琥珀亭
「……まさか、位階が54とはなぁ。それで旅して飯食って無かったって、そりゃあ腹も減るわな」
「いやーありがとうボガードさん! ごちそうさま、おかげで本当生き返ったよ!」
あれから結局、おれはこのボガードさんの特製チキン定食を計八人前食べ、やっと人心地ついていた。
うん、大満足である。
食事の後、ボガードさんに事情を聞かれた俺は「旅をしてきてさっきこの街についた。二日前から何も食べていなかった」と答えたのだが、
それにしても食いすぎだと言われ、その流れで自分の位階や探索者になりに来たことを話したのであった。
そして、現在に至る。
「とりあえず、飯代だが、坊主お前、金はあるんだろうな?」
「それはもちろん、旅人だしね」
嘘ではない。俺は旅人なのだ。ちょっと世界を渡らせられたけど、旅人なのだ。職業欄にもそう書いてあるんだから間違いない。
「ならいいが…銀貨一枚に銅貨二十枚だ。ちなみに家は一泊銀貨一枚で、朝夜の飯つきだぞ。ただし特製定食にするなら一食その時に銅貨八枚増しだ」
大丈夫なのか?と見られるが、問題ない。というか、一万二千円も飯を食ったのか俺は。それは確かにびびるよな。うん。
でもそれはつまりあのボリュームと味で一人前がたった千五百円だったということでもある。
宿にしたって朝夕特製定食を頼んだとしても一泊一万千六百円である。
この世界、食事のコストが低い気がするが、探索者としては嬉しい限りである。それともこれがこの店だけの値段なのかもしれないが、流石に店の懐事情を心配するのは野暮だろう。
「それじゃあ、とりあえず一か月分と、食事代で、銀貨三十一枚と銅貨二十枚でお願いします」
これで懐は残り銀貨三十二枚と銅貨十五枚である。三十二万千五百円。
調子にのって一か月も先払いしてしまったので鎧と剣代が一瞬心配になったが、まあ砂漠の迷宮の素材を売れば足しになるだろう。
砂漠特有の魔物の分は少量しか売れないだろうけど、いざとなれば適当な相手から譲り受けたのだといって売ればいいはずだ。
あー、でも内臓系は新鮮度があるからすぐには売れないか。でも、かといって鮮度を落としたら安値になるだろうから難しいけど。
最悪、無手かさっきの短剣でもさして出歩けばいいか。どうせ迷宮では斧も鎧もしっかり使うんだから。
「……まあ、位階は伊達じゃないって話だろうな。おし、それじゃあ鍵を持ってくる。ああ、湯がほしかったら桶で一回銅貨五枚だが、娘と妻が寝るまでだから、注意しろよ」
「ああ、はい。……って、それって何時ぐらいなんですか?」
「まあ、大体二十二時って所だな。部屋にはないが、そこに壁かけ時計があるからそれで見て判断してくれ。ああ、今は二人とも出かけてるから湯が欲しいならそうだな……十一時ぐらいになったら声かけてやってくれ」
あったのか、壁掛け時計。
時計は高級品って知識にあったから、完全に意識の外だった。
というか今はまだ朝の十時だったのか。それは人がいなくて当たり前だ。おそらく休憩中だっただろうボガードさんに感謝である。
「わかりました。でもとりあえず湯は夜でいいですかね。その前にギルドにいっておきたいんで」
正直、日本人の感覚とこちらの衛生観念が似ていたのは本当にありがたかった。
中世ってどうしても小汚い印象が目に付きやすいのだが、この世界はそんなことがなくて本当によかった。
久しぶりにこのマジック・ポーチの水と砂漠迷宮のカエルが落とした石鹸もどきじゃない、温かい湯と本物の石鹸で体を擦りたい気は勿論あるけれど、
そもそも今は本物の石鹸が無いし、知識が確かなら石鹸が売ってるのもギルドだからな。
「ああ、そういやお前まだ旅人だったんだよな。位階の話ですっとんじまってた」
「いやーはは、まあ旅人でも自由迷宮なら潜れますからね、割高ですけど」
「自由迷宮ってことはノグリッツにも行ってたのか。その歳で本当冒険してんな……いや、探索者になるんだからこれからもか」
ノグリッツ。なるほど、自由迷宮という一般人でも金さえ払えば入れる迷宮があるというのは知識にあったが、それはノグリッツという場所にあるのか。
うん、ギルドで聞かれたらそう答えよう。
「まあ、自分の人生ですから。好きに生きてますし、これからもそうしますよ」
「そうだな。それがいい。さて、ギルドの場所だが、ここからそう遠くはねえ。露店街は見たか?」
「あ、はい。というかそこでこの店を紹介されてきました」
「……そうか。なら話は早いな。露店街でもこの通りでもない、あー、露店街からみてうちを右手にみるだろ? そう見たときの左手に真っ直ぐ進め。その突き当りを右に曲がればすぐギルドだ」
「露店街からみてこの店を右手として、左手に真っ直ぐ進む。その突き当りを右手、ですね」
「おう、そうだ」
露店街からみて左手に真っ直ぐ、突き当りを右手。よし、覚えたぞ。
「それじゃ、ちょっとこの剣だけ置いてから行ってきますね」
「なんだ、剣もささないで行ったら舐められるぞ?」
「あーいや、日用品も色々買ってきたいですし、この剣、抜いたら割ともうボロボロなんで最後に買い換えてこようかと思いまして」
「なるほどな。まあお前がいいなら構わんさ。それじゃあ今鍵もってくるから、ちょっと待ってろ」
ボガードさんから鍵を受け取り、部屋に入った俺は即座にデュラハンの剣をマジック・ポーチに突っ込んだ。
あー、やっと頭痛から解放された。
本当、呪いの剣とかマジ勘弁。やっぱり大斧だよ、大斧。まあ今更背負う訳にもいかないんだが。
どこから出したのか。マジック・ポーチです。マジック・ポーチだと! という一連の流れが嫌でも想像できてしまう。
悪目立ちなんかして、達人として確保なんかされる訳にはまだいかない。まだ俺はこの世界の一つの国の、それも一部しか知らないのだから。
……駄目だ駄目だ。そんなことばっかり考えていても仕方ない。
思考を切り替えて、部屋を見回すことにする。それにしても、クローゼットもあるし、ベッドも清潔。小さいけれど机と椅子もあるし、何より床が広いおかげで湯を使うときでも周りを気にせず済みそうだ。
うーん。この店って本当立派というか、値段の割に贅沢な気がするんだけど……って考えたら一か月三十万払ってるんだもんな。そう考えると一気にみすぼらしく見えるから不思議だ。
そもそももしかしたらこの金銭感覚自体がやっぱりずれてて、実際は銀貨は千円、までいかなくても五千円ぐらいなのかもな。そう考えると……いや、そしたら飯代が、ううん。
まあ、考えても仕方ないというか、月に自分がどれだけ稼いだのか、とか、日用品を買ってく内に自然と掴めてくるだろう。
それにもう、円ってお金を使うことは無いんだから、無理に当てはめるのがそもそも間違ってるのかもしれないしな。
「と、いかんいかん」
ついつい久しぶりのベッドの上を堪能してしまった。
いや、誰に憚ることもないとは思うんだけども、ボガードさんにああいった手前もあるし、それにいつまでも鎧っていうのも落ち着かないし、さっさとやるべきことは済ませちゃわないとな。
だらけるのはいつでもできるんだし。
よし! 腹筋で反動をつけて上半身を起こすとしよう。よーそろー!
「……うし、行動開 「ええええええええええ!?」 ……し?」
……何だろう。何か嫌な予感がするなぁ。
具体的には下から聞こえてくる、「特製チキン定食売り切れなの!?」とか「お腹空かせてきたのにー!」とか「おいおいこの時間で売り切れってマジかよ!」とかいう複数の声が聞こえてくるような気がしちゃって。
あははー、幻聴かなー。デュラハンのせいかなー。くそうやっぱりあれ叩き折ってやろうかな。
まあ、現実逃避は置いといて。
どう考えてもあれだよな。特製チキン定食、今日の分全部俺が平らげたからだよね。この騒ぎ。
というか、あれって一日限定八食だったんだな。ううむ、ちょっと悪いことをした気もするが、冷静になってみれば漫画じゃあるまいし、それで絡まれるなんてこともないだろう。
そもそも俺が食べたかどうかなんて下の人たちにはわからないだろうし。
よし、短剣さして、行ってくるか!
とはいえ絡まれるのは勘弁なので、俺は出来るだけ物音をたてずに階段を下りて食堂に行く。
すると、ボガードさんが金髪の女性とあの銀髪の方はダークエルフの女性だろうか。それと赤髪の女の人に絡まれている。
うーん、ここからじゃ赤髪短髪の人の横顔しか見れないけど、あの人可愛いなぁ。言葉は一番荒っぽいけど、全然オッケー。
ただしイケメンに限る、じゃないけど、美人なら許されるっていう言葉もあるが、俺は両方真理だと思う。
と、見つめてる場合じゃない。ボガードさんが絡まれてる内にさっさとギルドに行ってこなきゃ。いやあしかし羨ましいなあボガードさん。
これは声をかけずにゆっくり出るしかありませんな。
「あ、コーヤお前……!」
聞こえない聞こえなーい。
さて、無事に琥珀亭から脱出。じゃなくて、出発した訳だけども、うーん。舐められるか。
例えば舐められて、絡まれたとしよう。いやでも位階やらを見せれば……いやいや、それでも暴力沙汰になったとしたら。
……うん、駄目だ。完全に達人やら強靭がばれてしまうフラグにしかなってない。
ただでさえ日本人顔で多分必要以上に若く見られてるっていうのに、短剣さしていくのは駄目だ。
金髪兄ちゃんとか絶対同年代だったのに、明らかに年下扱いだったもんな。
とすると、困ったな。
先になんとか長剣の一本でも買わないといけない訳だ。
でもなぁ。売ってる場所がわからないし、何よりお金が足りるかも分からない。
かといって琥珀亭にいって「やっぱり少し返してください!」なんていえる訳もなく。
はやまったかなぁ、一か月……。いや、後悔してても仕方ないか。
うん、とりあえずギルドの方に向かって、武器屋があったら入って、物色だけしてみよう。
それで駄目ならあとは野となれ山となれだ。