俺の外出事情とS王子
コンビニ前での事件から三日後。
いまさらだが、あの最強トリオが俺に恨みをいだいていたことは判明した。しかもスゲー小さい時のちっさいことで。
「意外にヤツらもあれだなー。器ねえな」
二階の部屋でベッドに寝転がってボケっとしていると、一階から母の声が聞こえた。
「斗一! かあさん、ちょっと出かけるから。お昼と夕飯テキトーに食べてね! お金、テーブルの上に置いとくから!」
「ふあーい!」
返事をして跳ね起きた。午前十一時半。昼が近い。
俺はさっそく階段をおりて、テーブルの上の二千円を取り、家を出た。
家を出るのは好きじゃないが仕方ない。なるべく散歩に出るよう心がけてもいることだし、メシのためなら重い腰も上げなければならない。
外出がおっくうなのは世間の風当たりが厳しいせいだ。かといって引きこもらないのは、俺が置かれている状況を親が知らないからだ。
さいわいと言っていいのか、ご近所さんから職場のみなさんまで両親に対しては普通である。俺のことも巧妙にごまかしているようだ。「よけいにタチが悪い」と言う人もいるかも知れないが、俺は「それでいい」と思っている。
こんな非常事態を親に悟られてはならない。ろくなことにならないのは明々白々だ。ショックを受けるだろうし、まともな人間なら悲しむ。そんなとき、どう言い訳すればいいのか分からない。慰めようも励ましようもない。気の利いた台詞を吐けるほど俺の人生は深くないのだ。
先日も母が「今日、商店街で真部くんを見かけてね〜」と、いい年をして乙女のように頬を赤らめ話していた。
「あなたも幼稚園から中学まで一緒だったんだから、一回くらい家に遊びにこさせる甲斐性もちなさいよ」
とまで言われ、俺は苦笑いしてやり過ごした。
なにも知らない母の小さな幸福と平和を、俺が壊す権利などないはずだ。もちろん、ほかの誰にも。
したがって俺は外へ出る。健全な精神でいるためにも、両親に不審がられないためにも、必要なことなのだ。
とはいえ弁当屋へ向かえば待ちぼうけを食らわされる。「慣れたからいいや」と言いたいところだが、こんなこと慣れるわけがない。ストレスたまりまくりだ。「引きこもらないこと=健全な精神でいられる」のかどうか、はなはだ疑問に思えてきた。
十一時四十分に注文した弁当が渡されたのは、一時半。いいかげん腹がへる。家に帰ってゆっくり茶でも飲みながら、なんてことはしていられない。
そうとも。そんな悠長なことしていられるか。空腹こそ精神の崩壊をまねく。もうガマンの限界だ。
俺は弁当屋を出たところでメシを勢いよくかき込み、胃袋を満たしてから家路についた。
その途中の出来事だった。不幸は、ひょんなことから訪れる。
「夕飯の弁当も今のうち買っとくか」と、まいど待たされることに疲弊していた俺が思い立つのは必然だったのだが、それがいけなかった。
スーパーがある方角へ踵を返したところで、私立校のメンツに出くわした。四人組。春休みのさなかブレザーということは部活帰りだろう。部活帰りということは未だ学生しているわけだから、最強トリオの後輩だ。見た目は可もなく不可もなく、俺といい勝負だ。
「……おまえ、河波斗一だな?」
「そうだけど?」
「聞いたぞ。海地さんたちの心づかいを、ことごとく無視し続けてきたんだって?」
やんわりと睨みつけられた。まずい雰囲気だ。いつぞやの単純明快なヤンキーたちとは異なる悪さだ。ひと言で表せば「陰湿」——
俺は逃げようと思ったが、相手のほうが一枚上のようで、こちらが行動するより先に腕をつかんできた。
「その性根、オレたちが叩き直してやる」
***
俺は、ほうほうの体で家にたどり着き、ベッドの上に身を投げた。
「うっ……」
五分程度だったがボコボコにしばかれた。身体のあちこちが痛い。
今回は佐藤の救いの手もなかった。コンビニ前の一件で完全にキレたのかも知れない。
品性を重んじる連中だから、「自分たちのことで暴力沙汰を起こすのは遠慮してくれ」と、これまで睨みをきかせていたのだろう。しかしアレ以降、解除してしまった可能性は高い。
先行き不安な感じが倍増してしまったな。やっぱり、あそこでは謝り倒すのが正解だったのだろう。しょぼい意地のせいで、うっかり選択を誤った。ゲームオーバー寸前だ。どっかにリセットボタンないかな?
視線をさまよわせ、枕元に置きっぱなしだったケータイに手を伸ばした。桜井からメールが何件か入っていた。
12:01〝片付け完了! 今からメシ食って、ちょっと都内見物する〟
13:30〝渋谷交差点前〟(写メ)
15:03〝なになに? なんで無反応なわけー? スカイツリーとかの写真が良かったかー?〟
15:24〝夏休みに呼んでやるから無視すんなよー!(泣)〟
なんかウンザリした。
「ホント友達いないヤツだなー」
俺はゆっくりとメールを打ち、返信した。
〝悪い。ちょっとボコられてて、それどころじゃなかった。またあとでな〟
送信。
ケータイはまた枕元に放り、俺は眠りに落ちた。
***
……い、痛ってー!
衝撃的な痛みを感じた俺は、震えあがって目を覚ました。
「あ、ゴメン。シミた?」
ピンセットに綿をはさんで持っている桜井が、のほほんと言った。その体勢からして、おそらく消毒してくれていたのだろうが、尋常じゃなくシミる。
なにしてくれてんだ貴様——て、おい。
「桜井?」
眉をしかめる俺に、桜井はニコッと笑いかけた。
「飛行機って速いな」
「ぶっ! おまえ! わざわざ飛行機乗って来たのか!?」
「わざわざってこともない。おまえがヒドイ目にあってるっていうのに、のんきに東京見物してた自分を反省してだな」
「いや、そんなの、おまえに関係ないし」
「友達じゃないか」
「だからって、飛んで来るのはどうかと思うぞ」
「それで?」
「ん?」
「それで、あの三銃士は何をしてたんだ?」
人の意見を無視して唐突だな。
つか、なんだそれ。思わず気づかないふりしそうになったけど、そういう渾名がまかり通ってたりするのか、あの三人。超ハズカシーな。最強トリオってネーミングもどうかと思っていたが、三銃士とはな。もはや日本人ですらない。
そういや、みずからも名乗っていたな。周囲に崇められているだけでは飽き足らず、「我こそは、かの有名な三銃士の一人、佐藤海地である」と自己紹介してたりするんだろうか……
は、恥ずかしすぎる。ギャラが発生する仕事ならともかく、とても冷静な考えの人間がやることじゃない。祭り上げられて血迷ったのか? い、いや、きっとファンサービスだ。ヒドイありさまだが、期待に応えようとした結果だろう。そこには凡人がおよびもしない苦悩があったに違いない。そして彼らは乗り越えた。羞恥心をかなぐり捨て、壁をぶち壊したのだ。スーパースターとしての、ゆるがぬ地位のために——
とか、勝手な想像してみたが、ほぼ間違いないだろうと思えるのが悲しい。努力と勇気は賞賛するが、お近づきにはなりたくないな。
あまりに不憫なのでフォローしてやろう。
「取り巻きだか後輩だか、得体の知れない連中のやったことだ。あいつらの与り知らぬところだろうよ。別に知ったところで、知ったこっちゃないようなことだしな」
すると桜井は、
「そんなわけあるか!」
とピンセットをグッと握って憤慨した。
「職務怠慢だ!」
どんな職務に従事してるんだよ! 意味わからんわ!
「俺のために怒ってくれんのは有り難いけど、もう帰れよ。こんなことくらいで飛行機使うな。金もったいねー」
「そうはいくか。おまえ、自分の立場わかってんのか?」
「わかってる」
スゲエちっさいことで最強トリオの恨みを買った、しがない男だよ。
顔をそむけた俺に、桜井はため息をひとつ、もらした。
「とにかく春休みのあいだだけでも、俺、こっちにいることにする」
「はぁ!?」
なにを言い出すんだと、俺は視線を戻した。すると桜井がジッと俺を見据えていた。
「俺といる時は、こんなことなかっただろ?」
俺は眉をひそめた。
「……そういや、そうかな?」
でもそれ、おまえ効果なのか? 今日ボコられたのは、トリオが規制解除したからじゃないの?
俺が首をかしげていると、桜井は今度、しびれを切らせたように言った。
「こうみえても強いんだよ、俺」
え、自己アピールしたかったのか? そりゃ彼女とかに告ったら、かなり効果的な台詞じゃね? いや、「ケンカ強いんだ」アピールは女子にしてもウザがられるって話も聞いたことある。やっぱ野郎相手のほうがビビらせるためにも効果的か——て、俺ビビらせてどうする。
あ、もしや「親友」アピールか? 友人としての価値を押し出したいのか? 安心しろ、おまえの価値は知っている。今更そんなんいらん。いらんから東京に帰ってくれ。そこにいかなる友情があろうと、ボディガードまでしてもらう義理はないだろう。
「えーと、気持ちだけで結構です」
やんわり断ろうとするあまり丁寧語になってしまった。桜井は眉間を寄せた。
「おまえ、実は俺のこと友達と思ってない? それとも気をつかってる? 本当に平気だって。チンピラの十人や二十人、蹴散らせてみせるって」
や、チンピラじゃねーし。そもそもコイツ、なにしに来たんだっけ?
「そんなに強いなんて初耳だけど。なんかやってたか?」
「剣道も柔道も、有段」
俺は目を見開いた。まさに初耳なことを聞いたからだ。台詞の順番、間違ったじゃねーか。
「稽古とか、いつやってたんだ? 全然、気づかなかったけど」
「早朝と夜」
「ふうん、意外と努力家なんだな。見直した」
少し感心してやると桜井は嬉しそうにして、消毒液を含ませた綿を腕の傷口にあてた。
「ギエーッ!」
***
拷問のような手当が終わり、俺は心身ともに疲れ果て、ベッドに寝そべった。
くっそー、桜井は絶対Sだな。人が痛がってんのを見て笑ってやがった。
その桜井Sは今、救急箱のフタを閉じ、床の上にあぐらをかいた。
「もう少し様子見ようと思っていたけど、これじゃダメだな。やっぱり春休みのあいだとか言ってないで、さっさと帰っちゃおうか」
お? なんか知らんが東京帰る気になったか?
腹ばったままの姿勢で俺が顔を向けると、桜井がニッと笑った。
「連中には悪いけど、この勝負、俺の勝ちだな。そうだろ? トイチ」
……んん? 急にまた、なんの話だろうか。こいつの話はいつも飛ぶな。
俺は表情を険しくした。そこへ、けたたましく階段を駆け上がる複数の足音。俺はびびって身を起こした。しかし桜井は、「大丈夫」と穏やかに笑んだ。
部屋の戸を開けて入って来たのは、なんと最強トリオだ。
佐藤海地、真部李幸、坂本里奈。
う、うおおおおっ、トリオが俺の部屋に〜! なんだなんだ!? つか不法侵入だぞ、君たち。
同じ忠告をしようというのか、スッと立ち上がった桜井が三名と対峙し、冷たい視線を投げかけた。
「おまえらは無能だな。トイチ様をこんな目にあわすなんて」
違った。あさっての方向だ。しかも、なんか敬称つけてるし。ちょっと、異常に恥ずかしくなってきたぞ。超庶民の友達つかまえて「様」はないな。不必要に持ち上げて羞恥心をあおろうという手法か。おまえも羞恥プレイ好きなド変態なのか。あ、すまん、Sだったな。じゃあ羞恥プレイも好きかな?
俺がみるみる赤くなっていくあいだに、佐藤が一歩、進み出た。
「貴様、何者だ。こちらの人間ではないな」
「俺を知らないなんて、無能さに拍車をかけてるな」
「なんだと!」
「俺はトール・ジェイドだ」
最強トリオは顔色を変えた。俺一人だけキョトーンだ。どうやら台本もらってない状態で舞台に放り出されたようだな。よし、仕方ない。木か石の役でもやろう。現実逃避だ。
「トイチ様は俺が連れ帰る」
桜井が言った。最強トリオは拳を握り、腕を震わせ、桜井越しに俺を見つめた。
「エンブレムをプリンスにお渡しになるのですか」
いや、訳わからんよ佐藤くん。急になんだ。エンブレムって車についてるアレか? プリンスって誰? もしかして桜井? ププッ、世間の印象そのままのジョブかよ——て、笑ってる場合じゃねえ! 車なんか持ってないし、王子様の執事でもない。いったい俺になにを望んでるんだ、おまえたち。
はっ! なけなしの貯金、二万五千円をねらっているのか!? あれは携帯ゲーム機を買おうと必死こいて貯めた金だ。誰にも渡さねー!
やや錯乱している俺を置き去りにして、桜井はなお不敵に笑んだ。
「当然だな。こちらでまともにお仕えしたのは俺だけだ。それに引きかえ、おまえたちは害虫同然の働きしかしていない」
どう聞いても、桜井は最強トリオを侮辱している。俺はハラハラしたが、ヘタに仲裁に入っても悪化させかねないので黙っていた。俺は石、もしくは木。
しばし全員が沈黙。
が、それをやぶるように、今度は真部が身を乗り出した。
「所詮、エンブレム欲しさの行動だろう。そんな浅ましい心をエレメンタルブレイカーが見抜いていないはずはない」
すると桜井は肩をすくめて笑った。
「エンブレムなどいらない。俺が欲しいのはエレメンタルブレイカーの力だけだ。けどまあこのままだと、エンブレムも自動的に俺のものになってしまうな」
「くっ……!」
佐藤が歯ぎしりすると、桜井は勝ち誇ったように口の端を上げて笑い、どこからともなく杖を取り出して、かざした。うねうねグネグネした蔦のような形状の木製の杖。それはシューッという音とともに黒い光を集めた。意外に鋭い輝きに、俺は目を細めた。
目を閉じたのは一瞬だ。一秒もなかったと思う。