マドレーヌは結婚したくない 10
「わたくし、作戦を練りましたのよ‼」
オードゥヴィ公爵家の屋敷では、近く婚約発表を兼ねた夜会が行われることになり、それに向けた準備が着々と進んでいた。
そんな時、マドレーヌが意気揚々とガナシュの元へ計画を持ってやって来たのだが…。その隣にはなぜか、彼女に無理やり引っ張られて来たジャンドゥーヤの姿があり、ガナシュは少しムッとしていた。
――そんな風に、腕にしがみ付く必要はないだろう…。
「…それで、作戦って?」
テラスで書類に目を通していたガナシュは平静を装って笑顔で返した。だが、今にも口の端が引きつりそうだ。
「それはずばり、“傍若無人な我儘婚約者とそれを嘆き将来を憂う義弟”ですわ!!」
えへんと誇らしげに胸を張り、マドレーヌは高らかと歌い上げるように披露した。
「“傍若無じ”…え???」
少し理解が追いつかず、ガナシュはポカンとしながら聞き返した。
「…まあ、作戦名なんてどうでもいいんです!要するに、わたくしが夜会で傍若無人に振る舞って、それを見た弟のジャン様が“あんなのが兄嫁になってはいけない”と色々なところで吹聴して回る、という作戦ですわ。」
「……。」
マドレーヌは得意気に語って聞かせた。
――自分を貶めるための作戦をよくもそう思いつくものだと、ガナシュはある意味感心しながら聞いていた。
「それはまた穏やかではないが、どうやってその発想になったんだい?」
「婚約破棄について調べていたら、沢山の方の手記だとか記事だとかが見付かって…気付いたんです。嫌味な令嬢の婚約者には、それを救う運命の相手が現れるという事に!これが世の中のセオリーなんですのよ‼」
マドレーヌは自信たっぷりに言い切った。
…どうやら、彼女の策は物語の様相を呈してきたようだ…。婚約破棄関連の手記やら記事やらなんて結局、ゴシップばかりだ。どこまで本当かも分からないようなものを参考にしているとは、そろそろ止めに入って現実に引き戻した方がいいのではないだろうか……
それにそもそも、そういうのは婚約者が余所見をするところが肝心であって……
「今までは探そうとするから上手くいかなかったんです。だから追い求めるのではなく、逆にエサを撒いておびき寄せる…。どう?完璧だと思いません⁇これしかありませんわ!」
…たぶん、“エサ”と言うならガナシュ自身がすでにそうで、そのエサに今まで沢山の令嬢たちがおびき寄せられて来ていたのだ。確かにマドレーヌからすればガナシュの正式な相手は「探そうとしている」ものだが、これまで「追い求め」られてきたのはガナシュの方だ。初めから破綻している論理なのだが、それに気付かずマドレーヌは自信満々で満足そうにしている。
訂正してやればいいのだが、あの表情を見ていると、ガナシュはどうにもそうは出来なかった。
「もうすでにジャン様にはお芝居の特訓を始めていますのよ。さあ、どうぞ!」
そう言って、マドレーヌはジャンドゥーヤの背を押して促した。仕方なく彼は一歩前に出ると、死んだような目をしながら口を開いた。
「あ…ア~~あんな人が兄上と結婚するのかー。我が家はどうなってしまうのだろーかー。」
一切の感情を排した声だ。…どうやら、弟も兄と同じ事を考えていたらしい…。“やらされている”感、満載だ。
「ちょっとジャン様、何ですの?その棒読みは!!もっと心を込めて‼ハイ、もう一度!」
「……あー!あれが未来の公爵夫人なんてお先真っ暗だー!!」
「もう!真面目にやってくださいな‼」
「ウルサイやってるよ‼」
やけくそに叫ぶジャンドゥーヤに対し、マドレーヌが詰め寄って行った。
…だから、近い。色々と近い!
「――マドレーヌ!」
思わずガナシュは割って入るように声を掛けると、席から立ち上がった。…さっきから、どうもおかしい。イライラとする…。
そんな気持ちを隠すように笑顔を作ると顔を上げ、マドレーヌに尋ねた。
「じゃあ、僕は何をすればいい?」
「え??」
マドレーヌはきょとんとした。――それは作戦に参加したいという事なのだろうか?考えてもいなかった問いに、マドレーヌは悩んだ。
“主役として、ガナシュはどうするべきか”……
「…うーん…。そうですわねえ、こういう場合って…」
真剣に考え込んでいるマドレーヌが出す答えに、ガナシュは期待した。一体、自分にはどんな役割を与えて――…
「何もしなくていいんですのよ!たぶん、そういうものだわ。でも強いて言うなら…当日、わたくしに困っているような素振りをなされば言うことはありませんわねっ。」
呆然として固まっているガナシュをよそに、マドレーヌは生き生きと作戦への意気込みを見せていた。
…これではまるで、自分だけ蚊帳の外ではないか…
「さあ、そのためにもジャン様!特訓を続けますわよ。行きましょう!」
「…えええ…勘弁してくれよ…」
面倒そうにしているジャンドゥーヤの背中を押し、マドレーヌはまた彼を連れてどこかへ行こうとしている。またも、ガナシュの中ではモヤモヤとしたものが湧き上がった。
「……ジャン、嫌なら嫌だとはっきり断ったらいい。それをして、お前に得はないんだろう?」
機嫌の悪そうな声で突然そう言われたジャンドゥーヤはポカンとした。
それはどう聞いても――…“嫉妬”というものではないのか?あの兄が………
「――でもまあ、マドレーヌの頼みだしなあ。仕方ないから付き合うよ。得は…無くもないしね。」
ニヤニヤとしながら言い残すと、ジャンドゥーヤはマドレーヌに押されながら向こうの方へと行ってしまった。
ガナシュはその場に、ポツンと一人取り残された。
――…どうして……
彼女は自分の“婚約者”ということ、だったはずだ。それなのに、なぜ、気が付くと彼女はジャンドゥーヤと共にいるのだろうか。本来なら――…
ガナシュははたと気付いた。「本来なら」、何だ?
いや、違う。これが「本来の状態」だ。だって彼女は“仮”の婚約者なのだから………
そしてそれを初めに散々言い聞かせたのは自分だ。
「本気にされたら困る」
「あわよくばと期待するな」
「仮の婚約者として理想的だ」………
全て、マドレーヌに言っていた事だ。今になって、その事を激しく後悔している。結局はあの自分勝手な言い分が全部、自分の身に返って来たのだ…。
言われたことを忠実に守っている彼女を不満に思うなんて、お門違いも甚だしい。
素っ気なくされても、関心を持たれなくても、それは当然の事なのだから。
「――ガナシュ様。」
それまでずっと側にいたのに、ガナシュは彼の事をすっかり忘れていた。ぼうっと立ち尽くしているところに声を掛けられ、ハッとしてジェノワーズの方を振り向いた。
「あ…ああ、悪い。書類だったな。残りをくれ。」
椅子に座り直したガナシュは再び手元の紙に目を落とした。心ここにあらず、だが…。
「…悋気はお見苦しいですよ。」
ぽつりと言われた一言が、ガナシュに突き刺さった。…さすが、常日頃行動を共にしている執事は目ざとい。全てを見透かされているようだ。
「っ‼…分かっている!」
「でしたら、勿体ぶらずにはっきりさせたらよろしいでしょう。意地を張られるのはあまり得策ではありません。」
ジェノワーズが諌める言葉を聞きながら、素直には従いたくない気持ちもあった。しかし…
「………………そうだな。」
小さな声で、ガナシュはそうこぼしていた。
数日後、オードゥヴィ公爵家の屋敷で大きな夜会が行われた。
それに先立ち、この日の主役の一人であるマドレーヌはいつにも増した念入りな支度をされていた。
「ねえブリゼ。」
マドレーヌは支度が始まる前、こそりと侍女のブリゼに耳打ちをしていた。
「今日はこう…生意気な感じに仕上げてちょうだいね。」
「“生意気な感じ”…?」
「そうよ。他の令嬢たちが見たらイラっとしてしまうような。やっぱり見た目の印象って、大事よね!」
「…尽力いたしますわ。」
ブリゼはおかしな要求に困りながらも笑って了承した。
今日こそ勝負の日だ。マドレーヌのこの日にかける熱量には凄まじいものがあった。すぐにではなくても、近々誰かが名乗り出てくるような土壌を作り上げなければと…。
王宮の夜会の日、とっさに思い付いた“悪役を演じる”というのはやはり、我ながらいい案だった。今度の作戦のベースになっているのはあれだ。あの時は勉強不足で上手く実行することが出来なかったが、今回は違う。今日までに恋愛小説を読み漁り、予習も完璧だ。それにジャンドゥーヤの後援という強い味方もある。抜かりはない。
時間になった。
屋敷には続々と招待客らが集まって来ている。目ぼしい令嬢たちの姿も…ちゃんとある。
お揃いで仕立てられた服に身を包んだガナシュとマドレーヌは手を取りあうと、寄り添うように会場へと入った。否が応でも人々の視線は集まっていく。
まずはここで、どうだと言わんばかりに“仲の良さ”を見せ付けてやるのだ。そして鼻持ちならなさを演出し、他の令嬢たちの嫉妬を煽る…。
『…私は女優、私は女優……』
頭の中で何度も呟く。喋る時は、口調や態度にも細心の注意払わなければ…!
そうしている内に、会場の中心にはガナシュの両親である現公爵夫妻も姿を現していた。
公爵は一歩前に出て周囲の耳目を集めると、話を始めた。
「――皆さん、お集まりいただきありがとう。本日はこの場で重大な発表をさせて頂く。さあ、二人ともこちらへおいで。」
マドレーヌたちは公爵に呼ばれた。いよいよその時が来た。次期公爵の婚約者の披露だ。
「紹介しよう。彼女はシャルトルーズ伯爵家のマドレーヌ嬢です。この度我が息子ガナシュと婚約という運びになりましたので、皆さんにお知らせします!」
ドクンドクンと、マドレーヌは自分の大きな心音を感じていた。必ず、上手く立ち回ってみせる‼
「マドレーヌ・ミュリエ・シャルトルーズですわ。皆様、どうぞお見知りおきを!」
お辞儀をし、顔を上げたマドレーヌは嫌味っぽく笑ってみせた。




