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空海部屋

作者: ぺたにゃー

即身成仏という言葉をご存知だろうか。


それは生きたまま御仏になることを意味する密教の言葉である。


日本で密教と言えば真言宗が有名であるが、真言宗の開祖である空海は人生の最後に高野山で即身成仏したとされ、今も生きているとされている。


現在も空海に対して衣服や食事が給仕され、人々の為に祈りを捧げているとされている。


空海が生まれてから千年以上が経っているが、そのことに対して様々な想いが人の中に千差万別あることは想像に難くない。


死んでいるという者もいれば、生きているという者もいる。


真偽に関して論じるつもりは全くないが、但し例え死んでいたとしても多くの人間が生きているとすれば、世間的には生きていることになるのではないか。


これはそんな話である。



都内の某病院に、一般人が入ることはおろか、その存在自体が隠匿されている金持ちご用達の特別病棟というものがある。


資本主義の社会で金持ち向けの施設があること自体は特に驚くことではないだろう。


だがしかし、その特別病棟のこれまた一室では一部の病院関係者から空海部屋と呼ばれていた。



その病室の入院患者は金持ちではあるものの、皆が一つの特徴を抱えている。


ある者は、宗教法人のトップであったり、またある者は、財閥のトップであったり、


自身が死ぬことによって親族のみならず世間にまで大きな影響を与えてしまう人物であった。



今日も今日とて、院長が入院患者のいる小部屋一つ一つをお付きの先生達と周り、看護師は甲斐甲斐しく食事と衣服とシーツの交換を行う。


特別病棟にはリラクゼーションルームや大浴場などもあり、金持ち達は緩やかに過ごしている。


但し、そこには二つの絶対のルールがあった。


社会の勝者として、状況によっては殺人すら咎められない上級国民である彼等に恐れるものなどそうそうなさそうであるが、


彼等には彼等なりのルールがあり、そのルールは彼等だからこそ破ることは無かった。


それは、他者の部屋に入らないこと、そして空海部屋のことに関しては一切話題にしないこと。


我々、下級国民が上級国民様へ忖度しなければならない様に、上級国民様もまた上級国民様には忖度しなければならないのだ。


忖度というものが一部の人達には滑稽に映るかもしれないが、忖度とは思いやりの一つであり、忖度なしに社会は回らないだろう。



さて、件の空海部屋である。


パンドラの箱、シュレディンガーの猫、その中身は開くまで混沌としているものであるが、それを開くことは容易ではないだろう。


先ず、物理的に強行突破することは不可能だろう。


特別病棟を守る守衛の方々は軍隊あがりの屈強な元軍人さんらしい。


日本にいるはずなのにどうして彼等の肩に銃が掲げられているのか疑問の余地があるが、それが本物かどうか試す度胸はない。


施設内のセキュリティーレベルも高く、国会議事堂の方が余程忍べこめるのではないかと疑ってしまう。


次に、見舞客として訪問するのはどうだろうか。


見舞いに関しては専用の面会室が設けられており、患者本人の許諾無しではそもそも病棟にはいることさえ出来ない。


あれこれ考えている内に別の方法をひらめいた。


箱の中に手を入れるのではなく、箱から飛び出したものに目をかければよいのじゃないだろうか。


この方法が功を奏し、特別病棟の元患者の一人にアポイントを取り付けることが出来た。



「最初に言っておくが、空海部屋に関してはこれ以上嗅ぎまわるな。」


取材に応じてくれた男性の第一声はそれであった。


「あれはな、相当特殊なケースなんだよ。そもそも誰の要望でああなっていると思っている。」


「周りの方々の要望ではないのですか。」


「そう思うよな。」


男性は少し笑いながら説明しだした。


「あれはな患者の要望なんだよ。それを行う為に病院側に何十年分も前金で入院費を渡している奴もいる。


あの病棟はたとえ親族であっても患者の同意が無ければ面会することは出来ねぇ。


生きようと思えば、戸籍上は何百年でも生きていけるだろうさ。」


「でもそれって国が認めてくれるのですか。」


「当たり前だろう。年金貰わないで医療費全額負担するなら国の負担なんて無いのと一緒だ。相続税に関しては幾らでもお目こぼし貰える。」


「正直、何のためにそこまでするのですか。」


「そこは十人十色さ。自分が消えることを認めたくない奴。組織の維持の為に仕方なくやる奴。俺にはさっぱり理解出来ねぇ。」


「何故でしょうか。そこまで間違った考え方ではないと思います。」


「まだ若いあんちゃんには理解出来ないかもしれないが、自分が死んでも葬式すらやれてないんだぜ。」


男性の言葉にハッとさせられる。


「確かに自分の葬式も開けないのは辛いかもしれません。」


成功者であれば自身の葬式が開かれないことに関して思う所があるだろう。


日本の古墳やエジプトのピラミッドの様に権力者は葬式や墓にけっこうな金を使うものだ。


「葬式もせず、自身は死んでも、戸籍上だけは生き続ける。人の未練ってもんは怖いもんだね。」


「はい、そうですね。」


「もう用は済んだかい。なら、そろそろ帰りな。」


「有難うございました。」


軽く会釈をし、部屋を出た。




「空海部屋。本当にそこの患者がただ死んでいるのならどんなに良かったか。」


男性は取材が終わった後、独り呟く。


上手く誤魔化すことが出来て本当に良かったと安堵する一方、本当のその部屋について思案し、顔を曇らせた。


男性は建設会社で一山当て、金に糸目を付けず件の特別病棟に一時期入院していた。


空海部屋については最初に説明され、本当の空海部屋にも案内された。


特別病棟にある病室はダミーであり、マスコミや親族からの追求を誤魔化すためのものだ。


そこは特別病棟の地下に建てられ、体育館ほどある一室に彼等はいた。


四肢どころか体もなく、電極につながれた剥き出しの脳が培養液の中で生きている。


「世間には公にされていませんが、脳のみでの生命維持に関しては先進諸国では非常に発達している分野です。」


男性は特別病棟の職員による説明が全く頭に入って来なかった。


コンピューターを使った意志の疎通は可能らしいが、今はそれどころではない。


「これで生きているといえるのですか。彼等はここから出ることも話すことも、ましてや食べることも出来ない。」


「少なくとも、我々の定義では彼等は生きています。寧ろ脳以外の肉体から解放され、新たな生を謳歌していますよ。」


案内人の説明曰く、彼等はその多くの時間を夢の中で過ごし、起きている時間はそうなる前より活発に脳が動いている。


肉体からの負荷を無くし、脳への負担が軽くなったことで思わぬ発想が生まれる様になったそうだ。


彼等の管理する組織はどれもすこぶる順調であった。


脳だけになっても働いてくれる彼等の一助がそこにあるのは間違いなかった。


「院長からお話しがあったかもしれませんが、そろそろこちらに入るつもりはありませんか。」


職員は男性に訪ねる。


重い侵攻性の病に侵されており、正直それほど長く生きることは出来ないだろう。


「悪いがそこまで生きようとは思えない。俺がいつ死んでもいいように会社に関しても息子に譲ったよ。」


「そうですか。あなたはここにいる方々とは違うのですね。」


「脳だけになっても生きる程、特に会社にももう未練なんてないよ。」


「そうではないのです。彼等は家族や組織の幹部の要望で、脳だけになって働かされているのですよ。」


「どういうことだ。」


「高度なAIみたいなものです。組織を経営する方々からすればより良いアドバイザーなどがいてくれた方が心強いでしょ。


一つのシステムとして脳だけとなった彼等を利用しているのです。」


男性は眩暈がした。


「脳死という言葉があります。脳の活動の有無が人間の生死を分けるとういものです。ならば脳だけとなった彼等は生きているのでしょうか。


自然界の中であれば心臓や臓器の一部が損傷すれば死に至ります。体のない彼等は本当に生きていると言えるのでしょうか。


ですが、彼等が多くの人達に生きていることを望まれているのは確かなことでしょう。」


男性には職員の言った言葉に対して返答することが出来なかった。

最後まで読んでくれて有難うございます。

脳死の定義に関して、じゃあ脳だけとなった場合どうなるのでしょうね。

生きるということ自体が人の哲学的な課題として重要になりそうです。


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