アール・ラ・ジェイド
ヒューマン領土の関所。
そこへ辿り着くまでの道のりは厳しかった。細い川を見つけたのが一回。ほとんど水たまりの池も一回。草の実は腹を満たすのにほど遠く、ときおり固まってあった林の木は葉っぱしかつけていない。フェアリー自治区は本当に豊かじゃないと実感してしまった。
喉が渇いた。腹も減った。今度こそ死ぬ。
俺はそう思いながら空を見上げた。曇り空。雨が降ってくれることを祈っている。そうすれば渇きだけは癒える。
こんな状態で生命維持のための水分補給をどうやっていたのかというと、草や葉っぱをガムのように噛み続けることで凌いだ。苦かったり渋かったり。非常につらい。だが水分を含むものがほかにないので仕方なかった。しかし手当たり次第に摘んで噛んでいるうちに甘いのを発見した。五日目の奇跡だった。
で、今はそればっかり噛んでいる。ただ、どこにでも生えているわけじゃないので見つけ次第すべていただくよう心がけている。本日は豊作だ。
俺は顔に巻いていた布を風呂敷代わりにしてストックしはじめた。一心不乱に採取しながらも、時々は石の裏もめくってみる。昆虫や爬虫類がいたら、そいつも捕まえたいからだ。もちろん食うつもりである。気分はすっかりレンジャー部隊。大丈夫か俺。
「そこのフェアリー! なにをしている!」
急に声をかけられて、俺はドキッとして立ち上がった。保安官なのかと思った。が、振り向いた時に違うと確信した。ドルーバに股がったソイツは真っ黒い髪と瞳のイケメン……なのに顔のあちこちピアスだらけだ。
両耳は新たにつける隙もないほどだし、左眉尻に三つ、鼻にひとつ、下唇にふたつ。すべて銀色で丸い鋲のようなピアスだ。直径は三ミリ程度だろうか。統一しているところを見るとオシャレにこだわりありと見た。年は二十二〜三歳くらい。なんにせよ、こんな保安官はさすがにいないだろう。
男は振り向いた俺をまじまじと眺め眉をひそめた。
「なんだヒューマンか——て、おまえみたいな近親者いたかな? いや真っ黒じゃないな。やっぱりただのヒューマンか。まぎらわしいな」
そんなことを呟いた男はドルーバから降りて寄って来た。
「首都に入りたいのか? この辺は初めてか?」
「え? あ、はい。そうです」
「ふーん。ここはもう国境だ。一キロも行けば関所がある」
男に後光を見た、気がした。やったー! ついに到達!
「マントをつけているところを見ると、フェアリー自治区を通って来たのか。ご苦労なことだな。だがもうそれは外せ」
「あ、はい」
「それより、本当に何してたんだ?」
「草むしってました」
「……なんで?」
追及するのか。まあいいや。俺は採取したての草を差し出した。
「噛みますか? 甘くて結構おいしいですよ」
「え……いや、遠慮しとく」
男はヤバイものでも見たように頬を引きつらせながら視線をそらせた。その斜め角度の顔が誰かに似ていた。——うん、似ている。桜井に。
これはあまり関わらないほうがいいかな。
「あの、俺、先を急ぎたいので」
採取した食料=雑草を丁寧に包み、端を結んで肩へ斜めにかけた。男はしばらく唖然として見ていたが、俺がそそくさと関所を目指して歩き始めると、なんとなくついて来た。
……な、なんでついてくんだ? いや、行く方向が同じだけだよな。コイツも関所に向かう途中だっただけだよな。
だが相手はドルーバに乗っている。行くなら俺を追い越してとっとと行けばいいのに歩調を合わせて少し後ろをのろのろ進んでいるなんて、怪しいだろ。これは絶対ついて来てるって! ギャー! たすけてー! おいはぎだー!
ま、それは冗談として。「財産が雑草」の人間から何を奪うというのだ。関所へ着くと男は門番に言った。
「俺の連れだ」
そして何かの書類を提示した。門番が頭を下げると男は少し顧みて、
「来い」
と声をかけてくれた。ヒューマン領土の関所は通行書がないと通れないらしい。男は俺が持ってないことを察して何も言わず助けてくれたのだった。
***
街へ入ると、あまりの都会っぷりに目が回った。ぱっと見はロンドンの観光スポットが一番近い。美しく広い道路。そびえ立つ建造物。風にそよぐ街路樹。デッカイ噴水。行き交う多くの人々。フェアリー自治区の首都とおぼしき長老宅があるあの街など比ではない。だが俺はあの街が良かった。
「これをやろう」
男は唐突に言い、俺にカードを一枚くれた。紋章のような印が押してある。
「そのマークが記されている店や宿はすべて無料だ。ただし有効期限は一ヶ月。切れる前に自立することだ。成功するか否かは己の実力次第」
「え?」
俺がポカンとすると、男はニッと笑った。
「ようこそ、我らが王都へ。それは夢を叶えるための最初の切符だ。誰にでも平等に与えられる。大事にしろ」
ああ、アメリカンドリームならぬ王都ドリームを掴みに来た田舎者だと思われてんのか。堂々として優雅かつ自慢げに語ってくれたところ申し訳ないが、俺はただの放浪者だ。夢は地球への帰還。そこだけ言えばちょっと宇宙飛行士みたいだが、そんなカッコイイもんじゃない。
しかし、なるほどなあ。〝ヒューマン領土は豊か〟という言葉がこのカード一枚にも象徴されてるってわけだ。より良い職と生活を求めて王都を訪れる人の数がどれだけか知らないが、一人一ヶ月とはいえ、そのすべてを面倒見るとなると莫大な予算が必要だろう。それを捻出できるということは石油産出国並みの財力を持っていると考えていいんだろうな、きっと。
こちらでの桜井の生活ぶりが窺い知れる。腹立つな。王位継承権なんか剥奪されてしまえ。
「ありがとうございます。大事にします」
胸中の怒りは押し殺し、俺は無難な返答をして男の脇を通り過ぎようとした。が、腕をつかまれた。
「おっと、名前くらい言っておかないか。それが礼儀というものだろう」
「ああ、それもそうでした。すみません。俺、カワナミと言います」
「そうか。俺はアール・ラ・ジェイドだ。アルでいい」
「ジェイド? どっかで聞いた名前だなあ」
独り言のつもりで言うと、アルは笑った。
「それはそうだろう。俺は王族だ。こうみえても王弟の嫡男だ」
おうていのちゃくなん。漢字変換すると「王弟の嫡男」でいいのか? 平たく言うと「王様の弟の息子」だよな。……待て。つーことは桜井の従兄?
俺は目を丸めつつアルを見た。
どうりで似てるわけだ。さっきはカッコイイと思ったけど、あんまり中身期待できなくなってきたな。ずらかろう。これ以上親しくならないために、とっとと別れよう。
「ホントにお世話になりました。これから自力でがんばりますのでお達者で。さようなら」
俺は不自然なくらい早口に言って腕を抜こうとしたが、アルが力を入れたので抜けなかった。
「横柄なヤツだな。地方はどうだか知らないが、王都ではみな礼節を重んじてもらいたい。それとも王族の者とは言葉を交わすのが心苦しいくらい悪行を重ねてきたのか? ヒューマンのくせにドルーバにも乗らず、わざわざフェアリー自治区を通って来るなんて怪しすぎる」
どわー! 疑われてる! 犯罪者だと思われてたのか!?
「正直に言えば二週間程度の拘留で許してやってもいいぞ? おまえ逃亡犯かなにかだろ」
拘留! それって逮捕!? マズイ。どうしよう。ていうか二週間も拘留されたらカードの使えんの半月じゃん。いや、そんなこと問題にするな。次元低いな俺。そもそもこのカードの話だって本当かどうか。
俺が青くなっていくあいだアルは疑いを深めたようで、さらに問い詰めにかかった。
「最近、王宮からイチの値の四大元素が盗まれた。たったの一グラムだが、その一グラムがどれほど貴重か知らないわけじゃないだろう。もしオマエがそれに関与しているのであれば、拘留だけではすまされないぞ」
「え〜!? そんなの知りません! 俺ここに来たの初めてだしっ。ちなみにドルーバに乗ってなかったのは貧乏だからで、フェアリー自治区を通って来たのはマジで道知らなかっただけです!」
「そんな作り話が通用すると思っているのか」
***
アルは有無を言わせず俺をしょっぴいて行った。今、留置所にいる。が、ベッドを見て俺は喜んだ。約八日間に渡る野宿生活が応えていたせいだが、事情を知らない看守は眉間にしわ寄せた。
「変なヤツだな。ブタ箱を見て喜ぶなんて」
「ワハハ」
笑ってごまかせ。
「しかし覚えておくといい。この王都アール・ラ・ジェイドで悪事を働けば、並大抵の努力では人権を取り戻せない。罪人でないと言うなら明日の取り調べでしっかり無実を証明するんだ。いいな」
「王都……アール・ラ・ジェイド?」
「そうとも。歴史を重ねるごとにエレメンタルブレイカーの威信によってヒューマンの意識は向上していったが、とても長い時間がかかっている。それをアル様は短期間で飛躍的に向上させる改革を起こされ、ご成功なされた。王都は彼の功績を称えて街の名を彼の名に改めたのだ」
「うおっ、スゲッ!」
素直な反応に気を良くしたらしい看守は笑った。
「アル様は我らの誇り。エレメンタルブレイカーの次に尊敬できる憧れの人だ。おまえも認められる人間になるよう心を改めろ」
ここで俺は疑問符が浮かんだ。とっても素朴な疑問だと思う。
「え? ちょっと待てよ。じゃあなんで彼が勇者じゃないんだ?」
すると看守はとたんに厳しい顔をした。
「それは禁句だ。二度と口にしてはいけない」
あーそーですか。
よく分からないことだらけだが、まあいい。質素だが食事も出た。状況がいいとは言えないながらも幸せだ。久しぶりのベッドと食事。人間に戻れた気分だ。さらばレンジャー。
明日は取り調べがあるらしいが、とりあえず考えないで寝よう。壁と屋根のある文化的な暮らしが懐かしいから満喫したい。明日の朝ご飯が楽しみだ。