マドレーヌは結婚したくない 4
「お断りいたします。」
「……まだ、何も言っていませんが…。」
ガナシュに“お願いがある”と言われたマドレーヌは、その内容を聞きもせずに撥ね付けた。
「だって、どうせろくなお話ではないでしょうし。」
「せめて聞くぐらいはして頂けませんか?」
笑みを引きつらせながら、ガナシュはさらに食い下がった。
その表情を見たマドレーヌは、彼の心証はなかなか悪くないと思った。さて、ではこのままもっとうんざりして頂こう…。追い出“され”作戦は継続だ。
「――分かりましたわ。ならばお話くらいはお伺いいたしましょう?」
腕と足を組み、マドレーヌはわざとより不遜な態度をしてみせた。さあ、早く「今すぐこの令嬢をつまみ出せ‼」と言え、という挑戦的な目をしてガナシュを見た。
「…お願いというのは、一時的に私の婚約者になって頂きたいということです。」
ガナシュのその言葉に、マドレーヌはさほど驚きはしなかった。…そういえばさっき庭で、自分を連れて“相手は決まった”とか何とか言っていた…と思い出したからだ。
しかし、この状況でまだそれを言うか、と少し呆れる気持ちにはなった。客観的に見て、こんな令嬢に婚約者(仮)を頼もうなどとどうかしている。自分だったら、絶対に御免だ。それに今し方、顔を引きつらせたような相手なのに。
“次期公爵”は、やはりおかしい人物なのかもしれない…。
「――改めて、お断りいたします。」
マドレーヌはお返しとばかりににっこりと笑って、またもや撥ね付けた。
「ほう……」
この空気…。その時その場には二人だけしかいなかったが、大きな部屋にも関わらず、他人がいようものなら凍え死にそうな感覚に陥ったことだろう…。
それからしばらく、二人は笑顔のまま睨み合いを続けた。
――そんな膠着状態の中、マドレーヌが口を開いた。
「そんなに“婚約者”が欲しいのなら、貴方が先ほど帰してしまわれた中に候補なんていくらでもいらしたではありませんか。今から適当に選んで、呼び戻したらよろしいですわ。どなたでもきっと、喜んで飛んでいらっしゃるでしょうから。」
「残念ながら、そういう訳にはいきませんね。」
「どうして⁇」
ガナシュがなぜ、そこまで自分に拘るのか、マドレーヌは本気で分からずに戸惑った。
「“一時的に”という事は、要するに仮の婚約者、ということですわよね⁉それならどなたでもいいではないですか‼」
「そこです。私が望んでいるのは、あくまで“仮の”婚約者なんです。本気にされては困る。」
どうも話が噛み合っていないような気がしたが、一先ず続きを聞いてみることにした。
「――これまでの状態では、ご令嬢方の中身がまるで分からなかった。皆媚びて良い顔ばかり。誰もが私に対して猫撫で声でした。」
…自慢だろうか、とマドレーヌは思った。
「ですが私が婚約したと分かれば、化けの皮が剥がれ、見えてくるものもあるでしょう。そうなってから改めて相手を探したいと思っているのです。貴女には、その正式な婚約者が見付かるまでの間、仮の婚約者になって頂きたい。」
何とも身勝手な言い分だ。それに、やはり自分が一番言いたかったことが伝わっていないようで、マドレーヌは不機嫌になった。
「ですから、貴方の事情はどうでもいいんです!わたくしである必要はないですよね、と言っているんです!!」
「いいえ。貴女でなければなりません。先程のお話を伺って確信しました。」
「…“先程のお話”…?」
「貴女がその格好に至るまでのお話です。」
この、ボロボロな格好に至るまでの話…
ガナシュの考えていることが、マドレーヌにはさっぱり分からなかった。
「私にとって、貴女は実に都合が良い。」
「…はい??」
言うに事欠いて、まさか“都合が良い”とは…。マドレーヌはげんなりとした。
「貴女は私にもこの家にも興味がない。」
「…ええ。」
「貴女は結婚をするつもりが無い。」
「…ええ!」
「ほら!これだけでもう仮の婚約者として理想的だ‼他のご令嬢ならば、あわよくばと期待するかもしれない。でも、貴女ならその心配はなさそうだ。それに、婚約破棄となった時には貴女の名に傷が付いてしまいますから、お詫びとお礼に責任をもって良いお相手を世話して差し上げなければと思っていたのですが、その必要もなさそうだ。私にとって、貴女以上に都合の良い相手などいないのですよ!」
ガナシュは生き生きとそう言い放った。マドレーヌはくらりとした。
「あ…貴方にとっては、都合が良いかもしれません。でも、わたくしは⁉わたくしには、それを受けても何のメリットもありません!絶対に、嫌です‼」
マドレーヌは思い切り叫んで立ち上がった。…するとドアが叩かれ、少し前に走って部屋を出て行ったジェノワーズが戻って来た。
「――お話し中のところ、申し訳ございません。」
「構わない。」
「滞りなく、完了いたしました。」
「早かったな。ご苦労。」
ジェノワーズはガナシュに深々と頭を下げると、その側に立った。
「――ええと…そう、貴女のメリットについてでしたね。…うーん…そうですね…。たしかに、ありません。」
少し考えるフリをしたガナシュは、笑顔で抜け抜けとそう言った。
「それじゃあ、これはお話になりませんわね!」
勝ち誇ったようにマドレーヌは言うと、部屋を出て行くため歩き出そうとした。
「メリットはありません。が――…。」
「“が”?」
不敵な笑みを浮かべるガナシュに、マドレーヌはまた嫌な予感がした。そして、ごくりと唾を飲み込んだ。
「…この話を断ることは、貴女の為にならないと思いますよ?」
「どういう意味…ですか?」
雰囲気がおかしくなったことに、マドレーヌは不安を感じた。
「貴女はご実家のお屋敷で、生涯過ごされるおつもりだとおっしゃっていましたね。」
「はい…。」
「――ではこの先も、シャルトルーズ伯爵家が健在だといいですね。」
ガナシュはずっと笑顔のままだが、目が笑っていない。マドレーヌは戦慄した。
…これは脅しだ。
「あ…貴方、家を人質にするおつもり⁉何て方なの!!」
「私も、出来れば手荒なことはしたくありません。貴女が快く頼みを聞いてさえくだされば、むしろシャルトルーズの繁栄に力をお貸しする事も出来るのですよ?」
マドレーヌは歯を食いしばって怒りを堪えた。
「……いくら公爵家といえど、そう簡単に伯爵家を潰す事なんて出来るはずありませんわ!」
「それはどうでしょう。やってみましょうか?」
「―――ッ!!」
…どうやら、これは不審者以上にまずい人物だったようだ。やはり、ここへは来てはいけなかった…。マドレーヌは今日一番の後悔をした。
「どうせ、ハッタリに決まっていますわ‼わたくし、帰らせて頂きます!!」
そう叫んで、マドレーヌはドアから飛び出して行った。
後ろからは「あっ」という声と、立ち上がったガナシュの姿が見えた気がしたが、そんなことに構っている暇はない。一目散に、滞在していた部屋へと急いだ。今のうちに、侍女と荷物を――…いや、荷物など置いて行っていい。彼女だけを連れて、ここから逃げよう。そして、街にいる兄を探してすぐに家へと帰るのだ。…大丈夫、シャルトルーズがそう易々と没落などすることは無い――…
息を切らせ、マドレーヌは部屋へ戻って来た。
そしてそのドアを開けると――…
「…⁉部屋を…間違えた…?」
マドレーヌは困惑した。たしかに、ここは自分に用意されていた部屋だったはずだ。だが、しかし…
部屋には綺麗さっぱり、自分の物だけが何も無くなっていた。持って来た荷物も、連れて来た侍女も、何もかも……
マドレーヌはその場にへたり込んだ。
「…はあっ、足、速いですね……」
呆然としているマドレーヌの側へ、ガナシュたちが追いついてしまった。
「……私の物は…?」
「帰しました。つい先ほど。貴女とお話をしている間にね。」
――そうか、話の前に執事に命令していたのは…その執事が不憫そうな目でこちらを見たのは…こういう事だったのか…。
逃げる手段を、絶たれていた…。
「……初めから、私に選択肢なんて無かったんですね……」
「すみません。こういう性分なもので。これも交渉技術の一つと思ってください。」
「交渉になっていませんわ…」
マドレーヌは気力を失った。項垂れたまま、言葉少なに答えた。
その姿に、流石に悪いと思ったのか、ガナシュが機嫌を取りだした。
「――まあ、私に正式な相手が見付かるまで、ですから!もし明日にでも見付かれば、貴女はすぐにご実家に帰して差し上げますよ。」
「…本当に?」
「え?ええ、まあ…」
そう言いつつ、すぐに見付かる事はないだろうと思ったガナシュは視線を逸らした。
「…そうか…そうですわよね。貴方にすぐにお相手が見付かれば、わたくしは今にも解放されるのだわ!」
「そう…ですね。」
「分かりました!ではわたくし、貴方の婚約者探しに全力で協力いたしますわ‼なんだ、簡単な事ではありませんか。」
解決策を見出したマドレーヌは、急激に生き生きとし始めた。
そして、ふと思った。
「そういえば…仮の婚約者という事は要するに、名義をお貸しすればいいのですよね?では、了承したことですし、わたくし家に帰れますわよね⁉」
その事に気付いたマドレーヌは瞳をらんらんとさせた。
「“仮”と言っても、お披露目やらには付き合って頂かなければなりませんよ?」
「でしたらその時だけ、ご連絡をくださればこちらへ参りますわ!」
「シャルトルーズまではたしか五日ほど…最短でも二日くらいかかりましたよね?とてもそんな時間はありません。貴女にはしばらくここで同居して頂きます。」
にっこりと笑って、ガナシュはマドレーヌの希望を打ち砕いた。一度持ってしまった望みが消えると、心に負ったその痛手は大きい…。
「それに、仮とは言っても貴女には、オードゥヴィ家の婚約者として色々と覚えて頂かなければならないことがありますから。家に帰っている暇などないと思いますよ?」
「そ、そんなぁ……」
マドレーヌはまたがっくりと気を落とした。
――それに、お披露目やらに付き合わされるということは、大嫌いな社交をしなければならないという事。そのことに今更ながら気付いた。
「それならせめて、わたくしの侍女だけでも置いてくださればいいのに!どうして帰してしまったの⁉」
半ベソになりながら、マドレーヌは噛みついた。するとガナシュはにやりと笑って答えた。
「…これでこの屋敷には、貴女が頼れる人間は私だけになったでしょう?」
何があってもこの人にだけは頼らない。マドレーヌはそう誓った。
「こうでもしないと貴女は折れそうもなかったので。それに、家に帰った後で気が変わったと言われても困りますし。」
狡猾すぎる…。マドレーヌは開いた口が塞がらなかった。
「大丈夫、侍女についてはちゃんとこちらで付けますからご安心を。」
「…………」
「では、早速晩餐の席で両親に紹介しないといけません。ジェノワーズ!彼女を新しい部屋へお連れして、晩餐までに支度を整えさせておくように。」
「かしこまりました。マドレーヌ様、参りましょう。」
マドレーヌが放心している間に、状況はどんどん流れていっている。ガナシュから言い付けられたジェノワーズがマドレーヌを立たせると、彼女はやっとハッとして気が付いた。そして連れて行かれながら、逆方向へと歩いて行くガナシュに向かって捨て台詞を吐いたのだった。
「…こ、この、人でなし――!!」
「ははは。では、後ほど。」
“新しい部屋”へ着くまで、マドレーヌはずっと不満を口にしていた。
「――本当、奥様になられる方には同情いたしますわ‼」
「……。それでは、こちらがマドレーヌ様の新しいお部屋となります。」
案内されたのは今までのような客室ではなく、一家が生活する中にある部屋のようだ。“仮”の婚約者となる自分は、どちらかと言えば客人なのではないだろうかとマドレーヌは思った。しかし、外には見えもしないのにここまでやるのかと、ある意味感心した。
ジェノワーズが部屋のドアを開けた。すると中には一人の侍女がいて、こちらに向かってすでに深くお辞儀をしていた。マドレーヌが中へ入ると顔を上げ、軽い自己紹介をした。
「マドレーヌ様、初めてお目にかかります。わたくし、専属侍女を拝命いたしましたブリゼと申します。これから何なりとお申し付けくださいませ。」
「よ…よろしくね。」
“ブリゼ”は、マドレーヌがいつも連れていた侍女よりもずいぶん年上のように見える。落ち着いていて、大人だと思った。
そのブリゼの側にジェノワーズが行くと、何やら耳打ちをして、二人は何かを決心したようだった。
「――…マドレーヌ様、差し出がましいようですが、今回の事はやはりどうしてもお嫌でございますか?」
ジェノワーズが、マドレーヌの方を向いて尋ねてきた。
「当然です!貴方だって、見ていたなら分かったでしょう⁉」
マドレーヌはぷりぷりと怒って答えた。
「では、今後どうなさるおつもりでございますか?」
「仕方ありませんから、夜会やらであの方の奥様候補を探して差し上げるつもりです!そうしたらわたくしは晴れてお役御免ですわ!」
「そうですか…。」
ジェノワーズとブリゼは困ったような顔して、目を見合わせた。
「それでしたら、お早くなさった方がよろしいですわ。」
「そのつもりですけれど、どうして⁇」
「失礼ですが、マドレーヌ様は現在17歳とお伺いしております。もしこのまま成人となられる18歳のお誕生日が来てしまったら…」
「…来てしまったら?」
何か言い辛そうにしているブリゼに、マドレーヌは不安を感じた。
「恐らく、正式にご結婚という事になるかと…。」
「な……なんで―――!?」
邸宅内に、動転したマドレーヌの声が響いたのだった。