『テンプレ』小説を書くのは本当に簡単なのか? その三
ついに3作目。ここまで来たら連載にしとけばよかったと後悔。
今回は『チート』がテーマですが、これまでと違いかなり辛口に書いています。
『チート』ものが好きな方は、ちょっぴり覚悟して読んでください。
一回目と二回目も併せてどうぞ。
その一
http://ncode.syosetu.com/n9251cy/
その二
http://ncode.syosetu.com/n0882cz/
ストーリー作りが難しく、キャラ作りも難しい。じゃあ、いったい全体どこをどうすれば『テンプレ』作品は良くなるのか!!
世界観か? 人間関係か? それともそもそも転生自体がいけないことなのか?
――いや、待てよ。
そもそも、そもそもだ。
いの一番に喜び勇んで考えた最強能力の設定自体に無理があったんじゃなかろうか。
ついついテンションが上がって厨二魂を炸裂させてしまったあの『チート』こそが、実は執筆において最大の壁になっていたのではないのか!?
……はい、今回も今回で無駄に長いです。
そもそも、これまで散々使ってきた『チート』という言葉。これはどういう意味なのか?
《ごまかし、不正行為の意》コンピューターゲームで、プレーヤーがプログラムを不正に改造すること。オンラインゲームなどで、不正な手段でゲームを有利に進めるアイテムを入手することも指す。(デジタル大辞泉より抜粋)
一言で言えば『ズル』ということらしい。
つまり、チートものというのは、「主人公がズルをしながら活躍していく物語」ということでいいのだろうか?
……ここだけ見ると、どう考えても王道ファンタジーなんて書けそうにないんだが。
むしろイカサマ師が手練手管を駆使してずる賢く世の中を歩き渡る、どっちかというと『悪の美学』を追求した悪者小説としか思えない。
つまり、チートと銘打っておきながら『王道』や『正道』を謳っている作品は、全部鼻で笑っていいということなのだろうか。
……いや、待て待て。
あくまでこれは言葉通りの意味だ。
現代小説における『チート』の概念は、もっと違ったものなのかもしれないぞ。
我々が登場人物を指して「あ、こいつチートだわ」と思うようなキャラ――まずはここから考えてみよう。
いくつか例を出してみることにする。
1. 普通の高校生が神様から最強の能力を貰ってすぐ世界最強に。
チートだ。満場一致でチートである。異論は認めない。
2. 普通の高校生が異世界に行き、最初は弱かったが訓練すればメキメキと強くなり、数ヶ月で世界最強に。
これもチート。いくら最初が弱かろうが、数ヶ月で世界一なんて明らかにチートだ。
3. 異世界転生し、幼少のころからずっと剣の訓練をしてきて、成人(15歳)になるころには世界最強の剣士に。
この辺りで賛否が分かれそうだが、ここではチートとする。
4. 異世界転生し、幼少のころからずっと剣の訓練をしてきて、成人(15歳)になるころには街一番と噂されるほどの剣士に(この場合の『街』は地方都市くらいをイメージ)。
これは……どうだろうか。少なくとも私はチートだとは思わない。
私としては1~3をチートとし、4は非チートと考えた。
さて、この4つの例に則って、正しい『チート』とは何かを考えてみることにしよう。
さて、この『チート』。
作者の「書きやすさ」という観点において、これには大きなメリットと大きなデメリットがそれぞれ存在している。
まずメリット。
前回までの話でもあったが、「自由度の高さ」だ。
異世界ファンタジーの世界は、身も蓋もない言い方をしてしまうと「弱肉強食」の要素が結構強い。
単純な話、戦闘能力にさえ特化していれば、魔物を狩るだけで生計を立てられるし、自然と富と名声が転がり込んでくる。場合によっては貴族・王族に物申せるほどの権力だって持てるだろう。剣一振りで成り上がることができる環境――いわば、日本の戦国時代みたいなものだろうか。
よってチートという最強の力を手にした時点で、その世界における『勝ち組』になれることが確定しているわけだ。
そのまま名声を高め続け、一国一城の主になることだって可能だろうし、成り上がりルートを捨てて、勝手気ままに物見遊山を続けることだってできる。
また、これにより「読み手にストレスが溜まらない」という利点もある。
これは、前々回で考察した「ご都合主義」の話にも繋がっている。
困難、挫折、敗北、喪失――こういった業界では主に『ヘイト』などと言われ、読み手にストレスを与えてしまうような展開がある。力不足で敵に勝てない(目的を果たせない)、登場人物の死亡、ヒロインにフられる、周りの人間から恨みを買う、といった内容が主だろう。
だが『チート』とは、そもそもそういった展開を吹き飛ばすために作られた概念と言っても過言ではない。
基本的に、『チート』がある物語にはこういった『ヘイト』が極めて少ない。展開はどうであれ、『チート』の力でまるっと解決できることが大半だからだ。
そのため、『チート』ものは他の小説に比べて圧倒的に「読みやすい」というのは間違いないだろう。
そしてデメリット。この考察はここからが本番だと思ってほしい。そして長い。
まず気を付けたいのがパワーバランス。特に「主人公が強者を簡単に倒してしまう」ことだ。
王道ファンタジーを描くのであれば、異世界の住人の中には飛び抜けて強いキャラだって出てくることだろう。ギルドマスターなり、王国騎士団長なり、大賢者なり、いかにも『歴戦の強者』といった人物のことだ。
こういった強者の定義としては、「世界中の多くの人間がその強さを知っている・認めている人物」「組織内で立場の高い人物」となっていることが多い。
ここで注意したいのが、主人公のチート能力を目の当たりにした際の強者の反応だ。
ギルドマスターを例に出そう。
入団テストでも昇格テストでも単なる力試しでも何でもいいが、主人公とギルドマスター(以下ギルマス)の一騎打ちの場面を想像してみて欲しい。
ギルマス「さぁ、お前の力を見せてみな!!」
主人公「……(無言のプレッシャー的な何か)」
ギルマス「いや、やっぱりいい。俺の負けだ」
一見すると、直接戦わずとも力を推し量れるギルマスの実力の高さを表現しているような場面だが、とんでもない。
ギルドの頂点に立つ人間があっさり白旗を振るなど、面目が丸潰れである。ギルマスが文字通り、ギルド最強の人間であるのならば、なおのことだ。
こうなった場合、主人公がさっきの例で言う3番や4番ならまだいい。
主人公はそれだけ努力してきたんだ、ギルマスに認められるほど頑張ったんだ、という好意的な解釈ができるからだ。
だが、1番や2番の主人公だと目も当てられない。
ついこの間まで普通の高校生でした、ニートでしたという人物を相手に、相当偉い立場の人間がいきなり負けを認めようものなら……この瞬間「このギルドは戦いも知らないド素人にも負けてしまうような弱小組織」というレッテルを、読者が貼ることになる。
『歴戦の強者』にはそれ相応の立場なり、プライドなりが存在する。
たとえ描写がなかったとしても、ギルマスが世界でも有数の強者であるという事実は「これまで幾度となく修羅場を潜り抜けてきた」「何十年も血のにじむような鍛錬をして今の立場に登り詰めた」という背景を作り上げているのだ。
で、それを強くなる努力もまともにしていない主人公を前に、すぐさま「参りました」なんて言った日には、ギルマスの立場もプライドもズッタズタであるし、そもそも立場ある人間の行動としては不適切だろう。
同じ負ける展開だとしても、「負け方」には気を使ってあげたい。
激戦を繰り広げた上でギリギリのところで倒れるだとか、完全に互角だったが判定で勝敗が決まるとか、ギルマス側の強さを主人公に見せつけた上での決着がいいのかもしれない。
その際、勝った主人公側にも「チートがあったから勝てたものの、普通にやり合えば勝てる気がしなかった」くらいの感想を持たせてあげることをオススメしたい。……というか、私個人の意見としては、そもそも勝たないでほしいくらいだ。
もし「ギルマス雑魚だな。俺強すぎるわ(笑)」なんて感想を持たせるつもりなら、感想欄で読者から袋叩きにされる覚悟を持っておこう。
1番と2番の『チート』は、基本的に後付けのもの――「努力せずに手に入れた力」のため、勝手気ままに無双するという展開は、根底として「努力した得た力よりチートの方が強い」ことにより「他キャラクターの努力を否定する」という印象を強く与えてしまう(この話は後ほど詳しく)。
それを我が物顔で誇るような主人公の印象はかなり『悪』、あるいは『愚かしい』という評価に偏ってしまう。
最初から主人公を『悪』の方向に持っていくのであれば大いに結構な展開だが……少なくともこの展開で、主人公に『正義』や『信念』といったプラスイメージの精神性を持たせるのは諦めた方がいい。
……それこそキャラが薄っぺらくなる。
あるいは、将来的に主人公に大きな挫折や敗北を経験させて、心を入れ替えて立ち直らせるという「熱い」展開に持っていく布石にもできるので、一概に否定もできない。
物語の先の先を見据えて、あえてこの展開にするなんて技もアリかもしれない。
そして次に『説得力』。
これが意外な落とし穴となっており、昨今のテンプレ小説の感想欄でやたら指摘を受けている部分だ。信憑性と言い換えてもいい。
単純に言ってしまうのであれば、「主人公の行動や言動が、その設定に見合ったものなのかどうか」だ。
例えばとあるキャラが「世界最強の剣士」という設定を持っているのであれば、当然ながら剣に関する知識や経験も相応のものである必要がある。要するに、最強を名乗るなら『最強』と呼ばれる根拠を描写しなければならないわけだ。
別にその知識は間違っていても構わない。
異世界という舞台は、スキルや魔法といった独自の法則を有しているので、それらを組み合わせて独自の『最強』の根拠を作ってしまえばいいのだ。
例えば、未来を予知できる能力を持っているから、敵の動きを先読みできて百戦百勝だとか。
魔法で身体能力を引き上げているから力技で勝ち抜けてきたとか。
無限に武器を取り出せて手数で勝利してきた、でもいいんじゃなかろうか(どこの英雄王か贋作師かは知らんが。大好きだけど)。
前回の話でも少し取りあげたが、これらの人生経験がそのまま、その人物の言動や行動に影響してくるわけである。
だが、『チート』のキャラはこの概念が少々独特なのだ。
下記は、私の拙作“フルールルール”でも使った例だ。
何のとりえもないニート(いじめられっ子でも可)の主人公が、いきなり神から最強のチートを貰いました。
異世界転移した先で山賊に襲われている村を発見、敵を蹴散らしましたが、生き残ったのは小さな子供がひとり。
主人公はその子に向かって「弱いのがいけないんだ。お前も強くなれ」と言ってその場を去りました。
さて質問。この主人公の言い分に共感できますか?
私には絶対に無理だ。
だって、ほんの数分前まで主人公は村人と同じ『弱者』だったのだから。それをいきなり神様の力で『強者』に引き上げられただけで、どうしてそこまで偉そうに物が言えるのか。
これが『説得力』の問題だ。
3番や4番のような、過去の経験を積み立てて強くなった主人公であれば回避もできるのだが、1番や2番の場合、かつ自意識が高い主人公にしばしば起きてしまう問題である。
なにせチートという力を持っていても、その力に対応した『経験』を積んでいない――そのままの人格なのだから。
これは作中における『強さ』の方向性によっても変わる話だが、特に訓練や努力を前提とした力を身に付けてしまった場合には気を付けなければならない。
特に1番や2番の主人公は「人に『技術』を教えることが難しい」。
例えば剣術。
ステータス表示がある作品であれば、よく『剣術レベル8』なんて形で表記されていることがあるが、そもそも剣術のレベルの高さとは、どういう基準で決まっているのか。
おおよその場合は「戦闘回数」や「剣で敵を倒した回数(格上を倒せば少ない回数で可)」といったところだろう。これはつまり「これまでの経験の蓄積を数値化したもの」となる。
が、チートでいきなり『剣術レベル99』を身に付けた主人公はどうなのか。
そもそも1番や2番の主人公は、剣術の経験などしていない。
極端に言えば「剣を持ったこともない主人公から、いったい剣の何を学べというの?」である。
これが技術ではなく、単なる力なら別にいいのだ。「剣を100回素振りしたら1レベル上がって、剣を使った攻撃力が上がる」とかなら何の問題もない。
だが、技術とは往々にして経験則である。
チート持ちでも「鎧に身を包んだ敵をどうやって倒すの?」「ドラゴン相手に有効な剣の使い方は?」といった知識はあるのかもしれないが……実際の立ち回り方、剣の振り方など、知識だけではどうにもならない要素だって山ほどあるはずだ。
剣道の入門書を山ほど読んだ人間が、試合でいきなり結果を残せるはずがないのと同じこと。ましてや、ろくな経験を積んでいない主人公が何を語ったとて、そこに『説得力』を求めるのは至難の技だろう。
乱暴な言い方をすれば、「カンニングでテスト100点を取った人が、他人を勉強を教えられるのか?」といったところか。
これとは逆に「前世で最強だった人間」を転生させるという設定も、最近ではよく見かけるようになった。
この場合は、変則型だが3番や4番に該当するタイプとなる。過去に努力してきたのが異世界転生後なのか、それとも転生前なのか、という差異に過ぎないからだ。
この設定は意外と万能で、赤ちゃん時点から古強者の思考形態を持てるため、幼少時代に俺tueeeな展開になったとしても読者が納得できるだけの(程度にもよるが)裏付けにもなる。
『説得力』の問題も、前世の知識や経験を元にしているのだからクリアしやすい。
この場合の問題は、主人公と言うより作者にこそあるのだ。
例えば、先程と同じ要領で「前世で最強の剣士だった」としてみよう。日本人としての設定なら、宮本武蔵のような侍のイメージだろうか。
この場合、さっきの例のようにスキルや魔法を組み込むといったことはできない。それこそ、戦国時代を生き抜き幾多の剣豪と刀を交えた、古き良き侍としての人格・知識・経験を備えていなければならないのだ。
そんな主人公の言動や行動には、細心の注意をはらう必要が出てくることになる。
典型的な例として、
1. 前世で、老人になるまでひたすら剣の修行に明け暮れた達人が寿命で亡くなった。
2. 神様「強くなるチートあげますよー、異世界行けますよー」
3. 主人公「え、うそマジで!? 異世界チートとかマジテンプレじゃん! やったー!!」
この作者は、きっと世の武術家・武道家を舐めきっている。作者にそのつもりがなかろうが、読者にはそう思われてしまうことだろう。
仮にこの言動が、死んで性格が若かりし頃に戻ったなんて設定だったとしても、これはあまりにも酷いし、こうなると普通の学生を主人公にした方がまだマシだ。
……ちなみに、これを読んでいる作者の方。
「俺はまだ若いんだから、老人の気持ちなんて分かるわけないだろ」と思わなかっただろうか。安心してほしい、私もだ。
様々な人物を描写する際、『子供~現在の作者の年代』までの心理描写は、作者自身の当時の心理をそのまま転写すればある程度形にはなるのだが、『未来』の自分の心理はなかなか分かり辛いものだ。性別が違えばなおのこと困難である。
よって、自分よりも年上の人物、明らかに人生経験が異なる人物の心理描写は、あくまで「他人を元にした推測」で書かなければならない。
はっきり言って、これは「作者がこれまでどんな人と接して、どんな経験をしてきたのか」がもろに出る。
身近におじいちゃんやおばあちゃんがいらっしゃれば、今まで2人と話してきた記憶を元に考えてみればいいだろうし、いない場合は、ご年配の作家が執筆された作品に目を通してみるのもオススメだ。小説よりも、作者の考え方が分かり易い随筆などがいいかもしれない。ちなみに、私は200ページ前後で手軽に読みきれる岩波文庫を愛読していた。
コメディタッチで描くのであればあえてこれを無視するのも一興だろうが、様々な人物の心理描写を濃く描きたい場合は無視できない課題だろう。
そしてここには、『チート』最大のデメリットである「努力の否定」が潜んでいる。
テンプレものを生理的に受け付けない、なんて読者もいらっしゃるが、その原因がまさにこれだ。
これは剣に限った話ではない。
スポーツでも芸術でも勉学でも何でもいいが、ひとつの道を極めた人間というものは、総じて『努力』を積み重ねてその頂点に至っており、またそんな自分の能力を誇りにしているものだ。その状態で、簡単にその『努力』を凌駕するようなチートが貰えると聞いても、まず喜びはしないだろう。
ギルマスの例でも挙げたが、「努力を否定される」ことは、その人がこれまで頑張れば頑張ってきたほどに、とてつもないカウンターとなって跳ね返ってきてしまう。
より噛み砕いて言うのであれば、
「人生のすべてを捧げて剣の道に生き続けてきた!!」→「あ、このチート使ったら誰でも剣の達人になれますよー」→「俺の人生はいったい何だったんだ……」
である。
いかに素晴らしく、いかにリスクのないチート能力であろうと、それを否定する人だっているということだ。
これは私の推測になるが、「前世における達人・努力家はチートに喜ぶことはしない」。
異世界で生きていくため、打算的にチートを受け入れることはあるかもしれないが、少なくとも進んでチートに喜ぶことはあり得ない、と断言してもいい。
これは、今あなたが一番頑張っていること・頑張ってきたことを「そんなもの、チートがあれば誰でもできるようになるよ」と言われるようなもの。
それを深く考えずに切り捨てるような主人公は、間違いなく人間として何かが壊れてしまっている(そういう主人公を描きたいなら話は別だが)。
そのため、達人や努力家と『チート』は、驚くほどに相性が悪い。
それでもチートを付与したい場合は、主人公の意思に関わらず強制的にか、転生後の成長に応じて発展する『才能』として入れてあげた方がまだ話は通じる。
「前世で最強だった人間」を転生させる場合は、本当に、本当の本当に、主人公の設定を練りに練ってから書き始めていただきたい。
実在の人間の名前を使うのであればなおのことだ。場合によってはとんでもない批判を買うことになってしまう。
最後に。
本考察のタグにも入れてあるが、「私はチート嫌い」である。
そのため今回に関しては、かな『チート』に対して否定的な意見を連発している。
もしかすると、チート作品が好きな作者様および読者様の中には、不快な思いをされた方もいらっしゃるかもしれない。
だからこそ読んでいただきたかった、というのが私の本音だ。
初回から申し上げていることだが、私はチートを否定する気はまったくない。
もし否定するような作品があるのであれば……すべての過去を迷わず切り捨て、チートという名の『ズル』を我が物顔で振り回す主人公と、それを諌める人もいないどころか、誰も彼もがそんな身勝手な主人公を賛辞する、世界全体がチートを認めてしまうような作品だろうか。
私は自分の作品で、『チート』を持った人物をヒロイン格として登場させている。
下記は拙作“AL:Clear”、30話より引用した文だ。
ただの学生だった少女が、ある日突然大きな戦いに巻き込まれました。そしてある時とても強い力を授かった少女は、仲間達と一緒に悪を倒すため戦い始めたのです。
今時そんな展開、少年漫画でもそうはあるまい。
ピンチになったら助けてくれる、願えば力を与えてくれる。随分と残酷な神様もいたものだ。
クロエは鈴風に対して嫉妬など微塵も感じてはいない。
あるのは嫌悪感と、ほんの少しの憐れみ。
あなたは戦うために生まれてきたのだ、勝利するために戦うのだ――そう神に操られているような、愚かな傀儡。
今や『チート』という概念が大勢に浸透しつつあるのでつい麻痺しがちなのだが、そもそも『チート』はおかしいものなのだ。神様に好き勝手に身体をいじくられて、違う世界に放り込まれるなんていう理不尽なのだ。
もし「チート持ちの主人公」を別の言葉で表現するならば、私は迷わずこう答えるだろう。
――『神の玩具』だ。
この回答に至ってしまったがために、私は『チート』に対して強烈な忌避感がある。自作品にあえて取り入れているのも、この『チート』を否定したいがための反命題としてだ。
この『チート』の歪さを、主人公が自覚しているならまったく問題ないのだ。
だが、主人公がチートを得て無邪気に喜びながら異世界で好き勝手している様を、遥か天の上から神様に見られているかと思うと、主人公があまりに滑稽に見えてならない。
こと『チート』に関しては、前回までの『ストーリー』や『キャラ』の考察とは別次元のレベルで警鐘を鳴らしたい。これまでのように、完結できるかどうかの問題ではないのだ。
解決策はただひとつ。『チート』のメリットもデメリットも、正しく理解した上で運用することのみだ。
ひとつ間違えるだけで、主人公のみならず周りの登場人物までもを狂わせてしまいかねない『チート』。主人公がこの狂った力に対しどう考え、どう行動するのか。
生かすも殺すも、すべては作者次第だ。
書きたいことはおおよそ書いたので、これで完結にするつもりです。
ご意見、ご感想はお気軽に。