落とし穴
八月三日。
外への警戒がまだ解けやらない本日。やることはひとつだ。妖精の粉による実験。まあ、たいしたことじゃない。地球人の皆様に妖精の粉を触ってもらおうという実験だ。被験者は三人。父、母、 沢垣先輩。
沢垣先輩は謝罪も兼ねて家へ呼び出した。本来なら俺から出向かねばならないところだが、カルテットに鉢合わせると面倒なので勘弁してもらいたい。さいわい先輩は怒っていなかった。むしろ喜んでいた。俺の代わりに里奈が行ったからだ。
で、実験結果がどうだったかというと、予想どおり誰の手にもつかなかった。つまり妖精の粉は地球人の欲や悪意には反応しないのだ。理由は分からないが、たぶん世界が違うと作用が変わるのだろう。だから妖精の粉がつかないということだけでは俺がエレメンタルブレイカーだという証拠にはならない。やった!
ただこうなると別の疑惑が持ち上がる。「そもそもエレメンタルブレイカーが地球人だったのではないか」という疑惑だ。どんな偉いヤツだったか知らないが、まったく欲がないとは信じられない。
以上のことから、俺がそれかどうかという可能性は五分五分になった。……いや、エンブレムをアルに渡しちゃった件を足すと七分三分か。
***
八月四日。
さすがにもうカルテットはうろついていないだろうが、用心に越したことはない。あたりを警戒しながらコッソリ家を出て、市役所で戸籍謄本を取り直し即帰宅した。住所の細かいところがうろ覚えだったからだ。
***
八月五日。
俺はリュックを背負って明け方前に駅へ行き、ATMから預金を下ろし、電車に乗った。
出生地へ行ったからといって何が分かるワケでもないだろうが、きっと悪くない。生まれた場所を記憶していれば、これからの糧になることもあるだろう。たぶん。
電車での一人旅を満喫しながら、特急から各駅へと乗り継いで約六時間。
到着したのは無人駅だ。駅から出ると車一台やっと通るくらいの道路が横たわっている。どこを見渡しても民家はなく、田んぼばかりが広がっている。とんでもないド田舎だ。
「くは〜。スゲエな。こんなところで生まれたのか俺」
しばらく茫然と眺めた。緑が眩しい田園と山々。正午の太陽は厳しく照りつけているが、アスファルトの照り返しがないぶん過ごしやすい。
俺は駅前のバス停で時刻表をのぞいた。三時間に一本ペースだ。次のバスは一時。しばらく待つことになる。
ただ待つだけに一時間はもったいないな。どうせ一本道だ。道なりに歩けばまたバス停があるだろう。運賃を節約するためにも歩こうか。最近歩いてばかりなので、ずいぶん鍛えられている。少々なことでは疲れない。
***
こうして歩くこと四十分。その先は道が分かれていた。舗装された道と舗装されていない道だ。次のバス停は当然、舗装道路側にあるだろう。しかし土の道も車が通れる幅なのは怪しい。轍もある。
この場合はアレだよな。神様の言う通り。
「どーちーらーにぃしーよーおーかーな」
だが二者択一でこの方法だと、左右のどちらから開始するかで結果が決まる。あまりよろしくない。指が差したのは土の道だ。
「うーん、そうだ! コインを投げよう。裏が出たら舗装道路」
というわけで百円を投げてみた。表。
「うーん、そうだ! 木の棒を探して倒してみよう。倒れた方向に進む!」
というわけで棒を探して倒してみた。土の道。
「ふっ」
俺は不敵に笑って舗装道路を進んだ。こういう場合は自分の気持ちに従うべきだ。
で、行き止まり。神様は正しかった。所詮、俺の勘なんてこんなもんだよ。
腕時計をのぞくと一時二十三分。たぶんバスは次のバス停を過ぎてしまった頃だろう。あーあ。
しょうがないので、その場に座ってしばし休憩した。リュックからペットボトルのお茶を取り出し、バー状の栄養補助食品をかじる。ウマイが歯に詰まるのは難点だ。お茶なしでは絶対に食えない。
それにしても誰にも会わないな。もし出逢ったら、ぜひ問いたいことがあるというのに。「なぜ行き止まりになるほうを舗装した。善良な旅人を惑わすなんて趣味が悪いぞ」と。
十五分ほど休憩して栄養補給した後は、もと来た道を引き返した。そして分岐点。神様と百円と木の棒、疑って申し訳ありませんでした。今度こそ土の道を進みます。
で、進んで行ったのだが……行けども行けどもバス停は見当たらず、道がだんだん細くなっていった。さあ、いまこそ本当に原点へ戻ろう。駅前のバス停。俺はバス停に向かって左に進んだ。きっとそこから間違っていた。あそこは右だったんだろう。ショック。
クヨクヨしても始まらないので引き返そう。九十分ほどの道のりだ。どうってことはない。
そこで振り向くと、行きがけには気づかなかった分かれ道があった。こちら側から見ないと気づかないようなV字の分かれ道だ。……つか、似たような幅だな。俺どっちから来たっけ。
そんなに方向音痴ではない俺だが、あまりに微妙な分岐点なので迷いに迷った。そして右を選んだ。ここでも選択を間違えたことなど人様には言えない。どんだけ間違えればいいんだよ。
間違えた道は突き当たりに階段があった。何十段もありそうな石の階段だ。いっそ上ってみて高い所から全体を見渡してみようか。ちょっと好奇心もある。
上ってみると朽ちた鳥居があった。鳥居をくぐると境内で、古い殿舎がある。なんとなく背筋が寒い。周りも雑木に囲まれていて、下を見渡せるような環境ではない。長居は無用だ。
俺は階段を駆け下りた。そして分岐点を左へ。やがて最初の分かれ道を過ぎ、田んぼに挟まれた舗装道路を突き進んだ。夕焼けの空。セピア色の風景。日が暮れるまでには駅へ辿り着きたい。
心持ち早足で歩いていた。もう一キロほどいけば駅だろう。そう思った時だった。ライトをつけた白い乗用車が現れた。ここへ来て初めての人。車は目の前で停まった。
ちょうどいい。道は地元民に聞くのが一番だ。
なんて気楽なことを考えていたら、中からスーツ姿の男が三人降りた。彼らは有無を言わせない勢いで俺を取り囲み、羽交い締めにして両側の頸動脈を押さえてきた。
「うっ」
こ、これはっ。もしかしなくても誘拐……い、家はビンボーです。預金総額百万あるのか怪しいですが、それでもアナタは俺を誘拐しますか?
どうでもいい問いを頭の中で巡らせているあいだに俺は意識を失った。
***
目覚めると、そこは古びた殿舎の中だった。四方の柱には紙垂つきの注連縄が張り巡らされている。
俺は外へ出ようと慌てて縄をくぐろうとしたが、何かに阻まれて出られなかった。信じられないがハッキリと感じる——見えない壁を。
「なんだこれ」
額に冷や汗をかいて茫然としていると、殿舎の入口が開いた。入って来たのは神主姿の男。二十代なかばの様子で若い。背は俺より少し低い感じで、女受けしそうなジャ○○ズ系だ。男は不吉な笑みを浮かべた。
「驚きましたね。言い伝えは本当だったんですか。こんな縄を張っただけのところを出入りできないなんて」
「お、おい。これいったいなんなんだ?」
「結界です」
男は答えると、おもむろに正座して俺を見据えた。そしてゆっくりと頭を下げた。
「お待ち致しておりました。いち様」
うやうやしくする割に、この扱い。明らかに閉じ込められてるよな、俺。なんなんだコイツ。
少し視線を上げると、頭を下げる男の向こうに開け放した戸が見えた。夏の眩しい日差しが入り込んでいる。俺は意識を失った後、半日ほど寝たらしい。
ほんの数メートルだ。あの陽の差すところまで。だが俺は行けない。青空が見えているのに抜け出せない落とし穴にはまったような奇妙な感覚だ。
俺は恐る恐る男に尋ねた。
「い、いち様って?」
男は顔を上げた。
「あなた様のことですが」
「人違いでしょ」
「まさか」
男は苦笑した。なんかムカつく野郎だ。
「なんの根拠があってそういうことに?」
「この場所に導かれたことも、結界から出られないことも、すべてそうであるということの証明です。いち様がいてくだされば我が三上家も安泰。今度こそ逃しはしません」
「はあ!?」
「足元をご覧下さい」
唐突に言われて足元を見た。あんなに古かった畳が真新しくなっている。
いつのまに張り替えたんだ?
首をかしげつつ全体を見ると、柱も梁も格子も襖もすべて新しい。頭の中が混乱した。目覚めた時は確かに古かったのだ。何が起こったのかサッパリわからない。
「私もこのような奇跡を見るのは初めてです」
そう言って殿舎内を眺め、最後にまた俺を見据えた男は、感慨深い表情で目を潤ませた。