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サジラスト  作者: 駄作に飼いならされた男の末路
13/13

再起の刻

 竜の手から、静かに霊宝が滑り落ちた。

 命綾が床に当たる微かな音が、異様な静寂を切り裂く。

 加護に守られていたとはいえ、その身体は限界に近い。それでも彼の眼差しには、まだ闘志の残滓が宿っていた。


 天海も同じだ。

 血と汗にまみれたその顔には、どこか力強さすらあった。

 訓練の積み重ねか、それとも身体を支配する昂ぶりのせいか——その答えは、本人にも分からない。

 だが確かに、二人はまだ立っていた。意識を手放すまいと、必死に踏みとどまっていた。


 対するダレンは、鏡張りの壁の向こうにいる者へ視線を投げ、淡々と指示を飛ばす。


 「……医療班を。できるだけ急いでくれ」


 それを見ていたクレンは、露骨に不満そうな顔をしていたが、黙って矛を戻す。


 「……」


 その動作には不満よりも苛立ちが滲んでいた。

 ダレンはそれに対して何を言う訳でもなく、ただ一瞥すると、音もなくその場を後にした。クレンも、それに続く。

 二人は、天海と竜に一言も言葉をかけることはなかった。


 扉が閉まり、廊下に出た瞬間、クレンは堰を切ったように口を開いた。


 「……やってくれたな、ダレン。今回の件で俺たちの信用は地に落ちた。決定打を何度も見逃し、霊宝の脅威を看過したままの戦闘……上の許可も、なかったな?」


 足音は止まらず、矛も収めたまま。

 だがその声は、まるで刃が石を削るようだった。


 「……ああ」


 ダレンの返事は短い。感情の起伏はなかった。

 その無機質さに、クレンの苛立ちはさらに増す。


 「……説明、してくれるよな?」


 その問いに、ダレンは振り返らない。ただ、前を向いたまま答える。


 「……最近、戦場から離れたことで色々考えたんだ。霊宝を使えば、英雄殺しは葬れる。だがそれで戦争が終わるとは思えなかった。……そう思っただけだ」


 その語調に、弁解の色はない。覚悟を携えた男の静かな宣言だった。


 「俺は本気でこの地獄に終止符を打ちたいと思ってる……逃げ出す訳じゃねえが、仲間の屍が積もる現状に、少し疲れたんだ……少しだけ、な」


 「言っている意味が分からないな。それが今回の件に、どう関係が?」


 「……直に分かるさ」


 数歩、歩いてから——不意に立ち止まり、振り返る。


 「……そう言うリーダーは、何で俺の戯事に付き合ってくれたんだ?」


 煽りでも嫌味でもなく、純粋な疑問がダレンの口から飛び出る。


 「……お前の無茶に付き合った覚えはない。俺は最初から、全力だった。情けないがな」


 「……そうか。すまんな」


 「ともかく、今回は重く受け止めた方がいい。お前の望み通りに事が進んだとしても、それは結果論だ。場合によっては死人が出ていた。そういう可能性もあったってことを忘れるな」


 「……ああ、分かってる。報告は、俺からする。全部、俺の責任だ……」


 そう言ってダレンが再び歩き出す。

 そして廊下の角を曲がり、音もなく姿を消した。


 その背中を見送りながら、クレンは小さく息を吐く。


 ダレンの願いは、クレンが誰よりも知っている。

 どれだけ血塗られた手であっても、彼は仲間の命だけは、決して見捨てない男だ。

 冷酷と認識されながらも、誰よりも痛みを抱えている。


 ——だから、信じた。理屈抜きで。口では言えないが、理由なんて、それだけで十分だった。


 「せめて相談ぐらいしろよ……」


 その呟きは、誰にも届かぬまま、廊下の石床に吸い込まれていった。


 ダレンとクレンが部屋を後にした後、天海は、まるで糸が切れたようにその場に腰を下ろした。


 「……よく、俺の意図がわかったな」


 肩で息をしながら、天海がぽつりと呟く。


 「……たまたまだよ」


 竜がそう返した直後、その身体が大きく揺れて、膝をつく。限界はとうに超えていたのだ。意識こそ辛うじて保っていたが、今にも崩れそうな疲弊さだ。


 そのとき、控えていた医療班が部屋へと駆け込んできた。白衣の男たちは手際よく竜の状態を確認すると、すぐに担架へと移し、別室へと運んでいく。


 残された天海にも、すぐさま簡易的な診察が始まった。応急処置を施す隊員たちの目は、どこか張りつめたものを湛えている。若干の畏怖すら感じられたが、天海はそれを気にすることはなかった。


 ——命を拾った。


 今はそれが、何よりも重要だからだ。

 そしてそう実感した直後、天海の意識はふっと途切れた。気絶というよりも、深い眠りに落ちたような感覚だった。


   ◇ ◇ ◇


 その後、天海と竜にはしばらくの休息が与えられた。


 訓練や講義は一時中断となったが、生活に必要な衣食住はきちんと保証されていた。食事は一日三回、時間になると配膳され、希望すれば勉強道具や訓練部屋も提供された。


 隔離に近い環境ではあったが、監視の目は緩やかで、強制的な管理というほどでもない。回復の時間と、静かな自由が与えられた数日だった。


 そんなある日の昼下がり、金属が擦れる音が、乾いた訓練室に低く響いた。


 それは他でもなく、束の間の休息の中でも訓練に勤しむ二人によるものだった。


 互いに木製の訓練用武器を手に、天海と竜は淡々と間合いを詰め合う。攻撃の意図も、手加減もない。ただ、流れるように攻防を重ねていた。


 天海の額に滲む汗が、頬を伝って落ちる。

 竜の動きは無駄がなく、冷えた水のような整然さを保っている。呼吸の乱れも、打撃の迷いもない。だがそれでも、天海は確かに食らいついていた。


 やがて数合打ち合った後、天海が小さく口を開いた。


 「なあ、ひとつ聞いてもいいか」


 竜は応えず、構えを崩さない。


 「……お前、なんでダレンたちに抵抗したんだよ……合理的なお前が、あの場でああ出るのは……ちょっと意外だった」


 数秒の沈黙。

 やがて、木刀の一撃が天海の防御を崩し、軽く肩を打つ。


 「……手合い中に、動き止めるなよ」


 冷たく言い捨ててから、竜はふっと目を細めた。


 「……まあ、深い意味はないさ。恩のある奴を、言われた通りに殺すほど落ちぶれてはいない。ただ、それだけ」


 短い言葉だった。

 けれど、その声音には確かな輪郭があった。


 「そうか……竜は、これからどうしたい?」


 また数合、打ち合いが続く。

 やや重たい沈黙が流れたのち、竜が視線を天海に寄せる。


 「生き延びることができれば、それでいい。欲を言えば記憶を取り戻したいところだが……逆にお前はどうしたいんだよ」


 突然の逆質問に、天海は一瞬目を丸くする。


 その隙を見逃さず、竜の一撃が胸を正面から捉えた。鈍い音が鳴る。


 「……くっそ。不意打ちかよ」


 「油断する方が悪い」


 竜は肩をすくめながら、武器を肩に担ぐ。追撃の意志はない。


 天海はしばらく口を噤み、静かに木刀を下ろした。


 「……実はさ、ずっと考えてたんだ。加護をくれたあの子のことを」


 「翼人の……?」


 「ああ。名前も何もかも知らない少女。でも、俺は……俺たちはあの子に命をもらった。だから、加護を返したいんだ。礼を言いたい。……俺には、それくらいしかできないから。もし加護が強くなることで、彼女に負担がかかっているなら、それは申し訳ないし……それに、腕の件もあるし」


 言葉は淡々としていたが、その響きには熱があった。


 竜は、しばらく目を伏せたまま黙っていた。

 やがて、彼は壁際に木刀を置き、天海に背を向けた。


 「……そうか」


 その背中に、冷笑も否定もなかった。

 ただ、短く絞り出したような声が、訓練室に残された。


 そのとき、響きのある足音が二人の耳に届いた。

 部屋の扉が静かに開かれ、一人の男がまっすぐに歩み入ってくる。


 「…….邪魔をする」


 無骨な声と共に現れたのは、見知らぬ男だった。灰色の軍服に、いくつかの階級章が並ぶ。年の頃は四十代半ば。冷静な瞳を宿したその男は、二人の前で敬礼すらなく言葉を続けた。


 「私は司令部付きの監察官、カイ・ヴァルディと申す者だ。……先日の戦闘について、正式な見解を伝えに来た」


 その言葉に、天海と竜は軽く身構える。


 男——カイは、淡々と状況を説明した。ダレンの行動は上層部の正式な指示ではなく、あくまで彼個人の判断によるものだという。そして彼には現在、謹慎処分が下されていると静かに告げられた。


 「……それと、君たち二人についてだが、現在は観察対象の分類からは外れている。危険性なしと判断された。よって今後は一定の制限下で、自由な行動が認められる。彼の独断とは言え、結果は結果だ」


 それは、二人が自由を勝ち取った瞬間であった。にも関わらず、二人の顔色は浮かないままだ。


 「ここに残るもよし。餞別を受け取り安寧に過ごすもよし。或いは、詫びの印としてお前たちの願いを聞いてもいい。選ぶのは自由だ」


 その言葉に、竜が小さく目を見開いた。対する天海は一呼吸おいて、口を開く。


 「では、ひとつ、お願いがあります」


 「……なんだ?」


 「以前、私に加護を授けてくれた少女がいました。名も知らない、翼を持った子です。その加護を、返したい。……あの子に感謝を伝えたいんです。あなたなら、その少女の所在も分かるのではないですか?」


 以前に比べて、遥かに流暢になった言葉が天海の口から飛び出る。

 だがそれはあまりに純粋で、戦場を知らぬ者の言葉にすら聞こえた。


 それでも天海の目は真剣だった。彼はここ数日、訓練もない静かな時間の中で、何度も彼女の顔を思い出していた。あのとき命を繋いでくれた光が、今も胸に残っている。

 その加護が無ければ、先日の戦闘は当然ながら、森で生きながらえることなど不可能だった。


 だが天海の様子とは裏腹に、ヴァルディの表情がわずかに険しくなる。


 「……翼人は、我々にとって敵だぞ。それを承知で私に懇願するのか?」


 場に緊張が走った。その空気を切るように、竜も口を開く。


 「……今すぐでなくとも構いませんのでお願いします」


 短く、けれど揺るぎない声だった。


 しばし沈黙ののち、カイは低く息を吐いた。


 「条件付きならば、構わない。……ついてこい。記録を残すためにも、しかるべき手続きが必要だ」


 そう告げると、男は踵を返し、扉を開けて先を歩き出した。天海と竜は顔を見合わせ、無言のままその背を追った。


 ——静けさの裏に、何かが動き始めていた。


 案内された先は、かつて霊宝を巡って血が流れたあの部屋だった。


 磨き上げられた床は、あの戦いが夢だったかのように静まり返っている。崩壊していた壁も、数日のうちに修復されていた。だが、部屋の中央に据えられた黒いアームと、あの忌まわしき霊宝だけが、確かにここで起きた出来事を記憶しているかのように、じっとこちらを見据えていた。


 男は、二人の様子を一瞥し、軽く手を上げて言った。


 「安心しろ。今回は、何もさせんよ」


 その声音に棘はなかった。むしろ、どこか穏やかですらある。


 「ただ、一つだけやってもらいたいことがある。もう一度、それに触れてほしい。映像では確認したが、私も自身の目で確認したいのでな」


 その言葉に、天海と竜は戸惑いつつも無言で頷いた。


 まず天海がゆっくりと霊宝に近づいた。

 それに反応するように、アームが霊宝を持ち上げて天海の前に突き出す。以前と同じ動作だ。


 先日の件が一気に甦る中、天海がそっと手を伸ばし、優しく霊宝を握りしめる。


 アームから外れ、確実に天海の手中に収まる。

 依然として外見的反応はない。けれど、不思議な重みが再びじんわりと伝わってくる。


 同様に竜も霊宝を握りしめ、何も変化がないことを確かめる。


 男はしばらくそれを見つめた後、竜がアームに霊宝を戻したのを確認して、ゆっくりと口を開いた。


 「……私が出す条件はただ一つ。それを使い神獣を討つことだ」


 唐突すぎる提案だった。空気が張り詰める。


 天海が息を呑み、竜が眉を潜める。


 「無論、断っても構わん。そうした場合でも、君たちの身柄は保護しよう。ただし……願いは切り捨てさせてもらう」


 「答える前に、これを使用したとしても、本当に神獣を倒せるんですか?」竜が静かに尋ねた。


 男は即座に首を振る。「無理だろうな。戦力的に考えて」


 その言葉に、竜は一歩前に出る。


 「なら、条件の意味がないじゃないですか」


 男は静かに視線を上げる。


 「そうだな……我々の最高戦力はダレンだ。現状、彼をもってしても神獣を倒すのは不可能。仮説として……彼に匹敵する戦力が五人、それに霊宝を組み合わせれば、勝機はある。無論、それでも勝率は三割に満たないだろうがな」


 「なけなしの戦力を、少しでも底上げしろということですか?」天海が詰め寄る。


 男は肩を竦める。


 「霊宝を扱える人間を、わざわさ使い捨てになどするものか。……戦力は、呼び寄せればいい。――翼人との、共闘だ」


 その言葉に、空気が再び凍った。


 「……それができるなら、とっくにやってるでしょ」竜が呆れたように呟く。


 「そうだな。善意で動いてくれるとは思っていない」と男は続けた。「だから、そう仕向ける。神獣をリーフ共和国に誘導し、都市を戦場にする。今まで神獣の行動原理、及び生態系の不明点が多く、奴を扱うことは不可能だと思っていた……だが聞いた話によれば、神獣は君たち二人を執拗に狙っていた。であれば、作戦の組み立ても幾分かは可能というものだ」


 言葉の意味を噛みしめるように、天海は俯く。


 男は構わず続ける。


 「君らの弁が正しければ、誘導はできる。無論、命懸けとなるがな。――選択肢は与えてやった……後はお前たちが決めろ」


 長い沈黙のあと、天海が顔を上げた。


 心に浮かぶのは、条件の成否ではなく、名も知らない彼女の存在感だった。


 「やってみせます」


 静かだが、決意のこもった声だった。


 竜も頷く。「寧ろ、それが俺の望みです」


 瞳に闘志を宿しながら発せられた竜の言葉に「ーー竜……」と天海が目を丸くした。


 「そうか……作戦内容は後日、別の者から通達させる。それまでは好きにしろ」


 対するカイは顔色を変えることなく、そのまま部屋を後にした。


 霊宝を部屋に残しままの退室。危険性がないと判断したのは本当なのだろう。


 「正直、お前が賛同するのは意外だった」


 扉が閉まり、男の姿が見えなくなった後、天海が静かに呟いた。


 「お前と一緒にするな。答えは同じでも、プロセスが違う……俺は、生き残る選択をしただけだ」


 呆れ気味に返答し、天海に背を向けて歩みを進める。


 「先に戻る」


 そう冷たく言い放った竜は、そのまま退室してしまった。


 一人残された天海は、同じくポツリと置かれたままの霊宝に視線を向けた。


 触れてもいないのに、その威圧感が天海の手にじんわりと伝わってくる。


 嫌な感じはしない。けれど、気持ちの良いものでもなかった。


 それをしばらく感じたのちに、天海も静かに部屋を後にしたのだった。

 

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