俺の責任
さて。八月は八月だろうが、具体的に何日なのか分からなくなってきた。カレンダーはもちろん、テレビも電話もノートも鉛筆もない生活だ。確認ができない。しばらくは頭の中でカウントしていたが、いつしか面倒になってやめてしまった。やめなきゃ良かったと後悔している。自分が何なのかさえも微妙な昨今。今がいつなのかくらい把握してないとマズイだろう。
「カレンダーと油性マジックが欲しい」
スナック菓子とペットボトルの炭酸飲料が詰め込まれたスーパーの袋を受け取りながら、三上に要求した。三上は眉をしかめたが黙ってうなずいた。
こいつもなあ……俺のパシリになってることを疑問に思えばいいんだが。
そんなことを思いつつ袋の中身をあさる。〝うすしお〟かあー。コンソメなかったのかなあ。
「あの、それは本当にお召し上がりになられるんですか」
「え? そりゃそうだろ?」
どういうわけか悲しげに見つめられた。なんなんだろうな。
「……念のため注意しておくが、俺をむやみに神格化しないでくれ」
勘違いかもしれないと思いつつ言ってみると、三上は笑った。当たらずとも遠からずだったんだろうか。それともバカにしたんだろうか。わからん。話題を変えよう。
「今日って何月何日だ?」
「八月三十一日です」
「うおっ! 誕生日か!」
つか、また十九の誕生日? あっちとこっちで同時にバースデイだったのか。しかも俺的には二度目。ううむ。もうどうでもいいな。誕生日とか。
だが、どうでもよくないヤツがいた。三上だ。
「そうなんですか!? ではさっそく祝宴の用意をいたしませんと」
「んなのいいよ。つか、やめてくれ」
「いえ、そういうわけには」
「いや、ガキじゃねえんだから」
「いえいえ、年齢など関係ありませんよ」
「いやいや、関係あるだろ。恥ずかしい」
「いえいえ」
「いやいや」
「いえいえ」
「いやいや」
……なんの譲り合いだコレ。
どうにか誕生会は諦めてもらえた。やれやれだ。
俺は布団に寝転がって目を閉じた。また夢を見るかもしれないと思いながら、睡魔に襲われるがまま眠った。あまりに同じような夢を見るので、いいかげん俺も観念している。
これは記憶だ、と。
***
例の中年男が最近よく出て来る。そして語る。男は俺を「いち様」と呼ぶ。その男にかぎらず現実でも呼ばれるが、夢の中で呼ばれるほうが一層リアルなのだ。
「これで神隠しには遭いますまい」
男は張り巡らせた注連縄を眺めて嬉しそうに言った。俺が突然いなくなってしまうのを神隠しのせいだと思っているようだ。しかしそれは違う。微妙に的が外れている。
俺はうつむいて足下に広がる異世界への入口を見つめた。水たまりのように揺らめき暗く蠢いている。その先で待っている人々のことを考えた。手を差し入れれば必ず届く世界。だが目の前の男には黙っていようと思った。
あっちでの俺の立場を知られるのはマズイと思ったのだ。なぜかは分からないが、そんな気がしていた。もちろん、こっちでの立場を精霊界の人に知られるのも良くないと思う。たぶん。
夢の中の俺は深いため息をついて、おのれの運命を呪うかのように注連縄を睨みつけた。
***
おそらく三上はあのオッサンの子孫だな。
起き抜けにそう思った。どことなく面影があるし、こういうことは代々受け継がれるもんだ。ちょっと的外れなところだって似ている。
その朝。三上が持って来た日めくりカレンダーを見て、俺は半分キレた。
カレンダーとセットで油性マジックを頼むってことは、バッテンつけながら曜日などを確認するためだ。日めくりカレンダーに油性マジックが必要だと思うか? 思わないよな。ここで問題だ。そんなペラッペラな極薄用紙に油性マジックを使うと、どんな結果が待っているでしょう。答え「裏写りしてどうしようもなくなる」だ!
頭の中で猛烈に突っ込みを入れ、俺は日めくりカレンダーをぶんどった。カレンダーはカレンダーだ。妥協しよう。お願いするときにディテールまで説明しなかった俺が悪いんだ。
というわけで続けて油性マジックを差し出された俺は、大きく息を吸った。
こらえろ、俺。こんなことぐらいで業を煮やしていたら先が保たないぞ。
「こちらは黒と赤をご用意いたしましたが、よろしかったでしょうか」
はっはっは。それはもういらないんだよ。二色用意するような気が回るなら、カレンダーの種類も少し考えると良かったな!
しかし渡そうとしてくるので、受け取らざるを得ない。真剣に渡そうとする側と受け取る気もなく受け取ろうとする側。気持ちのズレは表にも現れるものだ。二本の油性マジックは中途半端に指に引っかかり、宙を舞った。
三上は落とすまいとして身を乗り出した。無理をするもんじゃない。畳は意外とスベる。案の定、三上は派手にスベって俺にぶつかった。
「わっ!」
「どわっ!」
***
「痛ってーな! バカ!」
「すす、すみません!」
三上に激突されて俺まで尻もちつくハメになってしまった、ワケだが……
「ん? なんか急に暗いな」
「……あれ? そうですね」
俺と三上は周囲を見回した。薄暗がりに浮かぶのは木箱の山。床は冷たい石畳で壁はセメント打ちっぱなしのような場所。嫌な予感がする。
目を凝らして木箱に書かれている文字を見た。いつかどっかで見たような意味不明な文字。
やばい。トリップした。三上を道連れにして精霊界に飛んだ。しかもどこだか分からない倉庫の中。
「どこなんでしょうか、ここ」
三上の不安そうな声が響いた。俺は急に申し訳なくなって、その肩を叩いた。ワケも分からず一瞬で見知らぬ場所に放り出される気持ちは誰より理解できるつもりだ。以前カルテットが俺にしたことを、俺がしてどうする。
「すまん。俺のせいだ」
「え?」
「気を落ち着けてよく聞け。ここは精霊界と呼ばれる世界だ」
「……は?」
三上が絶句しているのは暗がりでも分かる。本当に悪いことをしてしまった。カレンダーごときでブチ切れてはいけない。俺がちゃんと油性マジックを受け取っていれば、こんなことにならなかったのだ。異世界移動能力については自覚していたくせに注意が足りなかった。
しかし約束しよう。俺はカルテットのようにオマエを置き去りにはしない。
「地球へは責任を持って還す。つっても意図的にはできないから保証はないけどな」
「え、ええっ!?」
「とにかくここから出よう」
「は、はい」
俺と三上はドアを見つけて倉庫を脱した。出たところも薄暗く、長い廊下が続いている。本当にどこだか見当もつかない。端まで歩いて行くしかないだろう。
で、五十メートルくらい歩いた。ムダに長い廊下だ。精霊界の人間は建物にムダを施すのが好きらしい。さておき、鉄製の引き戸に突き当たった。でかくて重そうなので三上と力を合わせ、ゆっくり開けた。十センチくらい。そのくらいしか開けなかったのは、隙間から鈍い灯りとともに怒号や破壊音が漏れたからだ。
うおーい! ここってホントにどこなんだ!?
俺は用心しつつ向こう側をのぞき見た。
「なにか見えますか?」
三上の質問に、俺はうなずいた。
「抗争中らしい」
「ええっ!」
「治まるまで待ったほうがいいかなあ」
「そ、そうですね」
意見が一致したところで、俺たちは扉の影に身を潜めた。それにしても物騒なところに飛んだな。今までで一番厄介な場所だ。ま、あの真っただ中に飛ばなかっただけマシか。
「ここは、初めてではないんですか? つまり精霊界というところは」
ただジッとしているのは息が詰まるのだろう。三上はヒソヒソ声で話しかけてきた。俺もつられて小声で答えた。
「まあな。これで三度目。前世……とかでも来てたんだろうが、そんなことまで覚えてない」
「神隠しではなかったんですね」
言い伝えとの違いに気づいたらしい。俺は一瞬ヤバイと思ったが、焦る心を押し殺してうなずいた。
「そう。だから結界とか意味ねえから。俺が窮屈なだけだ」
「どうしてもっと早くにおっしゃってくれなかったんですか?」
「え? いやそれは、だからその」
急に歯切れを悪くした俺を見て、三上は渋い顔をした。俺は目をそらす以外、応えようがなかった。理由なんて分からないんだ。ただ言ってはいけない気がしていた。それだけのことだ。
「はあ……。抗争、早く終わんねえかなあ」
三上は何か言いたげだったが、そこはあえて突っ込まず、
「そうですね」
と同意するだけにとどまった。