マドレーヌは結婚したくない 8
マドレーヌはその場から、夜会の会場をぐるりと見渡した。
向こうには人に囲まれて話し込んでいるガナシュの姿が見える。挨拶回りで会った人物たちとはまた違う人々だ。若い人もいれば、威厳のある人もいる。あれらを一々相手にしなければならないとは、次期公爵というのは大変だ、とマドレーヌは横目で見ながら歩き出した。
…さて、自分が今から接触しなければならないのは、彼らではない。妙齢のご令嬢だ。それも、ガナシュが気に入るような女性を探し出さなければならない。
……はて、“ガナシュの気に入る女性”とは…⁇
まあとりあえず、性格の良さそうな人物ならば文句はないだろう。家柄については…よく分からないので、これもまあ、よし‼
――そんな事を考えながら、マドレーヌはきょろきょろと物色して歩く。
『パートナーと一緒の方はもちろん論外で、狙い目は一人でいる方だけれど…。』
一人ぽつんとしている令嬢など、そうそういるわけがない。…自分は除くとして…。
大体が両親や兄弟姉妹と一緒だったり、一番多いのは、数人でグループになっている令嬢たちだ。彼女らが慣れた様子で群れているところを見ると、いつも夜会で集まっている決まったメンバーなのだろう。…その中は、見ず知らずの他人がやすやすと入って行ける雰囲気ではない。
というか、だ。よく考えてみたら……自分は対人スキルが乏し過ぎるのだった。実家の在る場所にも問題はあるが、好きではないからとこれまでろくに夜会やらパーティーやら、人の集まる場所には行かずに過ごしてきてしまった。他のご令嬢方とのコミュニケーションなど、どう取って良いのかさっぱり分からない、という事にマドレーヌは今更ながら気付いたのである。
『あああっ私ったら、何でそんな大事なことを失念していたの⁉』
マドレーヌは立ち止まるとその場で頭を抱えた。
しかし、そんな泣き言は言っていられない。弱気をすぐに振り払うと、前を向いた。
『とにかく、まずは遠くから様子を窺うのよ!それに…そうだわ、むしろ、お話しに入れてくれそうな方は中身が良いと言えるのではないかしら⁉』
“自分はなんて賢いのだろう”となぜか妙な自信を持ち、マドレーヌは鼻息荒くまた歩き出したのだった。
「――…あら。ご覧になって。あそこで一人、うろつかれているのってガナシュ様が連れていらした方ではなくて?」
マドレーヌには声が聞こえない場所で、一人の令嬢が彼女の事を口にした。
「まあ、本当ですわ。ガナシュ様はどうなさったのかしらぁ⁇」
「皆さん、そんな言い方なさったら失礼よ…」
クスクスと笑いながら話すその空気は、好意的とはとても言い難い。扇子で口元を隠しているが、その視線は刺すようだ。
「たしか…シャルトルーズのご令嬢でしたかしら?」
「初めてお目にかかりましたわ。人里にはお出にならない方かと…」
「あぁ道理で。野性味のある方だと思いましたわ。それはガナシュ様もさぞかし物珍しかったのでしょうね。」
「“野性味”だなんて。それこそ失礼ですわ!せめて素朴とおっしゃって差し上げて。」
本人には聞こえないのを良い事に、嗤いながら言いたい放題…。しかしそれは、彼女たちのグループだけではないようだ。
歩き進めるマドレーヌに、いくつもの値踏みするような令嬢たちの視線が突き刺さる。それは嫉妬であったり、好奇の眼差しであったり…。
正直、居心地は最悪だ。だが同時に彼女たちの本質の一端を見るようで、こちらにとっては都合が良い事でもある。
『…いいわ、何と言われようと…。どうせシャルトルーズに帰ったら、こういう集まりには出て行かない生活に戻るのだから…!』
そう思いながらも、マドレーヌはちょっとだけ心で泣いた。
ふと顔を向けると、そこにも令嬢の姿があった。何となしに彼女の様子を観察していると、どういう話をしているのかは分からなかったが、喋っているその様に好感を覚えた。その周りには、気後れするような“友人たち”もいないようだ。――これはぜひ、お近付きにならなくては…!
マドレーヌは心を決めると、いそいそと飲み物を手にしてその令嬢の元へ向かって歩き出した。慎重に、さり気なく、爽やかに声を掛け……
「――…ところで、お式はいつ頃に?」
「ええ、春頃を予定しておりますの。彼が、花が沢山咲いている時期がいいと言っていて…」
彼女の間近にまで迫っていたマドレーヌは固まった。
パートナーと一緒にいないからと言って、婚約者がいないという訳ではなかったということにその時気付き、衝撃を受けた。…それもそうか、自分も今、一人で行動しているではないか…。その事をはたと思い出したのだった。
マドレーヌはくるりと踵を返した。
これは、作戦を練り直さなければ…。…作戦らしい作戦なんて無かっただろうという心の声は置いておいて…。
――やはり、自分に対して嫉妬心を滲ませてくる令嬢から選ぶべきなのだろうか…。そうではない者は、そもそも“そういうつもり”がないから、こちらに敵対心を見せないだけのかもしれない。だが、だからと言ってあまり気持ちの良くない令嬢を紹介したところでガナシュが気に入るだろうか…?
『う――~ん…どうしたものかしら…』
思い悩みながらあてもなく歩いていた時、マドレーヌの側に誰かがやって来た。その気配に気付いたマドレーヌは振り返った。
そこには、笑顔を張り付けた見知らぬ令嬢が三人立っていた。
「…?あの…何かご用でしょうか…??」
何となく、マドレーヌは後ずさりをした。すると令嬢の内の一人が答えた。
「いえ…そんな大層な事ではありませんわ。わたくしたち少し、マドレーヌ様とお話しがしてみたかっただけですのよ。」
控え目にそう言う彼女たちは、手に持った扇子で顔の半分くらいを覆っているのでその表情はよく読めない。
「ここでは何ですし…庭園の方にでも行きません?静かですわよ。」
別の令嬢が会場の外を指差して言った。他の二人も、「それはいい」と同調している。
「参りましょうよ、マドレーヌ様。」
…マドレーヌは少し悩んだ。だが、無下に断るような理由は特にない。とりあえず、行って話に付き合ってみようと思った。何か思わぬ収穫があるかもしれない…。
飲み物を手に持ったまま、マドレーヌは彼女たちに連れられて会場を出た。
―――本当だ。庭園は薄暗く人もまばら。彼女たちの言うように、ここは静かでいい。気に入った。こんな所に誘ってくれるとは、案外自分と似た感性の令嬢たちなのかもしれない。
マドレーヌは一気に親近感が湧いた。
「あの――…」「ところで。」
マドレーヌが口を開きかけた時、誰かがそれに被せるように話を始めた。…心なしか、声色がきつくなったように感じたのは気のせいだろうか……
それまで先行して歩いていた三人は、立ち止まってこちらを振り返った。
「ガナシュ様にはどうやって取り入りましたの?」
「…………え?」
マドレーヌは目をぱちぱちとさせた。
「今まで、どんな方がパーティーに参加されても見初められた事なんてありませんでしたのよ。」
…いや、自分も見初められた訳ではない…と言いたいところだが、それは出来ないお話だ。どう答えて良いものかと、マドレーヌはまごまごしてしまった。
「まさか…誑かしたのではないでしょうね⁉」
…ああ、そういうことか………。“お話し”がしたかったのではなく、“話”があっただけなのか…
マドレーヌはがっくりとした。
そして、親近感を覚えた自分の目は節穴だなと思った。やはり、最初の勘が正しかったようだ。適当な理由を付けて断れば良かった、と後悔してももう遅い。
そんな事を考えている内に、彼女らの追及は段々と熱を帯びていた。その言葉は右耳から入って左耳から抜けているのでよくは覚えていないが、三人して問い質しながらじりじりとこちらへ詰め寄って来る。
「聞いているの⁉」
「ええ、まあ…」
聞こえてはいるが、聴く気は無い。マドレーヌは虚ろな目で答えた。
『…それにしても…意外性が無い方たちで正直面倒臭くなってきたわ…』
もういっそのこと、高笑いでもしながら「悔しかったら奪ったらどう⁇」とでも言ってしまおうか…。どうせなら悪役を演じた方が志のある令嬢が立ち上がるのではないだろうか。――そんな事がマドレーヌの頭をかすめていた。
そういう気持ちから、つい溜息を吐いてしまった。
「…ちょっと……何なの⁉その態度!!」
『ハッ!しまった‼』
図らずも令嬢たちの神経を逆撫でしてしまった。
まずいと思って口を押えたその時、マドレーヌがもう片方の手に持っていた飲み物の器を誰かに取られた。ああ、これはきっと――…
次の瞬間、バシャッと中身をかけられた。
『やっぱり……』
ポタポタと雫を滴らせ、ドレスに広がったシミを眺めながらマドレーヌは思った。視線は自然と下を向く。
「これで会場には戻れませんわね。いい気味!」
令嬢たちはマドレーヌを見ながら笑って言った。
……ああ、悪役はこうやるのが正解なのね。負けたわ…。その時、マドレーヌはぼんやりとそんな事を考えていた。
恥ずかしいだとか、悔しいだとか悲しいだとか…不思議とそういう事は思わなかった。
代わりに湧いてきたのは別の感情だった。
これまで、自分が自由の身になるためには代わりの令嬢なんて誰でもいいと思っていた。正式な婚約者にしてしまえるのなら誰でも。中身がどうでも関係ない。その辺から適当に見立てて、引き合わせてやればいいと思っていた。だが…
『――こういう方を彼に紹介するのは嫌だわ。』
初めて、そう強くマドレーヌは思った。
…気付くとその場には、まだ彼女たちの笑い声がしていた。
どうやら、今日のこの夜会には彼に相応しいご令嬢はいなかったようだ。ならばこんな所にはもう用など無い。
「もう、よろしいかしら?」
マドレーヌの声に、令嬢たちの笑い声はぴたりと止んだ。
彼女の声は、はっきりと響いていた。てっきり屈辱で泣いて逃げ出すかと思っていたのに…。その声は泣きそうに震えてなどいなかった。令嬢たちは戸惑った。
「………」
そんな彼女たちの前で、マドレーヌは汚れたままのドレスの裾を少し持ち上げると、ふわりとお辞儀をして見せた。その所作は完璧だ。令嬢たちも文句のつけようがなく、圧倒されてただ黙って見ているだけだった。
『…特訓がこんなところで役に立つなんて…』
今日までの厳しい稽古に、少しだけ感謝した。
「それでは皆様、ごきげんよう。」
顔を上げたマドレーヌは微笑んでそう言うと、後ろを振り向き歩き出した。その姿は堂々としていて、まるで何事も無かったかのようだ。令嬢たちは言葉もなく見送った。
せっかく用意してもらったドレスを駄目にしてしまった…。謝らなくては……
そう思って歩いていた時、何かにドンとぶつかった。
「痛…」
「ああこんな所にいたんだね、マドレーヌ!」
「⁉」
見上げると、そこにはガナシュの姿があった。
いつの間に?なぜこんな所に⁇マドレーヌがそんな疑問をいくつも浮かべていると、ガナシュはわざとらしく大きな声で喋り出した。
「おや?ドレスが汚れているじゃないか!どうしたんだい??」
それから、少し離れている令嬢たちの方を向いてわざとらしく尋ねた。
「――君たち、何か…知りませんか?」
マドレーヌがちらりとその顔を見ると、彼は黒い笑みを浮かべていた。…そんな顔をしたら彼女たちは……
「ひ、ひいっ」
「しりませんわ!!」
…思った通り、三人とも青ざめながら慌てて立ち去ってしまった…。
そして、辺りには誰もいなくなった。
ガナシュは自分が着ていた上着を脱ぐとマドレーヌの肩に掛けた。
「――お疲れ様でした。いい仕事でしたよ。」
それを聞いたマドレーヌは全てを悟った。
「‼……見ていらしたのね?いつから⁉」
「会場を出て行く前からですね。」
「初めからじゃありませんか‼」
マドレーヌは呆れて大きな声を出した。
「まあまあ…。でもおかげで、かなりの方の観察が出来ました。偽の婚約者として、貴女はとても優秀ですね。」
「調子のいい…」
たしかに自分はそういう役割だったが、そんな風におだてられても嬉しくないとばかりにマドレーヌはむくれてそっぽを向いた。
それを見ると、少しやり過ぎてしまったかとガナシュは焦った。
「このお礼はまたしますよ。それじゃあ、帰りましょうか。」
「…………。」
返事をするのは癪だったので、マドレーヌはこくりと頷いた。
うまく釣られてなだめられているようで、腹が立つ。
そうして、マドレーヌたちは一足先に屋敷へ帰ることにした。
…帰りの馬車の中で、マドレーヌは思った。
――本当はあの時、あの場所にガナシュの姿があってほっとしていた。少しだけ泣きそうになった。
認めたくはないが。と。