ワンダーランドと心の現実 その壱
蒼い月明かりに照らされた森の中。ラメをちりばめたような葉。ねじまがった幹。地面には湿地帯に咲くような可憐な白い花。ちらほらとホタルも舞っている。
そこへ座っていた。目の前には悠然と見下ろす桜井がいる。そのバックには、しかめ面した最強トリオが……
うーん。目の錯覚だろうか。佐藤は金髪に青目だし、真部は銀髪に紫色の瞳だ。里奈も茶髪はそのままだが目が緑色。何が起こった。いつヨーロピアンに。本格的に三銃士の劇を始めるのか。
「立てるか?」
硬直しているところ桜井に声をかけられ、手を差し出された。
「お、おう」
俺は手を取らずに立ち上がった。置かれている状況をのみ込めないながらも、ひとつだけハッキリわかることがある。それは「桜井も俺の知る桜井ではない」ということだ。ゆえに手など取れなかった。
所在をなくした桜井の手は、やや戸惑ったようにしまわれた。月明かりの中の漆黒の髪。黒水晶のような眼差し。ゆいいつ代わり映えのしない彼でさえ、日本人だとは断定できない雰囲気を醸し出している。
おまえらいったい、なんなんだ。
唖然呆然としたあとに、得体の知れない恐怖を感じた。連中が意味不明な単語を飛ばし始めたあたりから嫌な予感はしていたが、「まさか」である。まさかこんな右も左も分からない森の中へ連れ去られようとは思いもしないことだ。
衝撃のあまり俺が黙っていると、
「お怒りになられているのでは?」
真部が桜井に向かって嘲笑ぎみに言い放った。桜井は舌打ちし、俺の顔色をチラリとうかがった。
「怒っているのか?」
桜井の質問に、俺は答えなかった。代わりに佐藤が言った。
「同意を得て連れ帰るのがルールだったはず。あなたも同意を得られていなかったのでは?」
桜井は忌々しそうに口元をゆがめ、俺の腕をつかんだ。
「ふりだしなんてゴメンだぞ。俺に決めてくれ」
「……なにを?」
俺はやっと声を出して尋ねた。桜井は苦虫をかみつぶしたような表情で、つかんでいた手を離した。
「この三年間で、俺のことは見極めただろ?」
「だから、なんのことだよ」
「はぐらかすな。エンブレムに決まってる」
「エンブレム?」
「勇者として選ばれた者から一人、英雄として認められる者に与える、あれだ」
なんだ。車の前とか後ろについてるアレじゃなかったのか。
「て、おまえ英雄になりたかったの? ちょっと笑えるんだけど」
「茶化すな。俺は英雄になりたいんじゃない。ただ今回は選ばれないとマズイんだ」
「なんで?」
「王位継承権を剥奪される」
「剥奪……?」
俺が眉をひそめると、桜井はバツが悪そうに鼻頭を指でかいた。
「ちょっと遊びが過ぎた」
あー、つまりあれだ。王様みたいなのがいて、ドラ息子に試練を与えたんだな。そーか、おまえドラ息子だったのか。
「それで? この三銃士は?」
俺が視線をやると、真部が姿勢を正して発言した。
「我々は純粋に、気高き志をもって、このたびの試練に臨みました。トール王子と一緒にしていただきたくありません」
「いや、もともと一緒にはしてねえよ」
羞恥プレイ好きのドSなイケメンという以外は。
「どうですか、トイチ様。ここは仕切り直しということで、我々三名の中から選ばれては」
「バカ言うな!」
桜井が憤慨した。
「遠巻きに指をくわえて見ていただけの連中に、やすやすとエンブレムを渡せるか! だいたいトイチ様のこのケガも、おまえたちが要因だろう。どう責任とるつもりだ!」
「下心たっぷりに仕えていた王子に言われたくありませんね」
「物欲しそうな顔したビンボー三銃士に言われたくないな」
「黙れ。金と権力にまみれた薄汚いプリンスめ」
「なんだと、この野良三銃士」
イケメン王子とクールビューティー銃士が罵り合うのも、けっこう見苦しい。品性はどうした、真部くん。
ともかくも、置かれている状況はだいたい把握できた。エンブレムとかいうのを与えてくれるらしい人物と俺とを間違えてるんだな、こいつらは。なるほど。俺に対する態度の謎が少し解けたぞ。いやいや、それにしてはぞんざいな扱いを受けた気もするが? ま、俺と間違えられるくらいだからな。たいしたヤツじゃないんだろう。まったくいい迷惑だな。……早いところ事態を収拾しよう。
「注目!」
俺は声を張り上げた。王子と三銃士の視線が集まった。俺は咳払いし、胸を張った。
「ここでひとつ、重大なお知らせがある!」
「な、なんでしょう」
「うむ。心して聞け」
「は、はい」
「俺はエンブレムとか知らないし、この世界がなんなのかも不明だ。つまり! おまえたちは大きな勘違いをしている!」
王子と三銃士は目を点にして固まった。よし、言ってやったぞ。バカめ。俺はただの人間で、絵に描いたような凡人だ。そんな人間とエンブレムとやらを与えるらしい人物とを間違えるとは、笑止だな!
「……え? まさか」
徐々に目を見開く彼らに向かい、俺は駄目押ししてやれとばかり、思いっきり首を縦にふった。
「完全な人違いだ。というわけで、俺を元の世界に帰してくれ」
桜井をはじめ、最強トリオは硬い表情で俺を眺めた。
「おかしいな。絶対に間違いないと思ったのに」
「絶対に間違いだろ。どこを見て言ってるんだ。つか最初に確かめろ」
「それはできないルールだ。しかし名前に〝イチ〟がついていて、かつ三銃士が転生した近辺に生活している同期の桜という条件では、おまえが一番はまっていた」
はい? 俺の耳が確かなら言ってやろうか。おまえら「アホ」だろ。たったそれだけの情報で俺だと判断したのか。そりゃあ取り違いも起こるだろう。名前に〝イチ〟のつく野郎がどれだけいると思ってんだ。ちゃんと市内中、捜しまわったのか?
「大丈夫かよ、おまえら。ルールも大事か知らないが臨機応変に対処しろ。今頃、本物さんが路頭に迷ってんじゃないのか?」
佐藤がハッと反応して唸った。
「ムダな歳月を過ごしたというわけか。くそっ。こうしてはおれん。さっそく捜しに向かうぞ」
三銃士はさっそうと立ち去り、一歩出遅れた感のある桜井も慌てて杖をかざした。杖の先に集まる黒い光——桜井は消えた。
そして、俺は。
***
取り残された。正体不明の森の中、おいてきぼりをくらった。おまけに部屋から直行だったので、裸足だ。
「じょ、冗談だろ、おい」
無責任にもほどがある。勝手に連れて来て、違っていたら知らぬ存ぜぬか。
俺は途方に暮れ、空を見上げた。満点の星。綺麗だ。小さな星のまたたきまで無数に確認できる。月明かりに照らされながら、これだけの量の星が肉眼で見られるとは、ここは相当、環境がいいに違いない。
星座はやはり大きな星をつないで作るのが基本だよな。よし、あれとこれを、つないで——なんの形にもならんな。
とか、のんきに天体観測している場合じゃない。とにかく森を出て人里を探そう。言葉が通じるか否かは別として。いや待てよ。案外ここで待っていれば、人ひとり置き去りにしたことを思い出した連中が、迎えに来てくれるかも。
と、腕を組んで思案してみるが、こめかみがうずいた。
うーん、あんな身勝手そうな連中が、もはや用済みとなった俺を思い出すだろうか。用済みどころか用なしだったわけだしな。なんということだ。こんなことなら、ちゃんとした対応を受けてから正体を明かすべきだった。
いまさら遅いので、とりあえず歩を踏み出した。ときおり雑草をかき分け、けもの道を行き、あてもなく歩く。だが心は落ち着いていた。案外、俺もタフなのかも知れない。
まあ、森がメルヘンチックだしな。危機感なんぞ、そがれまくりだ。地面はフカフカで裸足でも痛くないし、ところどころにカワイイきのこが生えていて、夜行性の小動物がウロウロしている。そして虫の声は子守唄のように優しい。
虫が鳴いているということは秋なのだろうか。しかし蛍がなあ、初夏だよなあ。ここ、季節感はないのかもしれない。
森を形成している木々の葉は月の光を受けてキラキラと輝き、飛び交う蛍も道を照らしている。夜なのに明るすぎる森だ。そして球体の花を咲かせている植物に触れると鈴の音が響く。とても澄んで美しい音色だ。
まるで絵本の世界。ひょっこり小人が出てきても驚かないぞ。いっそ出てきてほしい。話のわかる小人が。