ「へんなやつ」だ。いい意味で。
死んだ『A』も、おれにとってはどうでもいいやつだった。
Nは言った。
「見たんだボク。Aが死ぬ日の夕方に、きみがたくさん『カップうどん』と『カップそば』買ってるの」
「安かったからな。小づかいはたいて買ったさ。おれカップ麺好きなの知ってるだろ」
「うん」Nはうなずいた。つづける。「こっからはボクの想像になるんだけど」
「いいよ」
「きみはさ。それをAに、おすそわけしたんだ」
「合ってる。うどんとそば、一個ずつあげた。あいつの家も共働きだからな。晩めし、こまってるかもって思って」
「うん。で。きみは多分さ、『A』が夕飯を食べようとする直前に、ソバ食ったんだよ。カップの」
「……」Nの言葉をおれは待った。Nはすぐにつづけてくれた。
「それで。隣の部屋の『A』は、つられてソバ食っちゃったんだ」
「あるかなあ。そんなこと」
Nは黙るかと思った。けど今度はすばやく言った。
「麺をすする音とか。あるいは、『匂い』……」
「におい?」
「隣の家とかから流れてくる晩ごはんの匂いをかいで、『今日これ食べたいな』って思ったことない? ……カレーとか」
「ある」
「『A』もその気持ちになった」
「で。食べたと。ソバを」
「うん」
「ふーん」
Nは断言した。おれは試してみたかった。
「匂いについてはいいけどさ。アレルギーはどうだろ。『A』は自分がソバアレルギーって知ってたんだぜ? 給食でもソバんときはみんなと違ったし。すすめられてもぜったい食おうとしなかったじゃん」
「でもT(おれの名前だ)。ボクたち、小学生なんだよ?」
「そーだな」
「小学六年生なんだよ?」
「だから?」
「大人の目をぬすんで、言いつけをやぶってみよう。って思うことなんて、ごまんとある」
「だな」
「Aも、一度はたべてみたかったんだと思うよ。ソバを」
「だな」
「そしてその日は、止めるべき大人はいなかった。Aは『今しかない!』って思ったんじゃないかな。それと、一口くらいなら大丈夫かな。って」
「かもな」
おれはNに最後の一押しをした。おれだって小学六年生。『N』や『A』と同じ『こども』だ。
「けどさあ。仮にAがおれの晩めしの匂いにつられて食ったとして。それおれのせいになるの? 警察におまえの考えを話したとして、おれ逮捕されちゃうと思う?」
「思わない。ましてや、きみも『ガキ』だもん。不幸な『うっかり』とか『ぐうぜん』で、おわるんじゃないかな?」
「だろう?」
「でもきみは、そうなるところまでちゃんと考えて、やったんだよ」
Nの『想像』はここまでみたいだった。このまま電話を切ってもよかったけれど、おれはほかにも言っておきたいことがあった。
「じゃあ。Nのいうとおりとして、動機は?」
「どうき?」
「おれが『A』を殺す理由」
「いるのかな?」
「さあ?」
「あったとして……。『ほんとにアレルギーで死ぬのかな?』ってくらいだろ。きみの場合」
「ははっ。――なあN」
「なに?」
「おまえほんと頭いいな」
「そうかな」
「うん」おれはNに賛辞を贈った。それから全然かんけいのないことを言った。「おまえと同じ中学に行けないの、さみしいよ」
「ありがとう」
とNは言った。それから同時に電話を切った。
――親はまだ帰ってこない。
おれは畳のうえに背中から倒れた。あけっぱなしの漫画雑誌が、ぱら……。と数ページめくれた。
隣から、おでんの匂いがただよってくる。
Nの言ったことは、ぜんぶ合っていた。
※このものがたりはフィクションです。
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