マドレーヌは結婚したくない 1
ここは、ガトーラルコール王国一の保養地として名高い、シャルトルーズ伯爵領。
その領主であるシャルトルーズ伯爵には二人の子がいた。一人は跡継ぎである長男・カヌレ、もう一人はその妹である長女・マドレーヌだ。
マドレーヌは現在17歳。そろそろ縁談などが舞い込み始める年頃だったが、今のところそんな音沙汰は無いようだ。…それもそのはず、マドレーヌは面倒臭がって滅多に夜会などには出る事がなかったのだ。だから年頃の令息たちからの認識度が、ほぼ無い。
しかし、彼女が夜会に出るのを面倒臭がるのも無理はない。“保養地として名高い”といえば聞こえはいいが、シャルトルーズ領は山や森に囲まれた、言わば辺境の地なのだ。夜会へ行く、なんてことになれば、何処へ行くにも長距離移動が必須だった。――だが問題なのは、それがなくてもマドレーヌは夜会などへ出掛けて行く事が稀だという事だ。
要するに、根っからの面倒臭がりなのである。
父親であるシャルトルーズ伯爵は、当然頭を抱えていた。
「わたくしに縁談が来ない事を嘆いていらっしゃるの?お父様。そんなこと、別に気になさらなくていいのに。」
マドレーヌはけろりとした顔で言ってのけた。
「だがな、マドレーヌ。このままだと良いお話もないまま、お前は嫌煙されるようになってしまうかもしれないのだよ?」
「“嫁ぎ先が無い”ということでしょう?構いませんわ、お父様。」
「か、構わないって、お前…」
「だってわたくし、結婚なんてするつもりありませんもの。」
「!?な…」
「わたくし、ずっとこのお屋敷で自由気ままに過ごすんです。もちろん、お兄様の所へ来て下さる義姉とは仲良くしますわ!文句を言ったり、我儘を言ったりはしません。邪魔にならないように、静かーに好きな事をして生きていくんです。うふふ。」
マドレーヌの話を聞いた伯爵は衝撃のあまり卒倒した。ついでに、それが聞こえた兄・カヌレも腰を抜かした。
周囲を自然に囲まれたシャルトルーズ領は、国境にありながらも険しい山脈が厳重な壁の役割をしているため、侵略の恐れなどがなくのどかな場所だった。
そんなところで育ったマドレーヌは、毎日飽きるまで野山を駆け、寝たいときに寝て起きたいときに起き、令嬢として最低限の教育を受ける他は自由を満喫して生きてきた。
夜会やパーティーには滅多に参加しない、ということは、つまり同年代の貴族に会う機会もまた少なかった。そのため、同じ年頃の令嬢たちが良い条件の令息探しに躍起になっていることも当然知らない。知らないからこそ、焦るなどという事も無かった。
―――その結果、上記の意思表明に繋がっていったのだった……
そんな、ある日―――…
「マドレーヌ。お前宛てに、“見合い”の話が来ている。」
「あら、珍しい。お断りして、お父様。」
シャルトルーズ伯爵が、わざわざ自分の書斎に娘を呼び向かいのソファに座らせると仰々しく告げたのだが、マドレーヌは何の感情もなくそう言うと、さっさと立ち上がろうとした。
「ああっ待って!もうちょっと聞いて‼」
伯爵はマドレーヌが出て行かないようにとしがみ付いて乞うた。
仕方なくマドレーヌがソファに座り直すと、伯爵は気を取り直して一つ咳払いをした。
「――いいかい、マドレーヌ。これはあの、オードゥヴィ公爵家から送られて来たものなのだよ。我が国の大貴族だ。名前くらい知っているだろう?」
「ええ、まあ…。でもどうしてわたくしに⁇」
相手の名を聞いたマドレーヌは、訝しそうに尋ねた。それは当然の反応だ。彼女にとって、一切、何の所縁もなかったからだ。
「それが…だな…。」
伯爵は話し難そうに手紙を開いて見せた。
その手紙の内容を、マドレーヌは流れで読み始めた。
〈――この度我が家の次期当主、ガナシュ・パンプルムス・オードゥヴィ主催によるパーティーを行うこととなりました。つきましては、貴女様にもご参加頂きたく、ご案内を差し上げた次第でございます――〉
「なあんだ!“見合いが来た”なんておっしゃるから一体何かしらと思えば、ただの次期公爵様のお相手探しパーティーの招待状じゃない‼」
マドレーヌは呆れたように大きな声を出した。
「これこそ不参加と言えば済む話でしょう。理由なんて、それすら必要かしら?」
そう言うと、その手からひらりと手紙を落としマドレーヌは立ち上がった。
「だから、待てと言うに!話はこれからなんだ。」
またも仕方なしに、マドレーヌは再度ソファに座り直した。
「――お前がそういう所に行きたくないということは重々分かっている!…ただな、これは、恐らく国中の年頃の令嬢たちに送られているものなんだ。しかも、今回が初めて開かれるパーティーではない!それがどういう意味か、分かるか?」
「さあ。」
マドレーヌは全く興味が無さそうに、相槌を打つように答えた。
「要するに、オードゥヴィ公爵家は、次期当主様のお相手がなかなか決まらずに困っていらっしゃるという事なんだよ!」
「ふぅん。」
やはりマドレーヌは他人事のように上の空で聞いている。
「…もう少し、興味を持ちなさい…。」
「だって、そんなに沢山呼んでも決まらないなんて、余程嫌がられるような方なのでしょう?どう興味を持てと。」
「いや、逆だ逆!家柄にしろご容姿にしろ、物凄く人気のある方だよ!有名なのに知らないとは…ろくに夜会にも出席しないからそうなるんだぞ⁉」
「別にいいですわよ、そんなこと。でも、それならきっと傲慢な方だからなのでしょうね。何にせよ興味ありませんわ。」
伯爵がどう頑張って売り込んでも、マドレーヌの心には響かない。…これは別の方法を取るしかない、と父は考えた。
「いいか、マドレーヌ。今回来たお誘いにお断りをしたところで、きっとまた来るぞ。お前が行くまでな。」
「そんなの分かりませんわ。今回でお相手を決められるかもしれないじゃないですか。」
「いいや、きっと来るぞ行くまでは。……聞いた話では、もうとんでもないほどの数のパーティーを開いているそうなんだ。片っ端から令嬢に声を掛けているという事は、相当切羽詰まっていらっしゃる…。断言する!今回のパーティーでもきっと決まらん‼」
父親の迫力に、マドレーヌは何度も来続けるパーティーの招待状を想像した。
「…それは…うっとおしいですわね…。」
「だろう⁉でも、一度行って、見向きもされなければもう来ることは無いさ!」
「うぅん……。」
マドレーヌは悩んだ。…たしかに、何度も何度も招待状を受け取りたくはない。
「でも…オードゥヴィ公爵家のお屋敷って、王都にあるのでしょう?何日もかけて行きたくないですわ。」
「じゃあ、船を使って移動したらいい!馬車よりずっと早く王都まで着くぞ‼そうだ、付き添いにカヌレを連れて行きなさい。兄が一緒に行けば、少しは気が楽になるだろう?」
「う―――ん……」
「出席さえすればそれだけでいいんだ。簡単な事だよ。なっ!?」
父はついに、手を合わせて懇願してきた。
「…………仕方ありませんわね…。」
マドレーヌは根負けした。
「――そうか‼良かった~‼さすがにあのお家からの招待をお断りするなんて、うちには到底出来ることではないからね!」
シャルトルーズ伯爵は心底安心し、声が弾んでいた。――どうやら、マドレーヌをどうしても行かせたかったのは“断る事が嫌だったから”らしい…
「…お父様、そっちが本音でしたのね。てっきりこの縁談を勝ち取って来いという意味かと思いましたわ。」
「まさか!そんな大それたこと考えるわけがないだろう‼あのお方がお前を気に入る道理なんて無いからね。はっはっは!」
「………」
もし父がそのつもりだったとしても、そんな気は毛頭ないマドレーヌだったのだが、父親のこの発言は少々癇に障った。それに気付いた伯爵は、慌てて体裁を取り繕った。
「マドレーヌの将来については、追々考えるとして…これも社交の一つだ。どうせ何があるわけではないのだから、今回は王都に観光に行ったとでも思えばいい。」
「まあ、そうですわね。」
言われてみれば生まれてこの方十七年間、マドレーヌはまだ王都へは行った事がなかった。一度くらいはそれを見てみてもいいかもしれない、と思った。
そう考えると、少し楽しみな気もしてきた。
それから数日後、沢山の荷物を積んだ馬車に、自分の世話をするための侍女を一人と兄・カヌレも乗せ、マドレーヌは王都へと旅立って行った。
この、オードゥヴィ公爵家による次期当主のための“合同見合いパーティー”は令嬢だけを招待し、昼にパーティーを開き夜には夜会を開くという長い長い会を、同じメンバーで三日も連続で行うという常軌を逸したと思われる仕様らしい。…つまり、それだけ一度に呼ぶお相手候補の人数が多い、ということだ。たった一回、一度の会ではとてもそれぞれを“品定め”出来ない、という事なのだろう…。
…それを聞いただけで、マドレーヌは吐き気がする思いになった。
「――ねえお兄様。」
ガタゴトと馬車に揺られながら、マドレーヌはカヌレに尋ねた。
「何だい?」
「オードゥヴィ家の次期公爵様って、そんなに女性の理想が高いのかしらね。」
「さあ…僕に聞かれてもねえ。でもどうして?気になるのかい?」
「ある意味気になりますわ。だって何十回?もお見合いパーティーを開いても決められない方が選ばれる方よ?どんな方なのか、ものすごく興味があるでしょう!その時はぜひ一目、見てみたいわあ。」
「…野次馬根性はあるんだね、マドレーヌ…。」
兄は安心したような、呆れたような、複雑な気持ちになった。
「ねえお兄様。お兄様と次期公爵様って、お話が合いそうよね。」
余程暇なのか、また唐突にマドレーヌが言い出した。
「ええ?どうして⁇」
「だって、お兄様もなかなかお相手が見付からないんだもの!似てるでしょう?」
無邪気な妹の論理は、兄を傷付けた。
「…全然似てないよ、マドレーヌ。あちらは立候補者が山ほどいるんだ。…断られてばかりの僕とは全く違うんだよ……。」
「それはうちのある“場所”がいけないんですわ!みんな都会の方が良くて、シャルトルーズには来たくないというだけよ。そうだわ、良いこと考えた!集まったご令嬢の中から引っ掛けたらどうかしら⁇」
「はしたない言い方は駄目だよ、マドレーヌ。…それに…それは僕がより惨めになるから、絶対にしないよ⁉みんなガナシュ様を目当てに集まるんだから、僕なんてお呼びじゃないんだよ…」
言いながら、カヌレは自分で自分の傷をえぐって塞ぎ込んだ。
「でも、もし選ばれたとしても、たった一人だけでしょう⁇その他大勢は傷心でお帰りになるじゃない。そこへお兄様が優しーく声を掛けるのですわ!」
マドレーヌは悪い顔をして笑っている。妹は世間知らず過ぎる…カヌレは脱力した。
「マドレーヌ……。ガナシュ様を見れば、そんなこと言えなくなるよ。」
「お兄様は見たことあるの?」
「ああ、もちろん。寄宿学校の二年後輩だったからね。交流はなかったけど…。名門公爵家の嫡男であの風貌なら、お相手に名乗りを上げるご令嬢が殺到するのも無理はないと思ったよ。」
「ふうーん…」
「…だからね、そんな方と僕を天秤にかけたら僕が吹き飛んでしまうからね…。」
「でも、お兄様の方が絶対に優しいと思いますわ‼みんな、見る目ない!」
マドレーヌはむくれてプイっと横を向いてしまった。
「……ははは…。」
苦笑いするしかないカヌレと、マドレーヌたちを乗せた馬車は進む。
「……っクシュン‼」
王都にあるオードゥヴィ公爵家の屋敷で、件のパーティーの主役・ガナシュがくしゃみをした。
「――いけない、これは風邪を引いたのかもしれないな!ジェノワーズ、パーティーの延期…中止を知らせてくれ‼」
「誰かがガナシュ様の噂でもなさったのでしょう。お風邪だとしても、パーティーまではあと数日ございます。間に合うよう全力で治療に当たらせて頂きますので、ご安心を。」
「……。」
たまたま出たくしゃみを理由にパーティーを中止にしようとしたガナシュだったが、優秀な自分の執事・ジェノワーズによってすぐさま阻止されてしまった。
「……そんなにパーティーがお嫌なのでしたら、さっさとお相手をお決めになってしまわれればよろしいのですよ。」
「…そうは言ってもだな、…お前だって見ていれば分かるだろう⁉彼女たちは皆、同じ表情をして寄ってくるんだ!誰が誰だか見分けがつかない‼」
しかも、パーティーは回を重ねるごとに招待した令嬢たちのボルテージが上がっていく…。
毎回招待するメンバーは全て新しく変えているのだが、どうもそれがいけないらしい。令嬢たちは「なかなか相手が決まらないのは、私を待っているからだ‼」というおとぎ話的心理に満ち溢れ、我こそが運命の相手だと言わんばかりに凄まじいアピール合戦を繰り広げるようになっていた。
――それを思い出しただけで、ガナシュは顔を青くした。
「でしたらどなたを選ばれても同じ、という事なのでは?いっそ小石でも投げて、当たった方をお相手になさってはいかがでしょう。」
しれっとそう言うジェノワーズを見ながら、ガナシュは小石を投げて誰かに当てる想像をしてみた。
「いくら何でも適当過ぎるだろう‼お前、自分の主人の妻がそんな選び方でいいと本気で思っているのか⁉」
「とんでもございません!そんなことをなさるのならば、わたくしはガナシュ様の執事を辞めさせていただきます。」
「…………ぅ」
ジェノワーズのあまりの言いっぷりに、ガナシュは閉口してしまった。
「旦那様方に許嫁を勝手に決められてしまわないだけ、ガナシュ様は恵まれていらっしゃるのですよ?あれだけご令嬢方から人気がおありで、結構な事ではございませんか。」
「…分かっている…。お前の言いたいことは全て分かっている!!」
そう吐き捨てると、ガナシュは部屋を出て行ってしまった。
『…分かっていても、どうにもならない事はあるんだ…!とにかく、どうにかしないと…。』
これ以上は耐えられない…。来たるパーティーの日を前に、焦りながら廊下を歩くガナシュは、これからの事について画策を始めたのだった。