カルテット・リターンズ
ティターニヤが告げたように、長老は勇者ことカルテットをともない翌々日に戻ってきた。その間の二日。俺は何をやっていたのかというと、一日の大半を中庭でボーッと過ごしていた。
部屋にいても落ち着かないし、街へ出ればフェアリーに囲まれる。クレイは保安官としての任務があるので夜遅くまで帰らないし、ティターニヤは部屋から出る気配もない。誰かと接触があるとしたら、俺の食事を配給してくれる家政婦のおばさんだけだ。中庭で過ごす以外、俺にできることはない。
さいわい中庭は広い。適当に東屋もある。木々が生い茂っているから涼しいし、木漏れ日は美しい。無心になってリラックスするのもいいだろう。いろいろありすぎて疲れている。身も心も。
俺は芝生を見つけて寝転がった。最近よく眠れる。元々いつでもどこでも寝られるタチだが、特に昨日今日は昼夜のべつまくなし寝ている気がする。カボチャ畑での慣れない作業とドルーバに股がっての旅が応えているんだろうか。
暇だと時間は経たないものだが、睡眠時間が多いせいか二日経つのは早く感じられた。そして俺は、長老を出迎えるため早起きしてエントランスの階段にいる。必然的にカルテットも出迎えることになるが、多少の難は目をつぶろう。長老にはいろいろ相談に乗ってもらいたいので印象を良くしておきたいのだ。
それにしても眠い。立っているのがダルイ。前回のことがあるので迷ったが階段に座った。
ふわあー。早く帰ってこねーかなあー、長老だけー。
「トイチ!」
聞き慣れた声が突然降ってきた。「んあ?」と顔を上げると桜井がいた。でもって礼拝堂前は人だかりである。俺は驚いて身を引いた。
「うおっ、やべっ。寝てた!」
街の住人のいい見せ物になっていたことは間違いない。座ったまま熟睡するのは危険だ。
「礼拝堂の階段でおねんねとは余裕だな」
「うるせーな。最近やたら眠いんだよ」
俺は階段に手をついて立ち上がった。すると桜井が透かさず俺の腕をつかみ、手の平を見た。
「驚いた。本当につかないんだな、粉」
俺は苦笑した。
「つくほうがオカシイんじゃね?」
桜井の手を振り払いながら、なんか腹立ってウッカリ精霊界の常識全否定してしまった俺だけど、ふと長老の顔が見えて申し訳なくなった。しかし長老は気を害したふうもなく微笑んだ。
「崇高な心というものは、そう簡単に得られるものではありません。しかし、ごもっとも。妖精の粉を身につけないことが常識となることこそ理想です」
うう、やっぱ違うな。本当に偉い人は態度も発言も立派だ。
聞くところによると、妖精の粉は身体や衣服につくというより人の欲や傲慢さや悪意に付着するものらしい。長老の言葉はそういうことから出たわけだが……釈然としない。俺だって欲まみれだ。卑屈で低俗さに磨きがかかってるし、少しは悪意があるだろう。現にカルテットへの嫌悪がある。俺と関わった人に不利益が生じることは避けたいと願ったばかりだが、カルテットだけは大いに不利益こうむれと思う。それは悪意じゃないのか?
俺が眉をしかめていると、金髪碧眼の佐藤海地が一歩踏み出てきた。
「ご無事でなりよりです。トイチ様」
それにならうように銀髪紫眼の真部李幸と茶髪緑眼の坂本里奈も前へ出た。
「急に姿を消してしまわれて、心配しました」
「おまえらに心配されるいわれはない」
俺はいつものように反応したつもりだが——失敗したかもしれない。
素っ気ない台詞にカルテットが硬直することは予想していたが、長老やその他もろもろのフェアリーたちまで固まったからだ。いつかどっかで見たような深閑とした光景。
お、おーい。どーした? そんな奇異なこと言ったかなあ?
いやーな汗をかきはじめていると、長老が厳かに寄ってきた。
「恐れながらトイチ様、彼らは勇者です。英雄としてのオーラも充分ですし、立場的にトイチ様を案じられるのは当然のこと。なにゆえそのような」
勇者、英雄、それが一番わからないんだよなー。なんでコイツらが? とりあえず謝っとくか。長老コエーし。
「すみません。この世界がどういう基準で勇者を選んでるのか、はなはだ疑問ではありますが、奇異に思われたのなら謝ります」
間にチクッと嫌味を言ったことは見逃してくれ。言わずにいられないんだ。コイツらが勇者だなんてちゃんちゃらおかしくて、はらわた煮えくり返るんだよ。
しかし嫌味は見逃されなかった。カルテットは顔を真っ赤にしながら屈辱に震え、長老は厳しい顔をした。
「慎重に——フェアリーでも名のある者が厳重に選び出しました。それは五百年以上も前のことですが、彼らは確かな基準のもとに選ばれ現世に転生したのです。どこがお気に召しませんか?」
うわっ、マズイ! そーなの? ひょっとしてフェアリー敵に回しちゃった?
長老に真っ正面から見据えられ、俺はヒッと息をのんだ。背は俺より高いんだが階段二段下にいるため見上げる形になっている。その上目遣いが怖さに拍車をかけていた。
こ、こえー! 心臓がドキドキしてきた。胃もムカつくし、頭もクラクラする。あれ? もしかしてこれが妖精の粉の影響なんじゃねえの?
俺は軽く額を押さえ、まぶたを閉じて再び開いた。すると、とたんに頭の中がスッキリした。気分も悪くない。
お? なんだったんだ今の。
不思議に思いながら、あたりを見た。みんなシンとしている。つか……長老が片膝ついてる! え? どうした? さっきまでピリピリしてたのに、いつのまに溜飲下げたんだ? ていうか俺——なにしてんだっけ? あ、そうそう。長老のお迎えに出てきたんだった。居眠りしたけど。
俺が頭をポリポリかいてると、真部が声を上げた。
「どうすれば! 我々はどうすれば認められるのですか!」
はいー? なに急に訴えてんだコラ。嫌味がそんなに利いたか? まあいいや。なんかテキトーに答えてやろう。
「うーん、とりあえず人の役に立つことしてみれば?」
カルテットはポカーンとした。うん、正しい反応だ。こんなこと小学生でも提案できるよな。ウハハ。
俺は軽いノリで階段を下り、まだ片膝ついてる長老の前にしゃがんだ。
「どうかしましたか? 具合でも悪いんですか? 早くお休みになられたほうが……」
「は?」
長老まで茫然としながら俺を見つめた。威厳に満ちた長老のそんな顔は珍しいんじゃないだろうか。ヒューマンの王宮がどこにあるのか知らないが、よっぽど疲れているのかも知れない。
その後どこかギクシャクした雰囲気の中、俺と長老とカルテットは礼拝堂に引っ込み、街の住人は解散した。長老は自室に、カルテットは客室に、俺は中庭にいる。さんざん寝たと思うんだが、まだ眠い。今日もまた芝生に寝転がって晴れ渡った空の下、目を閉じた。
***
「いつまで寝てる!」
俺の腕を軽く蹴って起こしたのはクレイだ。目を開けると夜の帳を下ろしている空が一周回転してクレイの顔が見えた。すがすがしく笑っている。
「飯だぜ? 勇者どもも来てっから豪華な食事だ。食いに行こう」
クレイの言うことは、いまいちピンとこなかった。食事はこれまで部屋に運ばれたものを一人で食っていたからだ。クレイの口ぶりだと、みんなで食卓囲むってイメージが浮かぶ。
「食いに行くって、どこに?」
「食堂だ。久しぶりだぜぇ。みんながそろって食卓囲むのは」
「みんなってことはティターニヤも?」
「おう」
俺は跳ね起きた。顔を見たいと思っていた。
食堂へ行くと、長老もティターニヤもカルテットも席に着いていた。なぜかシャーリーもいて、そのとなりにクレイが座った。
やっぱり二人は夫婦なのかな? クレイは礼拝堂の軟禁室あらため宿直室に寝泊まりしているようだから招かれるのは分かる。それにくっついてシャーリーがいるのは奥さんだからとしか考えられない。お似合いすぎる夫婦だなあ。
なんて思いながらボーッと突っ立っていると、真部が立ち上がって空いている上座のイスを引いた。
「こちらへどうぞ」
「え? そこ?」
首をかしげると長老が咳払いした。
「あなた様のお席です」
ああ、そうですか。
俺はうなだれそうになるのを堪えて上座の席に座った。そして家政婦さんがグラスにシャンパンのようなものを注ぎ終わると、シャーリーが言った。衝撃的な台詞だった。
「じゃあお父様、乾杯の音頭を」
で、長老が立ち上がり音頭をとった。
待て待て待て待てー! シャーリーのお父様が長老ってことは、シャーリーのお父様が長老ってことは、シャーリーのお父様が長老ってことはーっ!
毛細血管切れそうだ。えー? シャーリーってもしかしてティターニヤの姉さん? あるいはクレイが兄さんで義理の姉? どっち? いやどっちにしても面妖だ。これ以上考えると目がグルグル回りそうだから、あとでクレイに確認しよう。俺はまず桜井に聞きたいことがある。
「なあ桜井。 沢垣先輩に会ったか?」
桜井は目を向けてニッと笑った。
「ああ。カラオケすっぽかしたのは適当に言い訳しといたぜ」
「お、サンキュー」
「で、おまえはどういう理由で市役所前の道路を横断してたんだ?」
ゲフッ。そーれーはー聞ーくーな!
俺はギロッと桜井を睨んだ。だが桜井は対抗するように笑みをキープしている。くっそー、忌々しい。
「どこにいようと俺の勝手だ」
「おまえが消えたあと、俺たちは不自然さのない理由をひっさげて周囲に取り繕うため奔走した。そんなふうに言われるなんて理不尽だな」
「おまえたちが俺に対してそれ以上に理不尽だったことを忘れるんじゃない」
桜井沈黙。よっしゃ勝った。ざまあみろ。
俺はようやくフォークとナイフを手に取り、食事しにかかった。すると長老を始めとし、みんながそれぞれ食事を開始した。
お、おおお? もしかして俺が手えつけるの待ってた? すまーん。そんな作法があるなら教えといてくれよー。ああもう二度と上座に座りたくない。
***
で、なんとか無事に終わった食事会だが……ティターニヤはひと言もしゃべらず、チラッとも俺を見なかった。しくしく。しかもクレイによると、今日から夕食はこのような会食が続くらしいとのこと。地獄。
かたくなに無視するティターニヤの横顔が目に焼きついている。彼女はニセモノを警戒しているらしいが真偽はさておき、せめて普通の客人として見て欲しい。
いや、エレメンタルブレイカーという肩書きがなければ客人にすらなれないか。彼女にも逢わず、この世界へも来ることがない人生を歩んでいたはずだ。どちらが俺の望む人生だったかと問われれば、それは間違いなく地球で平和に暮らしている俺だ。なのに何故だろう。彼女と出逢って三日。ここに暮らして三日。たったの三日で俺は、ちょっと地球への未練が薄れていた。
メドが立たないせいもある。なにしろ自力だからな。いつになるのか見当がつかない。世話になる場所があるっていうのも要因だ。不安がないぶん必死さもなくなる。ティムとローザの家にいたときは毎日帰ることを考えていた。知らない土地で慣れない生活をしたせいだ。だが法の番人である保安官クレイ、フェアリーの長だという確たる地位の者、秩序が保たれている街……こういうものが身の回りにそろうと安堵してしまってダメだ。
そのうち帰れればいいだなんて思っている俺がいる。なんの努力もせず。
ああ。最近ずっと眠れていた俺なのに。夕食会なんて珍しいことしたもんだから目が冴えていけない。
俺は部屋を出て中庭へ行った。
行くんじゃなかったと後悔した。桜井がいたからだ。
「涼みに出て来たのか?」
と聞かれ、俺は苦々しく笑った。
「眠れない」
「昼寝のしすぎだろ」
「かもな」
俺はいつも寝転がる芝生の上に座った。すると桜井も並んで腰を下ろした。
「おまえは俺たちのこと足りないっていうけど、実際、これ以上どうしていいのか分からない。過去の英雄はそんなにも優秀だったのか?」
桜井の質問に、俺は首をかしげた。
「ん? 俺そんなこと言ったか?」
「今朝言ったばかりじゃないか」
「今朝あ? 言ってねーよ。嫌味は言ったけど、そこまで深い意味ねえし」
「はぐらかすな。悪い癖だぞ?」
「はぐらかしてない」
「だったら答えろ。俺たちではダメだ、不十分だと言った根拠を。おまえのせいで俺たちは大恥かいたんだからな」
俺はいっとき黙って桜井を見た。わからなかった。桜井の言っていること全部が。確かに普段から奴らを最低だと思っているが、公衆の面前でそこまでドきっぱり見下せるような度胸はない。
「記憶にございません」
しょうがないので、どっかの政治家みたいに言ってみた。案の定、桜井はキレた。
「あんまりバカにすると、いくらオマエでも殴るぞ」
うおー、ヤメロ! おまえ有段者だろ!
「わ、悪かった。でもマジで記憶にない。それ本当に俺が言ったのか?」
桜井は眉をしかめ、上げかけた手を引っ込めた。
「覚えてないのか?」
「ない」
そこへガサガサと植木をかき分けながら三銃士が現れた。
「今の話、本当ですか」
「盗み聞きなんて趣味が悪いぞ」
桜井の言葉に、佐藤が身なりを整えながら答えた。
「王子こそ、抜け駆けなんて感心しませんね」
「抜け駆けなくしてトイチの心は掴めない。俺がせっかく東京に出て平等な機会を与えてやったのに、生かせなかったのはどこのどいつだ」
「じゃあ私がこれからトイチ様をデートに誘ったりしても平等な機会とみなしてくれるの?」
里奈が突然とんでもないこと言った。いつも沈黙を保ってるのに珍しいな。でもデートは却下だ。俺がデートしたいのはティターニヤだから。
里奈は美少女だし勇者という以外、文句のつけどころはない。だが理想すぎてアイドルを見る感覚でしか見られない。憧れは憧れだ。恋とは違う。もっとも、彼女のほうこそ俺を恋愛対象として見るのなんかゴメンだろう。
その点、ティターニヤはモロ恋愛対象だ。見たとたんにギューッと抱きしめたくなる衝動にかられる。実際そんなことしたら良くて張り手、最悪グーパンチだろうけどな。
「女の武器を使うのは卑怯だろ」
佐藤が言うと、里奈はふくれた。
「歴代の英雄はみんな男じゃない。不利よ。ハンデちょうだい」
すると真部が人差し指を立ててニッコリ笑った。
「じゃあ一日交代で独占するというのは?」
「あ、ナイスアイデア! さすがリコー!」
リコーというのは真部のことだ。李幸ではなくリコー。佐藤はカイジ、里奈はリーナと呼ぶのが本当らしい。俺にはどうでもいいことだが。
しかしコイツら痛いな。事情を知らないヤツが聞いたら変な誤解をされないとも限らない台詞をバンバン吐きやがって。しかも俺の意見は無視かよ。勝手に話を進行するな。
「それにしても、今朝のことを覚えてないというのは問題ですね」
うわっ、急に話が戻った。真部め。記憶力のいいオマエが忘れたんなら問題だが、きっと俺のは問題じゃないぞ。もうその話は流そうぜ。めんどくせー。
しかし四人の視線が俺に集中。すまん。俺は無視しろ。勝手に話を進行してくれ。
俺はサッと視線をそらせた。が、桜井が強引に正面向かせた。
「秘宝石を封じてるんだ。なんか障害があっても不思議じゃないだろ。な、トイチ」
「え?」
「以前にも記憶が欠落したことが?」
「ね、ねえよ」
「今回が初めてか」
「そ、そうかもな」
そのまま睨みつけられること数秒。桜井は不敵に笑い、
「フン、そういうことか」
と言って立ち上がった。
「俺たちは本格的に試されてるってわけだ。いいだろう。明日から真面目に活動開始だ」
三銃士は眉をひそめた。
「活動?」
「人の役に立つことをする。つまりボランティア活動だ」
佐藤のクエスチョンに桜井が回答すると、真部が険しい顔で腕組みした。
「そんなことで認められるんですか?」
「しないよりはマシだ。少なくとも評価は下げない。トイチの言うことに従うんだ。エンブレムをもらいたいんだろ?」
三銃士は真面目な顔でゴクッと唾をのみ込んだ。桜井はふり返り、俺を見据えた。
「おっかないな、おまえは。そうまでしてフェアリーを守りたいと想う気持ちが分からないぜ」
いや、俺はおまえの言ってることが分からない。
「見ていろ。フェアリーなんかに負けない。必ず俺のことを認めさせてやる」
一方的で意味不明な決意表明を残し、桜井は去った。三銃士はしばらく戸惑った様子で俺の顔を見ていたが、やがて頭を深く下げて立ち去った。