表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雪の中を進め

作者: 千葉 某

お題「雪」


 電車を降りた瞬間の、温かい空気からはかけ離れた冷たさに鼻の奥がつんと刺されて、思わずくしゃみが出そうになった。マフラーで鼻先を覆えば、ようやく感じた温かさにほっと息をつく。そういえばこんな寒さだったなあ、と駅員に小さな切符を渡しながらそんなことを思った。トンネルを過ぎたあたりから、世界が変わってしまったかのような銀色を窓から眺めていたというのに、実際に電車を降りて外の空気を感じて初めて実感がわいてきたのである。

 2年ぶりに帰ってきた地元の冬はやはり都会の寒さと比べるまでもない。10日前から降り続いている、毎度のことだと笑う彼の言葉を思い出してため息をつく。今年は暖冬だと聞いたような気もするが、それは数日前にはしっかりといつも通りの寒さに戻ってしまったようである。

「あれ、もしかしてめぐちゃんかい?」

 振り向けば、さっき切符を渡したばかりの駅員がこちらを見て目を丸くしている。お久しぶりです、と頭をさげれば、彼、中島さんは嬉しそうに微笑んだ。

「ずいぶんきれいになったねえ、いつぶり?」

「地元を出て以来だったので、2年ぶりくらいです」

 ぼうっとしていて気づきませんでした、と謝れば、大丈夫だよと中島さんは笑った。

「今回は彼に会いに来たの?」

「まあ、そんなかんじです。夏休みは向こうに来てもらっちゃったので」

 そう苦笑いを返せば、微笑ましいねえと彼は頬杖をついた。

「今度2人で顔を見せにおいで」

 ひらひらと手を振った中島さんに頭を下げて、駅から一歩外へ踏み出した。


 ざく、と雪を踏みしめる深さに改めて驚く。そういえば、こんな深さだったかもしれない。格好悪くてもごついブーツを履いてくるべきだったかな、と足元の雪には適さないような、それこそ都会で雪がちらついたときに履くような靴を恨みがましく見つめる。地元を離れて初めての年、都会で降った雪の少なさと、それに適応できない世間に驚いたものだ。

 田舎の中でもう少し町の方の駅ならば、駅前は除雪が進んでいたのかもしれない。しかし、小さな地元の駅は、せいぜい申し訳程度に駅のロータリーに除雪車が通った跡がある、それだけだ。路肩に積み上げられた雪が身長を超えている様子に、ふと数年前、私がこの町へやってきた日のことを思い出した。

 私がここにやってきたのは中学に上がる前の春のことだ。たった一人の親戚である祖母を頼って降り立ったこの町は、びっくりするほど何もなくて、ずっと小さいころ母に手を引かれて歩いていた懐かしさや、その母がいない心もとなさを思い出して涙が出そうになったか。それから祖母に学校の人、地元のお年寄り、200メートル先の隣人のお豆腐屋さん、そしてその一人息子で同い年の勘太郎……いろいろな人との出会いがあった。ここで過ごした5年間は、私の人生の中、都会で母と暮らしたそれまでの12年間、そして高校を卒業した後の2年間を超えるほどの長さはなかったが、比べ物にならないほどの濃さはあっただろうと思う。


 道中、雪かきの真っ最中な人に「めぐちゃんおかえり」と声をかけられて、少し話をして、とのんびり歩みを進める。のんきにしていられるほどの温かさはないものの、体に感じる寒さ以上に久しぶりに会った人たちへの懐かしみとうれしさが募っていたのだ。

「あれ、勘太郎はどうした?」

 田んぼ道が埋まる雪原のすぐ横で出会った浅野さんに尋ねられる。

「今日帰るって連絡してないんだ、じつは」

「なんだ、とうとうけんかでもしたか」

 してないけど、と笑う。

「連絡したらあいつ、駅まで迎えに来るでしょう。雪ひどそうだし、寒そうだし、そんな中で風邪ひかせるのももったいないので」

 なんだそんなことか、浅野さんはきらりと銀歯を光らせながら笑った。

「そんなもん、おまえさんだって同じだろうによ」

「いいの、それに内緒にしてびっくりさせたくって」

「そっちが本音だな」

「ばれた?」

 そういうことなら早く帰ってやれよ、道に気をつけてな、と手を振る浅野さんに、私も手を振りかえしてまた歩き出す。

 靴の中に水分がしみてきたのだろうか、足はだんだんと冷たくなってきたが、構わず歩き続ける。豆腐屋さんについたら温かいタオルを貸してもらおう、と心に決めて足を前に進めた。はふ、と白い息を吐き出してふと横を見て足を止める。緑色のフェンスと、だだっ広い雪原の向こうにそびえる古びた建物は、私が通っていた中学だ。たしかあいつに初めて会ったのもこの場所だったような気がする、と思い出しながらまた足を進めようとして、今度は持ち上げた足がそのまま前に進まずに落ちた。

「よう、おまえちょっと水臭くねえ?」

 に、とマフラーに鼻をうずめた笑顔は、7年前と何も変わらない。あたりまえだけれど、その顔つきや体つきはたくましくなった、と思う。

「……なに、その恰好」

 ぷ、と思わず吹き出してしまうのも許してほしい。頭に巻いた三角巾は暖かそうだけれど外では不釣り合いだし、ダウンジャケットの下に着けたままの長いエプロンはやっぱり不恰好だ。

「仕方がないだろ、さっき江崎さんがうちに来て、迎えに行かないのかとか言ってくるから驚いたんだよ。あわてて出てきたんだから恰好は気にしてくれるな」

「あーあ、やっぱりここだと話が広がるのあっという間だね。まさか私が歩くのより噂のほうが速いだなんて思わなかったな」

「そりゃそうだろ、噂話と雪かき以外にすることねえんだもん、ここの人」

 何がサプライズだよ、と文句を言いながらずかずか歩み寄ってきた彼は、私の手をつかんでおもむろに手袋を外した。ひやっとした空気が流れ込んできて、ぶわりと鳥肌が立った。

「ちょっと、何するの」

 寒い、と抗議の目を向けると、彼はその手を自分のジャケットのポケットに、つかんだ自分の手ごと無造作に突っ込んだ。

「めぐは放っておくとどこまでも行くからな」

「この雪道どこに行くっていうのよ」

「婚約者に連絡も入れねえでさー」

「驚かせたかったんだもん。カンを寒い中待たせるの嫌だし」

 ばぁか、と彼は笑う。

「一刻も早く会わせろっての」

「……はいはい、ごめんね」

 ポケットの中、ぬくぬくとしたそれはホッカイロだろうか。汗ばむほどに温かい彼の手を握りながらのんびりと歩く。

「だいたい前に会ったのは俺が会いに行った1年半前だけなんだぞ」

「ごめんて、忙しかったんだもん」

「お前が都会行かなきゃ今頃結婚でもしてたんかなあ」

「いや、都会行き決めた後だったし。だいたい受験前に告白して『合格しなかったら許さねえ』とか言ったのどこの誰よ」

「はいはい俺ですよ」

 ふてくされて唇を尖らせる癖は何も変わらない。つないだ指をポケットの中で遊ばせながら、さすがにいじりすぎたかと苦笑い。

「私が都会の学校に進んだのは、カンから離れるためじゃないんだからね」

「知ってら」

 きゅ、と握り返してくれる指がうれしくて思わず口の端が上がる。

「あとちょっとだけ待っててね」

 あと1年で卒業するから、と呟けば、ここまで待てばもうそんなに長くないだろ、と強がりながら彼は笑った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ