マドレーヌは結婚したくない 9
王宮の夜会も終わり、マドレーヌは一つ山を越えた。…とはいえ、その収穫は全く無かったと言っても過言ではない。どうにも消化不良だ…。
悶々としながらベッドにごろりと寝転がった。
約束通り、今日は一日お稽古事は休みだそうだ。
外はいい天気…。にも拘らず、ダラダラと無駄に時間を過ごすという贅沢を、マドレーヌは味わっていた。
すると不意に、コンコンと部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。
「はい?」
「マドレーヌ様、よろしいでしょうか?」
声の主はガナシュの執事・ジェノワーズだった。
マドレーヌの世話役をしている侍女・ブリゼが行って扉を開けると、彼は入り口に立ったまま用件を伝えてきた。
「ガナシュ様がテラスで一緒にお茶でも、とおっしゃっています。いかがでしょうか。」
一緒にお茶をする機会は今まで何度もあったが、こうしてわざわざ呼び出すなんて珍しい。マドレーヌはそう思った。
…もしかしたら、昨日の夜会の反省会かもしれない。今後のためにも、確かにそれは必要だ。
マドレーヌはその誘いを受けることにした。
ダラダラと過ごすための部屋着からまともな服に着替え、ブリゼが仕上げを整えて準備完了。少し時間が掛かってしまったが、テラスへと向かった。
「――遅くなってしまって申し訳ありません。…あら⁇」
てっきり二人で昨夜の反省会だと思っていたら、そこにはガナシュだけでなく、その弟のジャンドゥーヤまでもがすでに席に着いて待っていた。
「急に声を掛けたのは私の方ですから、気にしないでください。…ついでに、コレも気にしないで。」
マドレーヌへ向けた笑顔から、横目でじろりとジャンドゥーヤを睨みつけ、ガナシュは答えた。
「“コレ”だなんて酷いな~兄貴は。」
「お前を誘った記憶はない。」
「いいじゃないかよ交ざったって!人数が多い方が楽しいだろ?」
「男兄弟で茶をして何が楽しいんだ。」
マドレーヌがやって来るや否や、二人はたわいもない喧嘩を始めた。
ジャンドゥーヤはいつもの調子だが、ガナシュの方はいつもよりも少し精神年齢が下がったような会話をしている。恐らく、兄弟だけの時はこんな感じなのだろう。彼は取り澄ました感じが薄れ、以前よりもマドレーヌの前で気を緩めるようになったようだ。
そんな様子をしばらくポカンと眺めていたマドレーヌだったが、次第に笑いが込み上げてきた。
「…ふっふふふっ……」
彼女の笑い声で、今度は兄弟二人がポカンとしてマドレーヌの方を見た。
「…仲がよろしいんですね。」
「よくない!!」
「っあははは!」
マドレーヌの言葉に反応し、ガナシュとジャンドゥーヤの声が完全に合わさった。それで余計に可笑しくなってしまい、マドレーヌはさらに笑い声を立てたのだった。
「……良かった。夕べの事を気にして落ち込んでいるのではないかと思っていたのですが…。」
結局、ジャンドゥーヤも同席して三人でのお茶会が始まっていた。
カップに口を付けながら、ガナシュは少し安心したように言った。
「夕べ?ああ…あの夜会は不発でしたわね…。良い方がいらっしゃいませんでした。」
溜息を吐きながら、マドレーヌは残念そうにしている。
「…え?」
「え??」
ガナシュとマドレーヌはぱちくりとして顔を見合わせた。…どうも、話が噛み合っていない。
「――確かに。ひとのドレスを汚すような令嬢がいる夜会じゃ、ろくな相手は見付かりそうにないな。残念!」
菓子に手を伸ばしながら、見かねたジャンドゥーヤが口を挟んだ。それを聞いた二人は、ようやくお互い合点がいったようだ。
全く、世話の焼ける…。
「ジャン、王宮主催の夜会だぞ。口を慎め。」
「どうせ他人は聞いてないよ。ここだけの話。」
兄に窘められても、ジャンドゥーヤは口をもぐもぐとさせながら喋っていた。
――そういえば、ドレスの事を謝るのを忘れていた、とマドレーヌは思った。見知らぬ令嬢にやられたとはいえ、その原因を作ったのは自分だ…。わざわざ豪華なドレスを作ってもらっておきながらあんな事をして、黙っているという訳にはいかない。
「…あの、仕立てたドレスの代金の請求はシャルトルーズへ送ってください。買い取りますわ。あんな風にしてしまってごめんなさい…」
「えっ⁉いや、そんな事はどうでもいい!どうせ一度着たらそれで終わりなんだから。それよりも、君が傷ついたんじゃないかと…。」
マドレーヌは慌てているガナシュを見てきょとんとした。まさか、そんな事を彼が逆に気にしていたとは…。
「うーん…。あれは想定の範囲内ですし、嫌ではありましたけどそこまででは…。それに、もう過ぎた事ですから正直今は何とも。」
けろりとしてそんな事を言う顔は、本当に強がってなどいないようだ…。昨日の今日で「もう過ぎた事」とは――…
忘れていたが、マドレーヌの方が自分よりもよっぽど肝が据わっているらしい、という事をガナシュは思い出した。
「心臓に毛が生えてるなんて結構な事じゃないか。なあ、兄貴?」
「お前、またそういうことを…!」
「そうですわね。今のはちょっと聞き捨てなりませんわ。」
「おいおい、二対一かよ…」
――…テラスからは、和やかな笑い声が響いていた。
穏やかな時間が流れ、こういうのも悪くないとマドレーヌは思った。
「――あ。そうだわ!」
そういえば、マドレーヌは一つ、何か忘れているような気がしていた。それが何かを急に思い出した。
「あの件はどうなりましたの⁇」
少し怒ったように、テーブルの向かいに座っているガナシュに尋ねた。
「“あの件”?」
訳を知らないジャンドゥーヤは何の話なのか全く見当が付かない。首を傾げながらマドレーヌに聞き返した。
「少し前に、お勉強とかお稽古事とか…色々頑張ったらご褒美をくださるって、お約束してくださったんです!」
「ご褒美ぃ?」
ガナシュがご褒美を出すと言ったらしい事に、心底意外そうな表情をしたジャンドゥーヤはその顔を反対側に向けて兄の方を見た。
ご褒美なんて、機嫌を取るための行為に他ならない。「あの」兄が令嬢に対してそんな事を言ったとは…。にわかには信じられない、といった視線だ。
ご褒美を無かった事にされるのでは、というマドレーヌの不信の目と、ジャンドゥーヤの好奇心の目がガナシュに突き刺さった。
すると彼は視線を泳がせ、困ったような顔をしている。
「ああっ!やっぱり‼忘れていらしたんでしょう⁉」
「いや、忘れてない忘れてない‼」
立ち上がり、マドレーヌは眉間に皺を寄せてテーブル越しに詰め寄った。その途端、ガナシュは焦ったように否定した。
「まだ準備が出来ていないというか…もう少し待って欲しい!」
「…本当に?」
「ああ、本当だ‼」
思わず両手を上げ、たじたじになりながらもガナシュは力強く答えた。しかし、なおもマドレーヌは疑っているような目をしている。
「――ところでさ、ご褒美って何をねだったんだよ?」
一人蚊帳の外のようなジャンドゥーヤは痺れを切らして口を挟んだ。
するとマドレーヌはそれに対してしたり顔で答えた。
「“森”です!」
「森!?」
ジャンドゥーヤは素っ頓狂な声を上げた。…マドレーヌの言動は、最初からいつも想像の斜め上だ。
「…ブハッ!あはははは!!も…森って何だよ?森って‼しかもそれを兄貴は承けたのかよ〰〰〰!は、腹痛い……」
笑い過ぎたジャンドゥーヤはついに椅子から転げ落ちた。
あまりの馬鹿笑いに、マドレーヌの鬱憤はジャンドゥーヤへと矛先を変えた。そして笑い転げている彼をスンとした冷たい視線で見たのだった。
「あ―――可笑しい…本当面白いなあ。」
「……最低…」
すっかり機嫌を損ね、マドレーヌはむくれてプイとそっぽを向いてしまった。
“森に行きたい”ということがそこまで笑わるような事か、とマドレーヌは思った。…確かに、普通ならドレスやらジュエリーやらをねだるところなのかもしれないが…。と、この時になってその事に初めて気が付いた。だが、見せびらかしたい相手がいるわけでもなし、やっぱりそういう物は自分には要らない物だった。
だから、自分の望みは“森”でいいのだ。
せっかくのんびりとした楽しい時間だったのに、台無しになってしまった…。
「笑い過ぎだぞ、ジャン!こっちは真剣に考えているんだから。」
ガナシュもムッとしたようにジャンドゥーヤに文句を付けた。
「悪かったって。馬鹿にしたわけじゃないさ。まあご褒美の事は置いておいて。
――それで?これから先、どうしていくつもりなんだ?」
二人の不興を買い、さすがにまずいと思ったジャンドゥーヤは無理やり話題を変えた。
「これから先って…それはもちろん、また夜会とかパーティーとかでお相手探しをするだけですわ。」
「そうだね。それにたぶんもうすぐ、父さんたちが婚約発表のための夜会を開くと言い出す頃だ。」
「ではそこにご令嬢方を沢山お呼びしましょう‼もちろん、この間王宮の夜会にいらしていた方は除く方向で!」
それから二人は、しばらく仮想婚約発表会についての傾向と対策を練っていた。
主に積極的なのはマドレーヌの方だ。あんな目にあって、夜会に対して嫌悪感は増さなかったのだろうか…。
また蚊帳の外になったジャンドゥーヤは、大人しくお茶を飲みながらそれを眺めていたのだった。
「…ふうん…。本当に二人とも、ただの借り物の婚約者っていう感じだな。」
二人の話し合いが落ち着いてきた頃、ジャンドゥーヤがぼそりと呟いた。
「?だから、最初からそう言っているでしょう?」
マドレーヌは、何を今更と思った。
「じゃあ兄貴に本物の婚約者が見付かったら、マドレーヌはお払い箱なんだな。」
「…そうですけど、せめて“お役御免”と言ってくださらない?わたくしは最初から、早くそうなりたいって言ってるじゃありませんか!そしてすぐにでもシャルトルーズに帰るんです。」
「フ――ン…。」
決意のようにはきはきと答えるマドレーヌの側で、ガナシュが複雑そうな顔をしていた。それをジャンドゥーヤは見て見ぬふりをした。
「じゃあ、その時はシャルトルーズに追いかけて行くよ。」
「は い !?」
にっこりと笑いながらそう言うジャンドゥーヤに、今度はマドレーヌとガナシュの声が合わさった。話の流れを無視しないのなら、“追いかけて行く”とはまさか、遊びに行くという意味では無いだろう……
「俺、マドレーヌの事気に入ってるし。それに次男だから身軽だしなー。将来シャルトルーズで暮らすのも悪くない。」
そして彼は更にいけしゃあしゃあとのたまった。
降って湧いたような話に、二人は口をパクパクとさせていた。
「〰〰〰またそういう冗談を言って‼わたくしもう、お部屋に戻ります!行きましょう、ブリゼ‼」
「あっマドレーヌ…」
マドレーヌは顔を真っ赤にして立ち上がった。そしてガナシュが引き止める間もなく、本当に邸宅の中へと戻って行ってしまった。出し掛けた手は行き場を失った。
ジャンドゥーヤはその後も、平然とお茶を口にしている。
「…ジャン、お前どういうつもりだ?」
「どうって別に。言葉の通りだよ。兄貴が正式な婚約をした後、俺がどうしようと勝手だろう?」
「……っ」
ガナシュには、それに返す言葉が無かった。
―――それから少し経った頃。予想した通り、オードゥヴィ公爵家では次期公爵であるガナシュの婚約発表を兼ねた夜会が行われることが決まったのだった。




