静かな部屋
その足で屋敷の奥にある小部屋へ立ち寄った。俺と英雄がいないあいだ秘宝石を収めておく場所だ。王都へ帰る前に、久しぶりに見ておこうと思い立ったのだ。
壁も天井も床も妖精の粉を吹く石板が貼られている。フェアリーパウダーストーンと呼ばれる石だ。純白で光沢はない。ヒューマンに持ち出されないための施工だが、偶然にも秘宝石の力を抑えておく効果もあるらしい。完全ではないが、少しでも効果が得られれば御の字だ。
一時は妖精の粉を用いて秘宝石を破壊できないものかと試行錯誤したこともあるが、それは叶えられなかった。力が弱まりはするものの、傷ひとつ付けられない。
もうずっとこんなことを繰り返していくしかないんだろうか。
なかば諦めモードで、俺は部屋から立ち去った。
その直後だった。ドン! と大きな音とともに地響きがしたのは。俺は焦って中庭まで出た。だがここからでは様子がうかがえないので礼拝堂を駆け抜けて外に出てみた。そこで見えたのは、関所のほうから朦々と立ち上る煙だ。フェアリーたちが慌ただしく右往左往している。
茫然としていると、長老がやって来た。
「ヒューマンが襲って来ました。ここは危険です。中へ」
リンドーの残党がカンボーブラスやコウルの者と手を組んで攻めてきたらしい。クレイはすでに前線で戦っているという。長老には悪いが引っ込んでいられない。
俺は関所へ向かって勢いよく駆け出した。
「トイチ様!」
関所前はまさに戦場だった。火が放たれ煙と土埃が立ち込める中、剣や槍を持って応戦するフェアリーと、ドルーバに乗って攻撃して来るヒューマン。怒号と悲鳴が飛び交い、血の匂いが風に舞った。
俺は舌打ちした。数千年の歴史を顧みても、俺がいる時代にヒューマンが暴走したことはない。イチの値の四大元素は病を治すだけの道具ではないからだ。もしそれだけのことだとしたら、精霊界での俺の知名度はここまでじゃなかっただろう。しかしあまりに久しく戦をしていないと、そういった話は埋もれてしまうのかもしれない。
力づくというのは好かないが、しょうがない。俺は火と土を分解し、大量の風を呼んでヒューマンにぶつけた。闘いに使用する場合の精製は割とおおざっぱでいいから楽だ。百グラムほど精製して膨張させれば見た目も威力も千倍になる。治療には決して適さない精製方法であることが残念だ。
精製した赤い霧の突風が吹いたことでドルーバが次々と横転し、ヒューマンは地に叩き付けられた。いったん生んだイチの値の火と土は何かと合成するまで消滅しない。俺の意のままにうねり、ヒューマンの兵をなぎ倒して行く。
イチの値の四大元素の真髄を初めて目の当たりにしたヒューマンは、絶叫しながら後退した。
「エレメンタルブレイカーだ! 引け! 退去しろ!」
「王都にいるんじゃなかったのか!」
「知るか! 実際に目の前にいるんだ! 逃げろ!」
ヒューマンはいっせいに逃げ出した。だが逃がしはしない。ここで甘い顔を見せればまたやって来る。俺は逃げ惑うヒューマンをイチの値の火と土で絡めとった。ヒューマンはクモの巣にかかった羽虫のように囚われ、必死にもがいた。
「た、たすけてくれ!」
「フェアリーを二度と襲わないという保証がなければ、逃すわけにいかない」
近づきながら告げると、ヒューマンたちは震え上がった。
「二度としない! だから助けてくれ!」
「街を襲ったあとに俺の報復を受けるとは思わなかったのか」
「エレメンタルブレイカーもアール・ラ・ジェイドも人がいいから大丈夫だって、けしかけられたんだ!」
「誰に」
「お、王子だ! あと三銃士も!」
唖然。なかなかしつこい奴らだ。そりゃあ記憶を取り戻すまでの俺だったら簡単に逃がしたかもしれないが、今の俺はそんなことしない。ヒューマンの悪事は嫌と言うほど見てきたんだ。たとえ根源に秘宝石の思惑が潜んでいようと、実際に害を成す者は見過ごせない。
「さっきも言ったが保証がなければ逃がさない。しばらくみせしめとして張り付いてろ」
ヒューマンに背を向け関所へ戻ると、フェアリーが手を振って大歓声を上げた。その中からクレイが飛び出て来て、俺の背中を叩いた。
「なにからなにまで、すまねえな」
「いや」
その日は結局、長老宅に泊まることになった。といっても、ここへ着いたのが真夜中だったから、今はすっかり日が昇ってしまっている。真っ昼間に寝るのはどうかと思うが、ドルーバを飛ばしたうえに力も使って疲れているので寝よう。
ベッドにもぐりこむと、すぐに睡魔に襲われた。今日は夢を見ることなく眠れそうだ。
***
久しぶりにぐっすり寝た。まだちょっとダルいので目を閉じたままゴロゴロしているが、そのうち起きる。
そりゃそうと、捕らえたヒューマンをどうするかな。いつまでもあのままというワケにいかないのも確かだ。一人だけ逃がして勧告させるか。フェアリーを襲えば次こそ命はないとか言っておけば、しばらく手を出してこないだろう。降伏すれば全員解放ってことにして……
思案していると、ふいに部屋の戸が開いた。半身を起こしてみると、そこにはティターニヤが立っていた。手に花束を持っている。
「あ、ごめんなさい。起きてらしたの? あの、この部屋、殺風景でしょう? だから……」
飾ってくれるのか。そんなに長居するつもりはないんだが。
思いつつも、彼女がテーブルに置かれた花瓶に花をさしていくのを黙って眺めた。窓からはうららかな日差し。ほんのひとときの平和な一コマだ。いつもこんなふうに過ごせたら、どんなに幸せだろうか。
「ティターニヤ」
俺は無意識に名を呼んでしまった。ティターニヤはふと手を止めた。
「はい?」
「……どうして泣いたの?」
彼女はコクンと息をのんだ。シンと静まり返る室内。俺とティターニヤは身動きもせず見つめ合った。結構長かったと思う。窓の外を吹き抜ける風が耳障りなくらい、音がない。まるでこの空間だけ世界から切り離されたような感覚だ。
花を一輪持って静止する彼女は絵画のように芸術的で、俺に時を忘れさせた。
だが、そのうちティターニヤの瞳は涙で潤んだ。
「私……」
「うん?」
「私、気づいたの」
「なにを?」
「——あなたが好き」
ティターニヤの目から涙がひとつこぼれた。
俺はまた夢を見ているのだろうか。そう錯覚するような光景だった。
「あなたがエレメンタルブレイカーだからじゃないわ。ニセモノだと疑っていた時から好きだったんですもの。信じて」
絶句だ。なんにも言葉が出てこない。昨日のあれ、社交辞令じゃなかったのか?
信じてと言われても、なかなか信じられない気持ちだ。だけど彼女が嘘をついているようには見えない。とてもキラキラと輝いている。淀みないオーラだ。
「俺が好きだって言ったのも勢いだけじゃないよ」
俺はやっとそう返事をしてベッドを離れた。側に寄って肩を引き寄せると、ティターニヤの手から花が落ちた。
腕の中の確かな温もり。まだそれほど情熱的なものじゃないが、じんわりと熱いものが胸をしめつけた。
俺は初めて、恋に落ちたのだ。