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泣きべその嘘

作者: 上月




 この前、お人形さん失くしてしまったねん、やから今は持ってへんねん。へええ、それじゃああたしらと遊べないやん。そうやねん、やからどうしようか思って。ほんならまたお人形さん新しく買ったらまぜてあげる。やっぱりお人形ないとあかんのん?だって今日雨の日やもん、雨の日は外で遊ばれへんからみんなでお人形遊びするって決めてるねん。そうなんやあ、それやったらまた晴れてる日遊ぼうなあ。うん、じゃあまたねえ。

 傘を忘れた理香子りかこのために、わざわざ雨の中小さな傘を持って迎えに行ったら、低学年用の下駄箱でそんな会話が聞こえてきた。靴を履き替えながら、理香子が必死に仲間に入れてもらおうとしている姿が見えて、わたしはつきりと心が痛んだ。会話が終わると、四、五人の女の子たちが、重たそうなランドセルを背負ったままわたしのすぐ横を楽しそうに笑いながら駆け抜けていった。校舎を出ると傘を差して、ひそひそと何か話しながら、理香子の方をちらちらと見ているのがわかった。やがて、女の子たちは幼い笑い声をあげながら、角を折れて完全に見えなくなってしまった。

「あ、お母さんや」

 理香子がわたしの姿に気付くと、嬉しそうに笑いながら寄ってきた。どないしたん、って言いながら顔を上げてにっと笑う。この前抜けたばかりの歯のせいで、並んだ白い歯の中にひとつの小さな穴を作っとって、それがまた愛らしい。

「今日、傘忘れたやろ。はい、持ってきたで」

「あ、ありがとう。今日プリントいっぱいもろたし、濡れたらどうしようて思っててん」

 差し出したもうぼろぼろの傘を理香子は嬉しそうに笑いながら受け取ると、唇を尖らせてそう言った。

 理香子は小学校二年生で、まだまだ子どものくせによく気が利く。音楽と体育が好きで、算数が苦手。その割りにどの教科のテストもいつも満点で、たまに本当にわたしの子なんやろかって疑いそうになることもある。理香子が小学校一年生になる手前でわたしが旦那と別れて、その次の日くらいから、理香子はなんか妹もいないのにお姉さんぶって、わたしの手伝いを自らよくしたがるようになった。理香子なりの優しさと気遣い、それに物分りのよさがあまりにもあたたかすぎて、そして申し訳なくて、泣きそうになる日だってあった。

「ほな、帰ろっか」

「うん」

「あ、ちょっとデパート寄ろっか。お母さん昨日お給料もろたし、なんかええもん買ってあげる」

 傘を差している手とは反対の小さな手を握って手を繋ぎながらわたしが言うと、理香子は嬉しそうに足元の水溜りを蹴って、「やったあ」と喜んだ。

 生活保護を受けながらのいっぱいいっぱいの生活の中でも、理香子にはどうしても貧しい思いをさせたくなかった。


 「なあ、何欲しい?」

 デパートの中を歩きながら、わたしは理香子に問いかける。そう高いものは変えないが、子どもブランドの服一着や少し大きなおもちゃくらいなら買う余裕はあった。

「そや。理香子、お人形さんほしくない?」

 先ほどの偶然聞いてしまった会話を思い出して、わたしはおもちゃ売り場の方を指差す。理香子はううん、と唸りながら悩むような素振りを見せた。他に何か欲しいものでもあるんかな、って考えとったら、理香子が首を思い切り横に振るものだから、わたしは少しだけびっくりしてしまった。

「お人形さんいらへんの?」

「あたし、お菓子がいい」

「お菓子なんかいつでも買ってあげるやん、今日はもっと高いのおねだりしてくれていいねんで?」

 おもちゃ屋さんの前まできて、わたしはしゃがみ込んで、理香子を視線を合わせた。湿気のせいで、うねっている前髪を撫でてやる。

「だって、あたしお菓子食べたいんやもん。今一番欲しいもんはお菓子やの」

 駄々をこねるようにわたしの手を掴んで左右に揺らすと、ぶすっと頬をふくらませて不貞腐れる。しゃあないなあ、とわたしは観念して、ぽんぽんと小さな頭を撫でてから立ち上がる。わたしたちをじっとみていた主婦らしきおばさんと目が合って、ぺこ、と軽く頭を下げた。なんや、変に思われてたんかなあ、となんとなく考える。


 よいしょ、よいしょ、と何度も隣から声が聞こえてきては、心配になって傘の下を覗いてみるものの、邪魔しないでといわんばかりの踏ん張った表情を浮かべているので、どうにも手を貸そうかと言う機会さえ見つけられない。理香子は頑張り屋さんで意地っ張りやから、最近は泣いてる姿さえ見かけたことがない。

「ほんまにお菓子でよかったん? お母さん持ってあげよか。重いやろ、それ」

 さすがに我慢できなくなって、わたしは手を差し伸べたが、理香子は右手に傘を、左手にはお菓子と生活用品が沢山入った袋を持ったまま、首を横に振った。

「あたしが持つねん」

 そう言い切った理香子の声が、あまりにも虚勢を張ったように聞こえて、またつきんと心が痛む。

 ざあざあと荒い音を立てて降り続ける雨が、しっとりと湿ったコンクリートの匂いがする空気をゆらゆらと漂わせる。時折、隣を車を横切っては、外側を歩いてるわたしに水を掛けてゆく。ぐっしょりと濡れた足元が気持ち悪くて仕方ないが、我慢がまんと自分に言い聞かせる。

「なあ、理香子」

「なにー?」

「ほんまにお人形さんいらへんの? 理香子、今日遊びにまぜてもらわれへんかったんやろ」

 人形を失くしたなんて、まるっきり嘘だった。あの言葉はきっと、理香子の精一杯の虚勢と見栄張りなのだとわたしは気付いていた。貧乏だと思われたくなくて、けれど実際はしごく貧乏で。それでも一切文句を言わない理香子が不憫で、わたしはつくづく申し訳気持ちになってしまう。

「やって、あたしお母さんに無理してほしくないもん。お友達と遊べへんくても、あたし近所の猫とおる方が楽しいし」

 歩きながら、段々と理香子の声が震えていくのがわかった。

「それに頑張ってるお母さんが自分の欲しいもん買わなあかんねんで」

 理香子につられて、わたしまで段々泣きそうになってくる。

 小さな道路の端を歩きながら、わたしは足元に視線を落とした。ちらちらと、黄色い、一箇所だけ穴の開いた傘を差している理香子の姿が視界に入ってきて、ぶわっといっきに、目に涙が浮かぶ。瞬きをしたら涙がほんまに零れそうやったから、頑張って目を開けたままにする。

 ぐす、ずず、と鼻を啜る音がしてきて、ああ、もう完全に泣いてしもたな、てわたしは確信した。

「理香子の傘、めっちゃ穴開いてるなあ」

 気を取り直して、からかうように言ってみると、「一個だけしか開いてへんもん」って、めっちゃぐじゃぐじゃの声が聞こえてきて、わたしは思わず小さく笑う。

「ほら、お母さんの傘に入り。また新しいの買ってあげるから」

 そう言うと理香子は素直に傘をたたんで、わたしの隣にぴと、と引っ付いてきた。もう買い物袋の重さにも馴れたのか、袋を片腕にさげていた。

「めっちゃ泣いてるやん」

「お母さんやって泣きそうなくせに」

 またからかってみると、痛い一言が返ってきて、わたしは苦笑する。小さな肩を抱いてやると、まだまだ細い骨のしたから、じんわりと皮膚に浸透した深いあたたかさの体温が伝わってきた。

「お家帰ったら一緒にお風呂入ろっか」

「ならあたしお母さんの背中洗ったげる」

 すぐさま元気な声が返ってきて、泣いてるのか笑ってるのか段々わからなくなってきた。

「あ、でもあたしが背中洗ったげる変わりにあたしの頭洗ってほしい」

 だってお母さんが髪の毛触るときめっちゃ気持ちいいねんもん、という言葉が続いて聞こえてきて、ふっと笑みが自然と零れた。

 ひとは絶対に誰かに助けられてるねんな、て改めて実感して、すぐにこんなちいちゃい子に助けられてるとか、わたしもしっかりせなな、てちょっと自分を見つめなおしたりもした。

「お母さん、雨止んだみたいやで」

 理香子の声にはっとして傘を横にずらして空を見上げてみると、いつの間にか雲は薄れて、太陽の柔らかい光がそこから溢れていた。


---了

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