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新入社員1


 まあるい緑の山手線。真ん中通るは中央線。新宿西口駅の前。

 でお馴染みのヨ○バシカメラの前を抜け、宮前穂乃花(みやまえほのか)は新宿西口のオフィス街に向かっていた。


 季節は春。新宿のオフィス街にはスーツ姿のサラリーマンに混じり、リクルートスーツを身に付けた初々しい新社会人たちの姿も見える。


 そして穂乃花もまた、そんな新社会人の一人だ。


(うう・・・緊張する・・・)


 就職活動の時に散々着たスーツだが、未だに体に馴染まないような気がする。


 それは物理的な問題ではなく、恐らくこれから自分が勤めることになる会社への期待と不安といった精神面からくるものだろう。


 この日、穂乃花は就職の決まった会社、株式会社バベルでの初日本社研修を迎える。


 そして今、新宿副都心の一角にそびえるビルを見上げ、まるで難攻不落の要塞を前にしたような気分になるのであった。


(大丈夫!気合いよ!気合い!あと笑顔!)


 そう自分に言い聞かせると、にこっと笑顔を作る。それで納得したように真顔に戻ると、穂乃花は胸に手を置いて、大きく息を吐き出した。


 そして、目の前の要塞に向けて、勇気ある一歩を踏み出した。


 これからこのコンクリートジャングルで、立派なキャリアターザンになるのだ!と、よく分からない決意を胸に。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「えー、それでは始めましょうか。新入社員の皆さん、おはようございます」


 十数人の新入社員が整然と机に座っており、その視線はホワイトボードの前に立つ一人の男性に向けられていた。

 パリッとしたダブルのスーツに身を包んだ清潔感のあるその中年男性は、新人研修を担当する講師なのだろう。


 講師の男性がそう挨拶をすると、研修生たちの中からまばらに「おはようございます」と挨拶が返される。


「ん?もう一度やろうか。おはようございます!」

「お、おはようございます!」


 慌てて穂乃花はしっかり挨拶をする。周りの研修生も同様だ。


「はい。挨拶は社会人の基本なのでしっかりしましょう。・・・私は君たちの研修講師を務める、早坂均(はやさかひとし)です。よろしくお願いします」

「「「よろしくお願いします!」」」


 今度は新入社員一同、しっかり返事をする。早坂と名乗った研修講師も満足げに頷く。


「さて、すでに皆さんはご存じだと思いますが、ここはコールセンター業務をする会社です」


 その言葉に穂乃花も頷く。ここにいる一同は当然入社に伴って面接や試験を受けているし、それ以前に就職活動中に説明会などにも参加している。


「通常コールセンターというと、アルバイトや派遣社員を雇っているところがほとんどですが、ここ【バベル総合サポートデスク】では、全て正社員が電話応対を行います。それだけ質の高いオペレーションが求められるからですね」


 早坂の言葉に新入社員たちが頷く。珍しいことに、この会社ではコールセンター業にも関わらず、非正規雇用の従業員がいないのだ。


「それはさておき、実は皆さんには入社早々お詫びしなければいけないことがあります。皆さんは入社にあたって、ここのコールセンターがなんのサポートを行っていると聞いていますか?」


 早坂はそう言うと、回答を促すように新入社員の顔を見渡した。

 一人の新入社員が困惑した顔で答える。


「大規模オンラインゲームのサポートセンターだと聞いています」


 そう、穂乃花も確かにそう聞いていた。タイトルまでは開示されなかったが、何万人という規模のユーザーを抱えるオンラインゲームについての問い合わせ窓口である、と。


「申し訳ないが、それは嘘です」


 研修生たちがざわつき始める。中にはオンラインゲームが好きでこの会社を選んだ人もいるだろう。それが嘘とは、どういうことなのか穂乃花には想像もつかなかった。


「えーっと、毎回どのタイミングでこの話をするか悩むんですが・・・ちなみに、皆さんは異世界の存在を信じますか?」


 続けて早坂が放った質問で、更に場のざわめきは大きくなった。一体何を言い始めるのか、研修生たちは話に付いていけていない。

 もしかしたら何か詐欺にでも引っ掛かってしまったのだろうか、と穂乃花も不安になってくる。


「あまり隠しても仕方がないからはっきり言いますが、ここバベル総合サポートデスクは、異世界に暮らす人々からの様々な問い合わせに答えるコールセンターです」


 早坂の表情はいたって真剣だ。研修生の一人が声をあげる。


「それは比喩的な話ですか?オンラインゲームのプレイヤーを異世界の住人として扱う、という意味でしょうか」


 なるほど、と穂乃花も納得しかけるが、しかし早坂はゆっくり首を左右に振ってそれを否定する。


「いいや、言葉通りの意味ですよ。地球とは違う【バベル】という異世界が存在します。そこには我々のような生身の人間が生活し、日々を暮らしています」


 研修生たちの混乱はおさまらない。それはそうだ。現代日本において、突然こんな非現実的な話を、それも見るからに普通のサラリーマンが、新人研修という場で話すことなんて想像さえできなかっただろう、


「ああ、ちなみに、研修を始めた時点で、事前にサインしてもらった通り君たちには守秘義務が発生します。バベルについての詳しいことはことあと順次説明しますが、信じられない方はいつでも退室いただいて結構です。その場合、今話した内容については忘れていただきます」


 忘れるも何も、こんな話を外でしたところで、果たして信じてもらえるかも怪しい、と穂乃花は思う。だが、それよりも早坂の言い方が少し気になって、穂乃花は口を挟んだ。


「あの、忘れていただく、というのは…」

「これも言葉のままの意味ですよ。記憶から消させてもらいます。異世界であるバベルにはこの世界にはない【魔法】があり、先ほど皆さんにサインしていただいた機密保持の誓約書はその魔法で作られた道具です」


 この説明で、研修生の大半の心は一斉に早坂から離れたと言える。異世界の住人を電話でサポートする、というだけであれば、先ほど研修生の一人が言った通り、比喩として受け止めることができるが、『魔法の道具であなたたちの記憶を消します』というのはさすがにやり過ぎだ。


「もう十分です!何か悪ふざけのつもりなのかもしれないですけど、こっちは真面目に仕事をしに来てるんです」

「そうだ!そんな話が信じられるか!」

「自分はもう失礼させていただきます!」


 研修生たちの幾人かがそう言って席を立った。早坂はそれに慌てるでもなく、立ち上がった研修生たちに落ち着いて声をかける。


「先ほども言った通り、退出は自由です。その場合、いくつか君たちの希望に合いそうな就職先を斡旋しましょう。ただ、先に証拠を見せるので、決めるのはそれからでも遅くないと思いますよ?」

「…証拠?」


 立ち上がった研修生たちが訝し気に見つめる中、早坂はホワイトボードに大きな星のマークを描いた。


「さて、これは何のマークですか?君」

「星、ですね…」

「そうですね。ではこれから簡単な誓約書を配るので、内容を見てサインしてください」


 早坂がそう言うと、研修の助手を務めていた女性が小さな紙切れを研修生全員に配った。そこにはこう書かれている。


【誓約書にサインして以降、両手を上げた時、今ホワイトボードに描いてある内容を忘れます】


 なんともどうでもいい内容の誓約書だった。穂乃花は言われた通り、右下にある名前の欄に自分の名前を書き込んだ。他の研修生もなんだかんだで誓約書にサインをしているので、少なからず興味は持っているのだろう。


「皆さん、サインできましたか?では、消しますね」


 全員がサインしたことを確認すると、早坂はホワイトボードの星マークを消した。それから振り返ると、穂乃花を指した。


「宮前さん。ホワイトボードに描いてあった記号はなんですか?」

「え…星、です…」

「その通りです。では、皆さん両手を上げてください」


 穂乃花も研修生たちも、言われるままおずおずと両手を上げた。瞬間、穂乃花の視界がわずかに白く明滅したように感じた。


「さて、宮前さん。ボードに描いた記号はなんでしたか?」

「え…あれ…?」


 穂乃花は混乱した。確かに何か記号が描いてあったことは覚えている。それがなんだったか、両手を上げる直前まで覚えていたことも覚えている。だが、肝心の記号は全く思い出せなかったのだ。


 他の研修生もそうだったようで、皆一様にざわざわと取り乱していた。


「分かっていただけましたか?毎年言われるのは、集団催眠なんじゃないか、という指摘ですが、まあ、そうじゃない、と証明することもできないので、後は皆さんが信じていただけるかどうかです」


 十分に現状が研修生たちの頭に染み込んだ頃合いを見て、早坂が再び口を開いた。先ほど立ち去ろうとしていた研修生たちも、今は一旦席に戻っている。


「ちなみに、実際に勤務いただく場合は『部外者への機密事項の漏えいは如何なる形でもできない』という条件が付きます。それは退職後も適用されます」


 そんな早坂の説明を聞きながら、穂乃花は徐々に実感していた。先ほどまで、映画やアニメを見ている気分で、他人事のようにこの状況を捉えていたが、現実なのだと少しずつ頭が理解してくる。


「じゃ、じゃあ、本当に異世界が…」

「はい。ありますよ」


 穂乃花はわなわなと震えながら、思わず思ったことを口に出して呟いた。それを早坂が律儀に拾って返事をする。


「す…」

「す?」

「…すごいっ!楽しそう!!私、是非やってみたいです!」


 机を叩いてそう叫ぶ穂乃花を見て目を丸くしていた早坂だったが、やがてにっこりと笑みを浮かべた。


 穂乃花は昔からアニメや漫画が好きで、異世界や超能力などの存在に憧れを抱いていた。大人になってからはそんなことは現実にはないと理解し、受け入れて過ごしてきたが、それが覆されるのはむしろ大歓迎だった。


 わずかに頬を赤くして興奮気味の穂乃花に、早坂は笑顔で頷きかける。


「はい。期待してますよ」


 宮前穂乃花の少し非日常的な新社会人生活は、今まさに始まったばかりである。


こちらの作品も連載しておりますので読んでいただけたら嬉しいです!


『異世界人に弱みを握られて旅のお供をしています』

http://ncode.syosetu.com/n7517ea/

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