春休みは危険の幕開け その弐
あれは中学二年の秋。秋と言えば文化祭。体育祭もあるが、俺は文化祭にこだわりたい。なぜなら体育祭はなんの選手にも選ばれないので、不参加同然だからだ。
母校の文化祭はクジ引きで係が決まる。クラスの出し物に参加するか、実行委員にまわるかだ。もちろん楽なのはクラスの出し物なのだが、俺はクジ運がないので、あっさり実行委員になった。でもまあいい。実行委員といえばバリバリ参加した感がある。たとえどんなにわずらわしい役目だろうと、実行委員の腕章をつけているだけで人に頼りにされるわけだから。……ただのパシリだという不届き者もいるが、そんなのは無視だ。
各クラスから二名ずつ選出された実行委員は一度、生徒会室に集まる。生徒会長? それはもちろん真部李幸だ。副会長は佐藤海地。生徒会委員の一人には坂本里奈もいる。常につるんでいるというか、自然に寄り固まる三人なのだ。
〝この三人を間近に眺められるだけでも実行委員になった甲斐があった〟と考えたのは俺だけではない。ほかの実行委員も目を輝かせて、三人を順に食い入るように見つめている。特に男は里奈を、女は真部と佐藤を。
「君たちが今年の実行委員だね。裏方で大変だけど僕も全力でサポートするから、がんばってね」
全力でサポートとは謙虚な発言。サポートは実行委員のはずなのに、生徒会長殿は自分のほうがアシスタントだとおっしゃるか。いやあ、中身もよくできておりますな。
などと、俺がひとしきり感心していると、
「じゃあ、実行委員の名簿を作るから」
真部は机に向かってノートパソコンを開き、実行委員の顔を見ながら名前を打ち込み始めた。彼が生徒会長たるゆえんはこれだ。数百人いる全校生徒の顔と名前を一致させて覚えているのだ。
どういう脳ミソしてるんだろうな? 記憶力が脆弱な俺にはわからん。
ともかくも、名前をインプットされる前の者はドキドキしながら画面を見つめ、名前が打ち込まれると頬を紅潮させて顔をほころばせた。
どうしてそんな反応をするのかって? むろん理由はある。
彼ら三名のいずれかに顔と名前を覚えてもらうことが、わが街のステータスだからだ。念を押しておくが校内ではない。「街」レベルでのステータスだ。覚えてもらうだけでレベル一から五十に上がってしまうくらいの威力がある。
彼らはスターだ。市長よりも偉く、芸能人よりも輝いている。存在自体が街の誇り。生まれただけで名誉市民。嘘のようで本当の話だ。
そんなわけで俺もドキドキして待っていた。ところがだ。真部は俺の顔を見るなり、眉間を寄せて手を止めた。
「……えっと、ごめん。君、名前なんて言うんだっけ?」
一瞬、室内が凍った。全校生徒の顔と名前を暗記しているはずの彼が、記憶していないなんてことは珍しい。佐藤も里奈も目を丸めている。だが彼らも、こっそり耳打ちできる情報を持ち合わせていなかった。つまり、あとの二人も俺を知らなかったのだ。
俺は羞恥に顔を真っ赤にしながら、少し押し殺した声で、
「河波斗一です」
と答えた。
ちなみに、このあとに続く実行委員の名前はつまずくことなくインプットされた。そう、校内でゆいいつ、俺だけが覚えてもらえていなかったのだ。よってレベルは一のままだ。
「まあ、最初はこんなもんだろう」と俺は自身を励ました。
一度顔を合わせて自己紹介したんだから、これからは大丈夫だ。……いや、待てよ。俺っち、あの三人とは幼稚園から一緒だぞ? 小学校では何度もクラスが一緒だった。それで覚えてねーって、なに? 実は覚えてるけど覚えてないふり? 究極の嫌がらせなのか? 俺、なにか嫌われるようなことしたか?
もんもんと記憶をめぐらすが、思い当たる節がない。
否。えてして、したほうは覚えてないもんだ。きっとなにかしたんだろう。しかしこれで許されるはずだ。なかなかにシビアな仕返しを受けたからな。
だがそれ以降も、真部、佐藤、里奈の三名は俺を見るたび小首をかしげ、「誰だっけ?」と尋ねた。こんな執拗な嫌がらせを、さわやかで親切と評判の連中にされるとは思ってもみないことだった。だから俺もヤツらを見かけるたびに、顔を合わせないよう姿をくらました。会いさえしなければ嫌がらせを受けることもない。
とはいえ、この一件があって以来、俺は中学を卒業するまで全校生徒からシカトされた。別にヤツらに会わなくても間接的に嫌がらせがあったわけだ。しかし、こんなのは一過性のものだと気にしなかった。小中学生時代に一緒だった連中のほとんどは、社会に出るとまったく縁のない赤の他人となる。職場が一緒になることも希有だろう。そんな人間のことなんて気にしてもアホらしいじゃないか。
それでも苦痛だった約一年半を終え、高校へ進学した。が、人の噂は謙虚さのカケラもなく広まるもので……。所詮、市内にあるいくつかの中学から寄り集まった生徒らで構成される高校だ。俺が嫌われているらしいという噂は他校にもとどろいており、相当数の初対面人に無視された。最強トリオは有名な私立校で、俺は公立校。せめて学校が違うのだけは良かったが、このあとの三年間も地獄だろうと思うと気がめいった。
文句でも言いにいくか? いや、そんなことしたら取り巻きにボッコボコだ。いまのところシカト以外の嫌がらせは受けてないんだから、おとなしくしていよう。
そんな俺に声をかけてきたのが桜井だった。
「弁当、一緒に食わないか? 女子に囲まれて良ければ」
「はい?」
最後のほう、もう一回言ってもらえませんかねー。
「弁当、一緒にどう? 俺、男一人ってツライんだよな。助けると思って一緒してくれよ」
桜井は親指立てて、自分の肩越しにある集団を差した。先には十名近くの女子が机を固めて囲い、こちらの様子をうかがっている。
「あそこで食べるのか?」
「うん、そう」
「なんでハーレム?」
「さあ? なんか俺と一緒に食べたいんだって」
「食べてやりゃいいじゃん」
「だから、もう一人くらい犠牲者が欲しいわけ」
「え? 犠牲者なのか? どうみても極楽浄土にしか見えねーぞ、あそこ」
「じゃあ、一緒に食おうぜ?」
「でも俺、最強トリオにどっかで恨みを買ってる男だぞ?」
「最強トリオ?」
「知らないのか? 真部、佐藤、里奈」
「知らない」
「なにっ!? おまえっ、この街の人間じゃねーな」
「ああ、県外から来たんだ。父親の仕事の都合で」
なるほど。
「んじゃ、今日は一緒に食ってやるけど、その後の身のふり方は考えたほうがいいぜ?」
一応、忠告だけはしておく。
「どうして?」
「この街じゃ、あの三人に睨まれたら最後、犬以下の扱い受けるからだ」
桜井は眉をひそめて苦笑した。
「ええ? そんなバカな話があるか? どんな権力者だよ。ヤクザ?」
「見目麗しい三人組。品行方正、頭脳明晰、弱者に優しく、強者も頭をたれるようなオーラを放ちまくってる。まるで神か天使のような存在だ」
「ハハッ、まっさかー?」
「ホントだって。実物見たら、よくわかる」
放課後、俺は半信半疑の桜井をともなって、連中の通う学校近くに身をひそめた。そして連中が門をくぐって出てくると、指し示した。
「あ、あいつらだ」
桜井はジッと観察しておいて、俺に向いた。
「なにをして睨まれてるって?」
「だーかーら、心当たりないんだって。とにかく俺のこと知らないの一点張りだ。幼稚園から一緒だぞ? ありえねーだろ、いくら俺が影薄いったって」
「……逆なんじゃないのか?」
「は?」
「いや、こっちのこと。それより、やっぱり俺には関係ないな。そもそも、この街の人間じゃないし。そんなルールにしたがう必要ない」
そう言って桜井は手を差し出した。
「これからもヨロシク」
俺は目を見開いて、恐る恐る手を握った。「郷に入っては郷に従え」という言葉を知らんのか、そのうち身にしみる日が来るぞ、と思いつつ。