ヒトであって、ヒトでない
「俺ら、これからどうすんのかなぁ……」
ダレンが退室してから数時間。
天井をぼんやりと見つめながら、天海がボソッと呟く。
「……さあな」
竜が興味なさそうに言葉を返す。
未来の行く末よりも、今は命の重みを実感しているのかもしれない。
それでも、内から込み上げる痛みは、今もなお健在。
未知の情報も多い。
不安な状況であることに変わりはない。
「そういえば……あの翼の少女、大丈夫かね?」
不意に彼女の姿が脳裏をよぎり、心配する天海。
今も、彼らの体には彼女の“加護”が残っている。
それは、彼女が生きている証だ。
――だが、そんなことを天海も竜も知らない。
心配になるのも当然だった。
「あんだけ強かったら、流石に生きてるだろ…………あーー」
竜が呟いたそのとき、不意に思い出す。
「そういや、お前の腕、アイツが持ってっちまったよな」
「…………そうじゃん!!!」
状況が状況だけに仕方がないが、今まで忘れていた重要なことを思い出して天海が大声をあげる。
腕が上手く動かないのか、竜は耳を塞ごうとはしなかったが、顔を顰めて「うるせっ……!」と愚痴を漏らす。
「うわっ、やっちまった……じゃあ今頃俺の腕は、バッグの中でおねんねかよ。折角完治の兆しがあったのに……」
「バッグの中に腕があるとか、軽くホラーだな。まあ、命あるだけましだろ」
「いや、そうなんだけど……」
竜の言う通り、命が助かっただけで御の字なのかもしれない。
だから天海はそれ以上、何も言わなかった。
それから何日か安静に過ごした後、予定通り健康診断を行うこととなった。
もっとも、二人はその事実を知らない為、いきなり叩き起こされて困惑する様子を見せる。
「それじゃあ一人ずつやるから、君こっち来て」
いきなり部屋に入ってくるなり、デリアンが竜の体を観察しながら、立ち上がるよう促す。
当然言葉が通じない為、そばにいたダレンが無理やり立たせる。
「え、何すんの?」
困惑する様子も虚しく、そのまま部屋の外へと連れ出されてしまった。
一人取り残された天海。その心情は心細いものかと思いきや。
ーー何するか分からんけど、寝る時間増えた。ラッキー。
案外能天気なものであった。
そうしてベッドに再びもたれかかり、どこか得意気に目を閉じた。
* * *
三時間後。
「じょあ、次はお前な」
再びドアが開き、今度は天海が呼ばれた。だがそこに竜の姿はなかった。
意味は分からないが、何となくを察してベッドから降りる。
「じゃあ、行こうか」
デリアンを先頭に、部屋から出たーー直後。
「……おぉぉええぇぇ……うっ……カハっ……」
廊下の奥、トイレにあたる場所から、誰かが吐いている気色の悪い音が聞こえて来る。
「な、何だ?」
思わず天海の顔が引き攣る。
「ありゃ重症だな」
「かもしれないね」
対する二人は、変わらず平然としており、トイレの方に歩みを進める。
どうやら見慣れた光景らしい。
困惑しつつも、二人の後を追う天海。
そうして丁度、トイレの前に差し掛かったところで、中から人が出てきた。
それに気付き天海が足を止める。
「……え、おい、大丈夫か?」
そいつは、えらく顔色の悪い竜だった。トイレで吐いていたのも彼だろう。
「……見て分かんだろ」
竜の顔色は死人のように悪く、目の焦点も定まっていない。
「何されたんだ? 拷問?」
「血を抜かれた。訳の分からん機械に通された。体を調べられた……つまり、拷問だ」
「……いや、それ健康診断な?」
「ナメんな。お前も絶対吐くぞ。予言してやる」
鬼気迫る竜の忠告に、天海は苦笑する。
「アホか。俺は絶対吐かない。マジで」
そのまま診察室へ向かう天海。その背中を、竜が哀れむように見送った。
* * *
三時間後。
「おおおぇぇぇ……おぉぉ、ああああ……」
廊下に、天海の嘔吐が響き渡る。
恐らく竜よりも盛大に吐いている。
「あれの……どこが健康診断……なんだ」
全身を支えきれず、壁にもたれかかってゼェゼェと肩で息をしている。
その後何とか気分を落ち着かせ、部屋へ戻った天海を見て、ベッドの上で横になっていた竜がニヤリと笑った。
「何だその情けねえ面は」
「それはお互い様だろ……だめだ、俺はもう寝る……」
そう言葉を漏らして天海はベッドに突っ伏した。
それはもう、二度と起きませんと言わんばかりの勢いだった。
* * *
一方その頃。
別室では、天海と竜の診断結果を見ながら、クレン・デリアン・ダレンの三人が話し合っていた。
「結果から言うと、彼ら……ヒトですらない可能性が高い」
診断データをホロスクリーンに投影しながら、デリアンが淡々と告げる。
「体内に結晶が存在しないんだ。こっちの世界では、生きている存在ならどんな種族でも必ず持ってるものなのに、だ。それが無いってことはつまり、新種の個体か、或いはヒトの皮を被った化け物か」
「化け物にだって石はあるだろーー」
デリアンが話を続ける中、ダレンが揚げ足取りのように、ヘラヘラと笑いながらツッコミを入れる。
だがダレンの言う通り、それが生者であれば、化け物であろうと何だろうと結晶はある。
リーペが気色の悪い猛獣から輝く石を取り出していたことからも、その事実は理解できる。
「あくまでも例え話だよ。ともかく、翼人どころかヒトとの繋がりすら危うくなってきたね、これは」
「翼人との繋がりが無いのなら、殺したって構わないだろ」
静かにそう言い放ったのはクレン。口ぶりに容赦はなかった。
「どうせ殺すなら実験道具にしない? 冷静に見えるかもしれないけど、これでも僕は彼らに興味がある」
「お前らなぁ」
殺気の高い二人を前にして、ダレンがやれやれと肩をすくめる。
「冗談に決まってんだろ。翼人側でなくとも、あの英雄については何か知ってるはずだ。敵の情報は有益。何としてでも吐かせてやるさ」
「でも、言葉が通じない以上、情報を引き出すのは難しいでしょ?」
再確認するように、デリアンがそうクレンに訊ねる。
「そりゃあ、言葉を教えるしかないだろ。デリアンの英才教育で」
「えー……僕はそういうの柄じゃない。そもそも僕は体の中に興味があるから、吐き捨てた情報とかはどうでもいいんだけど」
「仕方ねえだろ。お前が一番賢いんだから。俺は戦闘知識以外、教えるの下手だし」
「僕だって同じようなものさ。知識はあっても、それを共有するような人間じゃなかったし」
それならばと、二人の視線がダレンに集中する。
「何で俺を見るんだよ」
理由は察しているが、ダレンがそう問いかける。
「もうお前でいいよ。消去法だけど」
「そうだね。ダレンならやってくれるよ、きっと」
「あのなぁ……」
投げやりになってる二人に呆れるダレン。各分野においては頼れる二人だが、それ以外になるとまるっきし駄目になる。
だから相対的に常識人のダレンは、大抵面倒ごとに巻き込まれる。
「というか、別にここにいる三人じゃなくてもいいだろ。リーダーの知り合いとか、デリアンの学友とか」
「そう提案するなら、ダレンが紹介してよ」
「って言われてもなぁ……」
クレンの問いにしばし思考を巡らせるダレン。
そしてハッとしたように、返答を口にする。
「サリーナとかいいんじゃねえか? 高学歴だし、面倒見いいし、人当たりいいし」
盲点だったと言わんばかりに、「「あぁ」」と感想を漏らす二人。
「まあそれでいいか。じょあダレン、その旨サリーナに伝えといてくれよ」
「別に構わないがーー」
と、その時。ダレンの腰にある電子端末が震えた。着信合図だ。
すぐさま取り出し「どうした?」と応じるダレン。
しばらくの応答の後、「悪い、急用だ。サリーナにはリーダーから伝えといてくれねえか?」と申し訳なさそうな表情を見せる。
「えー? まあ、いいよ」
「助かるわ。それじょあ、俺は失礼するぜ」
早々に退室するダレン。それに続くようにデリアンも立ち上がった。
「あ、じゃあ僕も。彼らのデータは僕の部屋に保管しておくから、好きに見ていいよ」
そうしてドアに手をかける。
だが動きをすぐさま止めて。
「そうだ。例のブツ、彼らで実験してみる? 必要なら上に伝えとくけど」
何かを思い出したようにニヤリと笑みを浮かべる。
「ん? ああ、確かにそれも悪くねえか。そん時はまた声かけるよ」
「了解」
そうしてダレンの急用により、唐突に終わりを迎えた話し合い。それでも、今後の方針は決まった。
その決定に従うべくーー翌日。
クレンはサリーナの元に向かっていた。
「はぁ!? 何で私が? ただでさえ新人教育の課題が山積みだっていうのに、また仕事を増やす気? あんたがやりゃあいいでしょ!」
とある一室。
教育係任命の件を口にしたクレンを前にして、不平不満を大っぴらにするサリーナ。
自身のいないところで、勝手に話が進めばそうなるのも必然。
それでも。
「推薦者は俺じゃない。ダレンだ」
「えっ?」
ダレン。その名を耳にした瞬間に彼女の目が光る。
「お前なら人当たりも面倒見もいいから、指導に向いてるだろうって……疑うなら本人に聞けばいい」
「……そういうことなら、構わないけど」
彼女の声がすぼんでいく。目に見えて分かるくらい、彼女はダレンに好意を抱いているのだろう。
「とにかく任せた。それじゃ、また午後の訓練で」
そうしてすんなりと教育係が決まった。
それからしばらく経ったある日のこと。
天海と竜は健康診断の時のように、唐突に部屋から連れ出されていた。向かった先は少人数用の会議スペース。
二人の傷はほとんど癒えている。リーペの加護も影響しているのだろうが、何よりこの国の医療文明によるものも大きいだろう。
そして椅子に座るなり、二人の前にクレンとサリーナが姿を表す。
二人にとっては初対面の人間だ。
「さて、言葉を介すこともできない貴様らのために、特別講師を用意してやった。それじゃあ、自己紹介」
言葉が通じないからと、口の悪さを全開にしてサリーナに丸投げするクレン。
「自己紹介って……言葉通じないんでしょ?」
困り顔を見せながら、愚痴をこぼす彼女。それでも微かに笑みを浮かべて。
「私はサリーナ。今は言葉が通じないけど、いつかあなたたちの故郷のこと、聞かせてね」
そう朗らかに挨拶する。やはり、嫌悪感をぶつけるのはクレンにだけの様だ。
「今更だけど、どうやって言葉教えるつもり? やっぱ痛みか」
本当に今更なことをクレンが訊ねる。
「アホ。優しく丁寧に。赤子に言葉を教える要領でやるに決まってるでしょ」
そう言って持参してきた幼児用教育書を二人の前のテーブルで広げる。
そこには果物や動物などが載っていた。
「いい? これはね、マナバっていう動物。マ・ナ・バ」
該当の動物を指差し、名前を連呼する彼女。
「ま、マナバ?」
困惑する天海がそう口にして、言葉の通じない可哀想な奴をみる様な目で、サリーナを見上げる。
「うん、よく言えました」
イントネーションもなってないし、意味も理解していない。
それでもサリーナは天海の頭を撫でて「よく言えました」と褒め称えている。
「赤子? ペットの間違いじゃねえか?」
それを見ているクレンが横槍を指す。
「別にいいでしょ。それにほら、彼喜んでるし」
彼女が言った通り、頭を撫でられた天海は満更でもない様子だ。
それを見ていた竜は、「……えぇ」と心の底から冷たい視線を送っていた。
そうして二人の語学教育が始まったのだった。