勇者選出1
ヒュードルト王国。それはバベルの二大大国の一つであり、バベルの総人口の実に3割強がこの国の国民である。
国土は自然が豊かで、天然資源や農産物が国を支えている。
また、教育面にも力を入れており、識字率も高く、優秀な魔術師を輩出することでも有名だ。
そしてこの年、王都イスリエルでは数百年に一度の賑わいを見せていた。
それはヒュードルト王国だけでなく、バベル全土にとって重要な事案が理由であった。
そう、【勇者選出の儀】が行われるのだ。
バベルでは数百年に一度、人の世に混沌をもたらす【魔王】を打ち倒すべく、勇者となる人間が選出されるのだ。
勇者選出の儀は、王都イスリエルに据えられている【叡智の石碑】に浮かび上がる啓示に従い行われる。
そして、今から一年前、石碑に啓示があり、ヒュードルト王国は全世界に向けてお触れを出したのだ。
そして一年後の今日、勇者選出の儀のために、王都イスリエルにはかつてないほどの人が押し寄せていた。
それほ腕に自信がある者や、何らかの啓示と思える事象を経験した者、はたまた勇者の名声を手にしたい者から、話題作りのための若者まで、我こそが勇者にならん、という者たちと、選出の儀を見物に来ている観光客たちの群れだ。
それだけでなく、各国の要人も王都イスリエルを訪れており、世界の注目は今まさにヒュードルト王国に集中していると言えた。
叡智の石碑への啓示は、同時に魔王復活を示唆するものであり、決してめでたいものではない。
現に、ここ一年で魔物は凶暴化し、魔族の動きも活発化しており、その影響で人間社会に大きな影が射していた。
しかし、そうであるが故に勇者の選出はバベルにとって希望の象徴であり、世界規模の祭とも言える一大イベントである。
また、自国から勇者が選出されれば、外交的立場が爆発的に高くなる点で、各国の首脳陣も大いに注目しているのだ。
さて、そんな勇者ブームに沸く王都イスリエルの商店街を、一人の少年が歩いていた。
名をヤコブ・スリトーラといい、17才の、両親と共に猟師を生業とする少年だ。
少年、とはいったものの、バベルでは15才から成人と認められるため、ヤコブも立派な成人ではあるのだが、まだ幼さも残るその姿は少年と言って差し支えないだろう。
この世界ではそれほど珍しくない金髪碧眼で、身の丈も人並みだが、顔立ちは端正で、何より人を引き付ける眼をしていた。
ヒュードルト王国の片田舎で猟師をしているヤコブが、旅費だけでも決して安くないにも関わらず王都を訪れたのは、勇者選出の儀を見学するためではない。
選出の儀に参加するためである。
だが、他の参加者と違う点は、その表情に浮かんだ困惑だろう。
「うぅ…やっぱりどう考えても場違いだよ、とーちゃん…」
彼は故郷に残っている父に苦情を言うようにそう呟いた。
ヤコブの家はどちらかといえば貧乏だ。両親と一人の妹がいるが、家族総出で王都を訪れるような経済的余裕はない。
現在王都に来ているのはヤコブ一人であり、それでいてここにいるのはヤコブ本人の意志ではない。
一年前、国王が発したお触れがヤコブの住んでいた村まで届くと、両親は神妙な面持ちでヤコブを呼び出した。
「ヤコブ。一年後、勇者選出の儀に参加しなさい」
何かの説教かと身構えていたヤコブは、父親が発したその言葉に目を丸くした。
「は、はは…なに言ってんのさ、とーちゃん。俺が勇者になるわけないだろ?」
何かの冗談だろう、とヤコブはおちゃらけた調子でそう答えた。だが、前に並んだ両親がいつになく真剣なので、ヤコブは口元を慌てて引き締めた。
「いいかい、ヤコブ。今まで黙っていたけどね、あんたを生んだとき、私たちは【啓示】を授かったんだよ」
母親が当時を思い出すように目を閉じた。父親もその言葉に頷く。
「あのときは何のことかさっぱりだったが、勇者選出の話を聞いたらぴんときた。あれは、お前が勇者になるという啓示だったんだ」
「ちょちょちょ!ちょっと待ってよ!現実を見ようよ!僕は田舎のしがない猟師だよ!?二人ともどうしたのさ!?」
頭でも打ったんじゃなかろうか、とヤコブは不安になった。両親はヤコブを厳しく育てた。人並みに親バカではあったが、自分の息子を特別視している様子はこれまでなかったのだ。
「どうしたもこうしたもないよ!アタシは確かに聞いたんだ。生まれたばかりのあんたが光に包まれてね、『この者大義を成す者成り』って神様の声が響いたんだよ。とーちゃんも聞いてたから間違いないよ」
父親もそれを肯定する。
「ああ、かーちゃんのいう通りだ。あの時は、お前が将来村長にでもなるのかな、ぐらいにしか思ってなかったけどな。でも、お前が成人して、狩りも一端にできるようになったこの時期に、勇者選出の儀が行われる。俺とかーちゃんは、このことだったのか、って納得したんだ」
「納得しないでよ!飛躍しすぎだって!」
ヤコブは必死に突っ込みを入れるが、両親は揺るがない。すると、傍らで聞いていた妹のルカまで参戦してくる。
「お兄ちゃん、勇者になるの!?かっこいい!ルカみんなに自慢しちゃうよ~」
そう言いながらぴょんぴょん跳び跳ねる13才のルカと、固い決意を態度で示す両親を、ヤコブは困ったように交互に見比べた。
「とにかく、とーちゃんはもう決めたんだ。王都に行く金は一年で用意する。だからお前はこの一年でみっちり修行するんだ!」
「で、でも…」
「問答無用!嫌でも一年後には家から叩き出すからな!」
「えええ~…」
そして、この一年で剣や魔法の基礎を学び、体力作りに励み、狩の腕を磨き、そして今、追い出されるように故郷を旅立って、ヤコブは王都にいるのであった。
「ひ、人が多い…しかもなんか勇者候補の人たち、皆強そうだし…」
他の参加者たちはさすがに自分が勇者だと思うだけあって堂々とした佇まいの者が多い。ある者は逞しい肉体を持ち、ある者は高そうな装備を身に付け、またある者は大勢の仲間を従えていたりと、その様相は様々だ。
それ以外の者たちも、観光や娯楽気分で参加する気楽そうな者や、友人に持ち上げられて仕方なさそうにしているもののまんざらでもない者など、いずれにしてもあまり緊張感はなさそうだった。
もちろん、中にはヤコブのように自信がなさそうな、緊張と不安で固くなった者もいないではないが、圧倒的な少数派だと言える。
そんな参加者たちを品定めするような目で見ている野次馬たちの間を縫って、ヤコブは城を目指していた。
あまり人目につかないように、通りの端をいそいそと歩いていく。
通りの端、ということは立ち並ぶ建物の壁に沿って進んでいる、ということだ。ヤコブが早足で進んでいくと、突然目の前に開かれた扉が立ち塞がった。
ガンッ!!
やや俯き加減だったヤコブがそれに気付いた時にはすでに遅く、速度をそのままに頭から扉に衝突した。
「あ~…いたた…」
尻餅をついたりはしなかったが、ヤコブはぶつかったおでこに手を当てて、八つ当たり気味に目の前の扉を睨んだ。
すると、扉の反対側からひょこっと一人の少女が顔を出した。
「あ!ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
少女は手遅れながら慌てて扉を閉めると、ヤコブに向かってぴょこんと頭を下げる。
清流のように流れる薄い青みを帯びた長い白髪と、整った卵形の輪郭にぱっちりと開いた青紫の瞳をもった少女だった。
年はヤコブと同じぐらいだろうか。フード付きの白い外套を羽織り、水色を基調としたどこかの民族衣装のような服を着た少女は、まさに美少女といって差し支えないだろう。
「あ、えっと、大丈夫!こっちこそ不注意で…」
ヤコブはあまり女の子と会話したことがない。村にはあまり年の近い女の子はいなかったし、毎日のように狩りに出るヤコブにはそんな機会はあまりなかった。
妹はいるが、それはまた別物だ。
「私そそっかしくて。もっとゆっくり開ければよかったのに。おでこ、痛くないですか?治癒魔法かけますか?」
少女は慌てたようにまくし立てるが、ヤコブ思わず目の前の美少女に見とれてしまい、返答が遅れる。
「…?あの…あっ!もしかして意識が朦朧と!?すぐに回復魔法を…!!」
「え!?あ、大丈夫!ごめん、ぼーっとしてた」
持っていた小さな杖に魔力を込め始めた少女を見て、ヤコブは慌ててそれを止めた。それを聞いて少女がほっとした顔をする。
それから少女は改めてヤコブをしげしげと観察するように見る。見つめられて少し顔が熱くなるような気がして、ヤコブは視線をそらす。
「あの、あなたは勇者選出の儀に参加するんですか?」
「あ…うん、一応…」
そう答えると、少女がぱっと顔を輝かせた。表情が豊かな子だなぁ、とヤコブはまたそれに見とれる。
「実は、私もなんです!あの…もし良かったらお城まで一緒に行きませんか?」
ヤコブはこの申し出に驚いた。勇者として選ばれるのに性別は関係がないと聞くので、それはいい。
それより、何故この田舎臭いおどおどした自分と一緒に行こうと思うのだろうか、というのがヤコブが驚いたところだ。
「あの、ダメ…かな?これも何かの縁だし…」
「…扉をぶつけられた縁?」
「…扉をぶつけた縁」
「…ははっ」
「…ふふっ」
ヤコブが可笑しくなって思わず笑うと、少女も口元に手を当ててクスクス笑った。そんな仕草も可愛らしい。
「もちろん良いけど、どうして僕なんか?」
「ありがとうっ!私、人混みって苦手で…年も近いみたいだし、私の直感がいい人だ!って言ってるから、連れてってもらえないかなって」
少女は太陽のような笑顔を浮かべて、真面目とも冗談ともつかない説明をした。
ヤコブとしても、一人で心細かったのもあり、ましてやこんな美少女とご一緒できるなら、と快諾したのだ。
「私、レア。レア・ファルケル。よろしくね!」
「僕はヤコブ・スリトーラ。こちらこそよろしく」
レアと交わした少しの会話で、ヤコブはさっきまでの不安と緊張が和らいだように感じた。
二人は勇者選出の儀に参加するべく、並んで城を目指した。
もちろん、今度は道の真ん中付近を歩いて。