マドレーヌは結婚したくない 3
テーブルの下に入り込んでしまったらしい小動物を出してやろうと、マドレーヌがクロスをめくって中を覗くと、目が合ったのは小“動物”どころか、潜んでいた“人間の男”だった…。
初め何が起こっているのか分からなかったマドレーヌは、そのままの姿勢で目を合わせたまま固まった。思考もしばし、停止してしまった。
男の方は、見付かってしまった事でかなりの動揺をしているようだ。頭からは血の気が引き、真っ青な顔色をしている。そして、マドレーヌと同じく、目を合わせたまま固まっている。
「…………」
「…………」
しかしそうしているうちに段々と、マドレーヌの思考は回り始めた。
――…テーブルの下に人がいる事は、普通にある事だろうか…?いや、そんなわけがない。
これは、どう見ても不審者だ!この会場に、不審者が紛れ込んだのだ。恐らく、今日ここに大勢の令嬢たちが集まる事を聞きつけたのだろう。どこからか侵入し、こうしてテーブルクロスの中に隠れて誰かが来るのを待ち伏せしていたに違いない。
そうだ、そういえばさっき向こうの方で令嬢たちが騒いでいた。あれはこれの事だったのだ!不審者の侵入に気付いた者たちがいたのだ。
…しまった、自分は何も気付かずにまんまと罠にはまってしまった…。
『……一体、この屋敷の警備はどうなっていますの⁉仮にもこの国の大貴族なのよね⁉甘いなんてものではないじゃないの…‼』
そこまでが、一瞬の内にマドレーヌの頭の中を駆け巡った。
そしてその後ほぼ反射のように、悲鳴を上げるために口を開きかけた。すると――…
マドレーヌが声を上げるよりも早く不審者が動いた。彼女がそのために息を吸い込んだのを察知し、素早く手をかざすとマドレーヌの口を塞いだ。そして口だけでなく腕も掴むと、そのままひと思いにテーブルクロスの中へと引っ張り込んでしまったのだ……
「―――〰〰〰〰〰っっ!!!」
薄暗いテーブルの下へ引き込まれると、動けないように羽交い絞めにされた。マドレーヌはもちろん激しく抵抗した。
「じっとして…‼」
不審者も必死だ。もがくマドレーヌを静止させようと、その耳元へ小さな声で叫び、乞うた。
だが、そんなものは無理な頼みというものだ。抵抗を止めるわけがない。
「……ッ頼むから、大人しくしてくれ…!そうすれば何もしない。」
そんな、不審者の常套句を真に受けるほどマドレーヌも馬鹿ではない。男から逃れようと、ますます必死に暴れた。
「ぅ〰〰〰〰!!」
しかし、暴れようとすればするほど強い力で押さえつけられた。
「少しだけでいい!!」
マドレーヌは目の前が真っ暗になるように感じた。この状況は絶望的だ。このまま、自分は一体どうなってしまうのか…。血の気が引く。考えたくもない。泣きたくないのに涙が溢れてくる…。もう、駄目だ…
『助けて‼…誰か………お兄様!!』
…………やはり、こんな所へ来るのではなかった…。来てしまったばかりに、こんな事に巻き込まれる羽目になったのだ。マドレーヌは激しく後悔した。もし、生きて帰ることが出来たのなら、もう二度と屋敷の外へは出ない。そう、心に決めた……。
マドレーヌはついに、抵抗する気力を失いかけてしまった。
バサッ
突然、目映い光が差し込んできた。誰かが、テーブルクロスをめくりあげたのだ。
助けだ。助けが来た‼
マドレーヌは強く瞼を閉じた。あまりの眩しさに、目がくらむ……開けていられない。
それから、恐る恐る瞼を開いていった。
初めはぼんやりとしていた視界も、目が慣れてくると段々はっきりと見えるようになってきた。逆光の中、人影が一つ見える…。若い男だ。それも、良い身なりをしている。どうやら使用人ではないらしい……と、いう事は――…
「あ――、こんな所にいた…。お――いジェノワーズ!ここだ!ここにいる‼」
テーブルクロスをめくりあげたまま、若い男が遠くの方へ声を投げかける。その言い方は、使用人を呼んでいるようだ。…ただ、何か緊迫感に欠ける声は多少気になったが…。しかしやはりそうか、自分を助けてくれたのは、例の“次期公爵”――…
そこへ息を切らせた使用人“ジェノワーズ”がやって来た。そして、なぜか見ているだけでテーブルの下から助け出してはくれない“次期公爵”と共に、中を覗いてこちらに向かって言葉を掛けてきた。
「……ッハアッ…なにを…なさっているんです…
ガナシュ様!?」
『⁉』
マドレーヌは混乱した。“ガナシュ”とは、たしか…その“次期公爵”の名だったはずだ…。それを、なぜこちらに向かって言うのだろうか……
「…“何をしているか”って…?」
マドレーヌを羽交い絞めにしたままの、後ろの男が口を開いた。
「見ればわかるだろう、ジェノワーズ。逢引き以外、何に見える?」
「―――!?!!」『ええええええッ』
口を塞がれたままのマドレーヌは声にならない声を上げた。
取りすましてにっこりと笑いながら、この男は一体何を言っているのか⁉マドレーヌは思わず取り乱した。しかも、どうやら“これ”が…
「ガナシュ様…………」
「このご令嬢を気に入ってしまってね。」
“ガナシュ”はずっと同じ体勢のまま、尚も笑顔でそんな事を言い続けている。
ジェノワーズは呆れ果てたような、困り果てたような顔でマドレーヌたちを見た。
羽交い絞めにしている令嬢の表情を見るに、“逢引き”というのが本当だとは思えなかった。しかし、令嬢の格好はどう理解してよいのか分からない程に、なぜかボロボロだ…。何事かあったかのようにしか思えない…。頭痛がしてくる…。ジェノワーズは眉間を押さえた。
「…ブッ…アハハハハハッ…やるなあ、兄貴!!」
そう言って、マドレーヌを助けてくれた(?)偽ガナシュはテーブルクロスの外側で笑い転げていた。
「…ハァ…。笑い事ではございません、ジャンドゥーヤ様……」
『な…なに、これ……何なの……』
マドレーヌは呆然とした。
そんな、呆然としたマドレーヌを伴って、ガナシュは悠然とテーブルの下から這い出てきた。
「――そういう訳だからジェノワーズ、今すぐ集めた令嬢たちにお引き取り願って来い。相手は決まった!これで見合いパーティーは終了だ‼」
「…えっ、家に帰れるんですか⁉」
ガナシュの「令嬢たちを帰らせろ」という言葉に反応したマドレーヌが、正気を取り戻した。
「ああ、君以外はね。」
「エエエッ!?」
にっこりと笑いながら、ガナシュはそう答えた。またもや、マドレーヌは青ざめた。
『こ…この方はやっぱり…不審者とさほど変わらないわ…!』
その後ガナシュの指示は素早く実行された。唖然としたり不満な顔をしたりした大勢の令嬢たちはオードゥヴィ公爵家の屋敷から出され、それぞれの家へと帰された。…ただ一人、マドレーヌを除いて…。
マドレーヌはあの後、逃げられないようにガナシュ自身が常に見張っていた。邸宅の中の広い応接間のような部屋へ彼女を連れて行き、二人は足の短いテーブルを挟んでソファに対面で座っていた。
猜疑心の塊となり機嫌悪そうに腕を組んで睨んでいるマドレーヌと、にこにこと作り笑いをしているガナシュ…。傍からはどう見ても、異様な光景だった。
「それでええと…こちらはどちらのご令嬢かな?ジェノワーズ。」
この状況にも関わらず、相手の名すら知らないとは…いくら主人といえど、ジェノワーズは呆れた。
「…こちらは、シャルトルーズ伯爵家のマドレーヌ様でございます。」
「ほう…シャルトルーズ伯爵の…。夜会などでは一度もお見受けしたことがなかったが…。こんなお嬢さんだったのか。」
そのやり取りに、マドレーヌは今にも噛みつきそうな形相をしていた。それはそうだろう、とジェノワーズは思った。
「…これはどういうことなのか、説明して頂けるかしら。わたくしはなぜ帰して頂けないの⁉そもそも、なぜ貴方はあんなところにいらっしゃったんですか⁇訳が分かりません!」
するとガナシュはそれに何も答えず、自身の執事の方を向いた。
「…ジェノワーズ。少し席を外してくれるか。彼女と二人だけで話がしたい。」
そう言われたジェノワーズは、何かもの言いたげな目で二人を見た。令嬢の方はガナシュのその言葉に焦っているようだ。…このまま、部屋を出てしまってもいいものだろうか…
「ま、待ってください、ここにいてください!」
「ジェノワーズ!聞こえないのか?」
すがるような令嬢の頼みに、主人からの命令…。板挟みになったジェノワーズは溜息を吐き、答えた。
「…かしこまりました、ガナシュ様。では、ドアの前にて待機しております。お話が済みましたら、お呼びください。」
「えええっ」
半泣きのようになっている令嬢を残していくのは気が引けたが、ジェノワーズは一礼するととりあえず、部屋を出て行った。
――部屋に二人きりで残されたマドレーヌは、ますますガナシュを敵視するような目で睨みつけた。
「……ご令嬢に、そんな目で見られたのは初めてだな。」
困ったように、ガナシュは笑った。
「…こんな目以外に、どんな目で見ろと?」
「――たしかに。これまでの無礼は謝りましょう。申し訳なかった。」
そう言って、ガナシュは頭を下げた。
その様子に、マドレーヌは少し戸惑った。“次期公爵”が自分などに頭を下げるとは…。いっその事、ずっと横柄な態度を取り続けてくれた方が憎みやすくていいのに…。何だか、怒りを削がれてしまった。
「さっきの質問には後で答えるとして…。その前に貴女には、いくつか伺いたい事があるのですが。」
「…?はい…。」
「最初にお会いした時からずっと疑問だったのですが――…。その格好は、一体何なのですか?」
マドレーヌはハッとした。この騒動で、自分が今、ビリビリでボロボロなドレスを身に纏っている事をすっかり忘れてた。よくよく考えてみれば、自分の方こそ異様で不審者のようだ…。
「こ、これは……木登りをして…その時に…。」
「……きのぼり…?」
ガナシュは全く意味が分からない様子で、目をぱちくりとさせた。
仕方なく、マドレーヌはそこに至るまでの過程を説明した。それこそ、ここへは嫌々来たこと、追い出されるためにあれこれと画策したこと――…
良く思われようなどという気持ちがこれっぽっちも無いため、洗いざらい話して聞かせた。
「……っ…それで…木に登った、と……」
一通りマドレーヌの話を聞いたガナシュは横を向き、体を震わせ声を殺して笑っている。…言わなければ良かった、とマドレーヌは思った。どうせならば、ガナシュの事を「兄貴」と呼んでいた、あの弟らしい男と同じように大笑いしてくれた方がよほど気が楽だ…。
「……。あの、わたくしがお話したのですから、今度は貴方の番ですわ。なぜあんなところにいらしたの?不審者だと思って、本当に怖い思いをしましたのよ⁉」
またもやムッとしながら、マドレーヌは口を開いた。
「こ…これはまた、失礼…。」
ガナシュは笑い過ぎて出てしまった涙を拭きながら、今日の事を話し始めた。
――今回のパーティーでも開始早々、ガナシュは令嬢たちから追いかけ回されていた。
結局、パーティーを中止するような妙案は思いつかずにこの日を迎えてしまったのだった。辛うじて笑顔を張り付けてはいるが…
『ああ…この空気…。もう駄目だ、本当に耐えられない‼』
ガナシュは令嬢たちに囲まれていた庭園で、彼女たちの人垣を強引に突っ切ると、そのまま走り出した。
「――ガナシュ様ぁ!?」
「お待ちになって!!」
突然走って逃げ出したガナシュに、その場は騒然とした。
豪勢なドレスを纏った彼女らに、自分が捕まる可能性は万に一つもない。ガナシュには逃げ切る自信があった。
だが身を隠そうとも邸宅までは遠く、今この場から逃げおおせてもこれから三日三晩のパーティーが残っている。何か、回避する術を考えなくては…。
そんな事をしている内に、いつの間にか庭園を抜け、邸宅が建っているのとは逆方向の立食エリアへと出て来てしまった。後ろから、自分を探す令嬢たちの声が聞こえる。――不味い!このままではいずれ捕まってしまう!!
その時ガナシュの目に、クロスを掛けたテーブルの群れが飛び込んできた。
考える暇もなく、一番近くにあったテーブルの下へと潜り込む。それだけでは、すぐに居場所がバレてしまうかもしれない…。潜り込んだテーブルをそのまま抜け、反対側から出るとまたその先のテーブルへと潜り込む。そしてまたそれも抜けると、その先へ……。
それを何度も繰り返し、何とか見付からずにだいぶ先のテーブルまでやって来た。とりあえずはこのまま、息を潜めて隠れていよう。ここまで来れば、すぐには見付からないはずだ。多少は時間を稼げる。…その間に、これからどうするか考えなければ…
ほっとしたガナシュは、地面に腰を下ろした。すると、陽の光に照らされ薄明かりが差しているテーブルクロスに、一つの人影が映った。
こんな所に来る人間がいるとは…‼しかも、そのシルエットは令嬢のものと思われた。ガナシュは動揺した。動揺したあまり、テーブルの脚に体が触れてしまった。
カタッ。わずかに、テーブルが動いた。
しまった!!その瞬間ガナシュは青ざめた。どうか、気付かないでくれ、と祈った。反射的に身を守ろうと、体をシルエットと反対の方向に動かしてしまう。すると、今度はテーブルクロスの裾を踏んだ。また、テーブルが動いてしまった…。
―――不味い!!!
次の瞬間、恐れていた事が起こった。シルエットの主が、クロスをめくりあげたのだ。
そして、中を覗き込んだその相手と目が合った。終わった。――という思いと共に、ガナシュはあることが気になった。
『…なぜ、この令嬢はこんなにボロボロな格好をしているのだろう……。意味が分からない…。』
しばらく、思考が固まった。
だが、その令嬢が叫び声を上げそうになった。ハッとして焦ったガナシュはとっさにその口を塞ぐと、そのままテーブルの下へと引き込んでしまった。
後は、マドレーヌも知っている通りだ。
「―――…そういう訳で、私はああいうパーティーはもうこりごりだと思っているんですよ。」
「はあ…。それは分かりましたけれど、なぜわたくしは、帰して頂けないの⁇」
正直言えば、マドレーヌとしては、ガナシュがテーブルの下に隠れていた事よりもその事の方が重要だ。なのに、ガナシュはそれにはなかなか答えてくれず、マドレーヌの方をじっと見て何かを考えているようだ…。
――そしてしばらくすると考えがまとまったのか、ドアの方へ声を掛けた。
「ジェノワーズ!来てくれ。」
「はい、失礼いたします。」
声を掛けられた彼の執事は、ドアをノックするとすぐに入って来て、さっとその側へ行った。
そして、主人から何やらひそひそと耳打ちをされている。
『…何なの…?嫌な感じだわ…。』
これで何度目だろうか。マドレーヌはまた、不信感を抱いた。
「…えっ、よろしいのですか⁇」
「ああ。早急に完了させてくれ。いいな?」
「……かしこまりました…。」
ジェノワーズはマドレーヌの方をちらりと不憫そうな目で見ると、急いで走って行ってしまった。
『!?』
何が起きようとしているのか、マドレーヌにはさっぱり見当が付かなかったが、何か嫌な予感だけがしていた。
「――さて、と。ではもう少し、お話ししましょうか。マドレーヌ嬢。」
足を組んでにっこりとそう言うガナシュに、マドレーヌの嫌な予感はさらに強くなった。
「実は貴女に、お願いしたいことがあるんです。」