プロローグ① いつかの風景
いつかどこかでした会話。
これは一体いつどこで、どうして始まった会話だっただろうか。
風景も、相手の顔もおぼろげで、目の前に揺らめくコーヒーの湯気だけがいやにはっきりと思い出せる。
「何でもできるなら、何をしたい?」
女性、だったような気がする。
確か、彼女。彼女は俺にそう聞いてきたのだ。
「何でも、か。それは一つだけ、ということか?」
「それはそうだよ。だって、そうじゃなきゃ聞いた意味がないじゃないか。」
何でもできる。
何でもできるなら、何をするのか。それは、文字通りの意味だろう。
正義の為に生きながら、罪を気にせず。誰からも悪意を持たれ、誰からも好かれ。金は湯水の如く溢れかえり、それらを無くしても構わない。
生者と死者。どちらの存在でも構わない。あらゆる武と知を修め、誰一人叶わぬ領域にありながら、誰よりも弱く愚かでもあれる。
他人の心も自分の心も、いや、世界を文字通り思い通りにできたとしたら、果たして俺は何をするのか。
しかし、そこまで考えて思う。何とも荒唐無稽な話ではあるが、もしも自分がそんな風になったなら、全てに飽きてしまわないだろうか、と。
……いや、飽きないようにも、なれるのか。
「何でもできるなら、何でもしたらいいじゃないか」
だから、俺は彼女にこう答えたのだと思う。
俺には想像もできない領域過ぎて、答えなんてものが見つからなかったから。
呆れられるかも、と少し弱気に彼女の顔を見ると、しかし彼女は俺の言葉に微笑んで、答えてくれた。そのはずだ。
「うん。別に何でもしていいんだよ。ただ、その時最初に何をしたいって思うか。そういう話だよ」
「……最初」
俺は、最初に何を願うだろうか。いや、最初に何をするだろうか。
俺は俗な人間だ。大金を部屋中に溢れさせるかもしれないし、美形になるかもしれない。はたまた創作物の世界に入ったりもできるのだろうか。
もしくは創作物の登場人物を真似て時間を停めてみたり、空を飛んでみたりするのかもしれない。
過去にいって気に入らない事を無かったことにしたり、未来の世界へいって物見遊山にいそしむのかもしれない。
暗い願いを叶えようと、他人の心を操って王様気取りでもするのかもしれない。
詰まる所が、わからない。
「ごめん、やっぱりわからないな。でも多分、どうでもいいことだよ」
だから俺はやっぱり彼女の問いにはそう答えた。
実際にそうなってみなければ、その答えはわからないと思ったから。
「いや、いいよ。これはどうでもいいことでもあるんだから」
彼女は意味深な笑顔を浮かべ、コーヒーを啜る。
……どうやら呆れられてしまったようだ。それはそうだ。これはもしも宝くじが当たったら何をするか、という話を楽しめないような事と同じ事。
内容なんてどうでもよい、そんな会話。つまり、俺は会話も相手も楽しませることができなかったということになる。
だから俺は急いで必死に考えて、彼女に一つ今思い浮かんだ答えを言うことにした。焦っていた。彼女に呆れられるのが、俺は何より怖かったのだ。
「ああ、今思いついたんだけど」
「なんだい?」
彼女はこちらを静かに見つめている。
興味と、呆れと、若干の期待を込めた瞳で見つめている。
それに緊張を感じつつも、俺は答えた。
「誰からも、愛されるようになりたいかな」
そう答えた俺に、彼女はどんな反応をしたんだっけ。