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ワンダーランドと心の現実 その弐

 甘かった。結局、夜明けまで何者にも出くわさず、森を抜け、草原を歩いている。前方から日が昇ってきた。ここでの方位が元いた世界と同じならば、東に向かっているのだろう。

 人間、太陽に向かって歩いていれば、まず間違いない。まったく根拠はないけどな。

「そういや腹へったな」

 昼に食べたきりだったと、あたりを見まわした。だが一帯は草原だ。食えそうなものはない。人里もない。

「歩くよりほかなさそうだな」


***


 さて、三時間は歩いたんじゃないだろうか。空腹と疲労で足元がおぼつかなくなってきた。しかも草原を歩いていたはずが、いつのまにか荒野だ。はじめて訪れた森の豊かさとは縁のない荒れ地。乾いた土と貧相な雑草と、照りつける太陽。ときおり吹く風が熱を帯びていて、埃を巻き上げる。

 俺は「このまま進むと確実に砂漠だろうな」と予感させる錆びた匂いにむせて、咳き込んだ。

 ……水、飲みてえな。

 喉が渇いた。吸い込む息が食道の壁面に張りつく。脱水症状が出るのも時間の問題だろう。しかし見渡すたびに果てしない荒野。川のせせらぎも聞こえず、水の気配はいっさいない。足裏も痛くなってきた。さすがに裸足でここを歩くのは無謀だ。熱いし。苦行じゃあるまいし。

 くそっ、恨むぞ桜井。友達だなんて、嘘つきめ。エンブレムってやつが目当てだったんだな。そりゃ世話にもなった。けど心がなきゃ何もなかったのと同じだ。おまえは何もしなかったのと同じだ。

 俺はへばって、その場に座り込んだ。もう限界だった。木陰がないのでジリジリと日に照らされっぱなしだが、どうでもいい。ひどく投げやりな気持ちだ。やはり空腹は精神の崩壊をまねく。

 することもないので空をあおいだ。ゆうべ見た美しい夜空が嘘のように、雲ひとつない真っ青な空。地獄のような晴天。

 単純に、引き返せば森に着くだろう。だが距離を思うと()える。

 ここで終わりか、俺の人生。中二から高校卒業まで、全校生徒のみならず街人からシカトされ続け、あげく見知らぬ土地に放り出されて昇天……ムカつくな。あんな連中に勘違いから振りまわされて行き倒れとか。後世まで祟ってやるから覚悟しろ。

 死の間際の悪態をついてから、俺は仰向けに寝て目を閉じた。ゆっくり死ぬのはキツイだろうが、どうしようもない。ここは俺が生まれ育った世界じゃないんだ。きっと生き延びても苦難しか待ち受けていないだろう。ならばいっそ、ここで尽きたほうがいいに決まっている。

 俺は渇きと飢えに生きる希望まで失った。肌を焼く日光が容赦なく身体の水分を奪う。それは同時に異世界にあることの現実を叩きつけていた。

 本当に、もうダメだろう。そう思った矢先だった。

「おーい、死んでるのかー? 生きてたら返事しろー」

 横柄な口調の声がかかった。言葉はわかるが、声の主に心当たりがない。俺は目を開け、視線だけを投げた。

 ラバ、いやラクダ、いいやウシ、シカ、ウマ……よくわからない生き物にまたがった無精髭の男の姿が目に焼きついた。

 ハリウッド!

 心の中で思わず叫んだ。ハリウッド俳優さながらの風貌だったからだ。亜麻色の髪にグレーの瞳。精悍な面差し。おそらく高身長。野性味ただよう表情と笑みがカッコよく、口元からは白い歯がのぞく。全体的にベージュの衣装で、はおったマントの裾はほころび、ブーツも薄汚れているが、いい味を出している。三十代あちこちの様子だが、かなり渋い。こういう男になりたかったよな、と思わせる男だ。

 ただひとつ難点をあげるとすれば、耳の先がとがっていることだろう。連想されるのは悪魔だが……

 いっきに血の気が引いた。

 地獄からのお迎えとかなしだろ。勘弁してくれ。俺は潔白だ。とくに善もおこなわなかったが悪じゃない。

 見も知らぬ神様に向かって必死に言い訳しながら、再び目を閉じた。強く閉じた。絶対に目を合わせてはならない、そんな気がした。しかし男が地におり立ち、近づいて来る音と気配を感じる。万事休す。

「こら、生きてんだろ、無視するな小僧」

 髪をつかまれた。身が縮まったが、どうせ死ぬつもりだったのだ。俺は「悪魔と戦ったっていいじゃないか」と妙な具合に開き直り、目を開けた。

 男はしばらく無言で俺を眺め、やがて言った。

「なんだ、ヒューマンか。ちっ、気づくんじゃなかったなあ」

 ヒューマン……位置づけは「人」と解釈していいんだろうな。

「ここはフェアリー自治区だ。どうしてヒューマンがいる?」

 フェ、フェアリー。ということは、待てよ。あんた妖精なのか? 悪魔じゃなくて? 助かった! けど、なーんか夢が壊れるなあ。妖精といえば、ちっちゃくて羽根が生えてて女の子でキュートなイメージなんだが——どうみてもワイルドなガンマンだ。

「おい、質問に答えろ」

 イラ立つ男に、言葉を発する元気もない俺は、懸命に声をしぼり出して答えた。

「み、水くれ」


***


 世間様に、命汚いと言われようが何言われようが構わない。急に死にたくなくなったのだ。

 相手は言葉がわかるうえに、極悪そうでもない男である。水の一杯くらいくれるだろうという希望がわいた。ついでに生き延びて、俺を置き去りにした連中に文句のひとつも言い、唾を吐きかけてやろうという復讐心も目覚めた。

 男はまず、腰元の水筒を渡してくれた。俺は急いで受け取り、遠慮なく飲み干した。

「うち来るか?」

 なかば呆れた様子の誘いにも、すばやく乗った。

「行きます」

 男はニヒルに笑った。

「おかしな野郎だぜ。ヒューマンのくせによ」


 で、荒野の端とも中間とも判断がつかない場所にポツンとたたずむ、小屋へたどり着いた。形状はラクダ、背中の模様は子鹿、頭部の角は牛、たてがみはラバ、足と尾が馬という、訳わからん動物の背に揺られ。

 男の名はクレイ。脱水症状寸前のうえ裸足である俺を哀れに思ったらしいクレイは、動物の背を俺に譲り、徒歩で引いて行ってくれたのだ。

「シャーリー、水、用意してくれ」

 俺を連れて小屋の戸を開けるなり、クレイは言った。中にいたシャーリーと呼ばれた女は、両手を腰にあて首をかしげた。

「なーに? 入ってくるなり」

 そこで俺は最大級に目を見開いた。シャーリーがナイスバディなお姉さんだったからだ。

 衣装は金属っぽい質感の黒ビキニで、ベージュのマントをつけている。足元はかかとの高い黒のロングブーツ。なにかの女王様を連想してしまうが、とにかく美人だ。ゆるやかに波打つ長いブロンドヘアーと琥珀色の瞳。厚めの唇。胸は豊かで、クビレもしっかりある。全体の露出度はR指定ギリギリだ。

 エ、エロイ。クレイの彼女か奥さんだろうな。やっぱりハリウッドには女優がつきものか。いいなー。

「そのへんのイスに座って待ってな」

 クレイが言った。木製の四角いテーブルの周囲に、同じく木製のイスが四脚ある。疲れていた俺は、素直に言葉にしたがった。

「だあれ? この子」

 シャーリーは水差しから水をコップに注ぎつつ、眉をひそめた。

「そういや名前聞いてなかったな。なんて名前だ」

 クレイに尋ねられ、俺は戸惑った。本当はクレイが自己紹介してくれた時点で名乗り返すべきだったのだが、喉の奥でのみ込んでしまった。桜井たちの話が周知のことなら、また名前から勘違いされてしまうのではないかと警戒したからだ。

「やーね。名前も知らない子を連れてきたの? しかもなに? ヒューマンじゃない」

「行き倒れてたんだ。俺だってヒューマンなんか助けたくないさ。だが、この自治区にヒューマンの死体が転がったら、あとあと面倒だろうがよ」

「そりゃそうだけど」

 シャーリーは俺を見つめ、水で満たされたコップを差し出した。俺は会釈して受け取り、いっきに飲み干した。

「よっぽど喉が渇いてたのね」

「腹もへってるんです」

 シャーリーはこめかみを痙攣(けいれん)させた。

「……図々しい子ね」

「人間、極限状態になると恥も外聞もないんです」

「あらそう。パンとスープしかないけど、食べる?」

「喜んで」

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