幕間 保安官の休日〜クレイ・ソウル視点 その弐
トイチが異世界へ行っちまってから、四ヶ月は平和に過ぎた。時々、もうヤツは戻ってこねえんじゃねえかと不安になった。一緒にいたのは、ほんの数時間だ。エレメンタルブレイカーだと判断するには、ちょっとアレだ。だが勇者に目えつけられてて妖精の粉がつかねえってのがな……ほかには考えられねえ。ヤツに違えはねえんだ。
しかしティターニヤは首を縦に振らない。過去に特殊繊維でできた服を着て妖精の粉がつかないところを披露したニセモノがいたからだ。そんときゃ俺が疑って顔にぬりつけてやったんだがよ。でもトイチは、俺が買ってやったそこらへんの服とマントをつけてたんだ。疑う余地はねえ。
ああくそっ。皮膚につかないことも確かめておくんだったな。
そんなことを思っていた矢先。街の子供が、妖精の粉を触りまくってたトイチが指にまったく粉をつけてなかったって情報を持ってきてくれた。やった! もう間違いねえ!
俺はティターニヤのもとに、すっ飛んで行った。
「今度こそ本物だ。間違いねえ」
ティターニヤは困惑していた。
「やめて、クレイ。過剰に期待して、また違ったらどうするの? 私、これ以上はダメ。耐えられないの。怖いのよ」
「だけどよ、今度のは本当に……」
「ダメだったら! そうだとしても疑っていて、お願い。信じてしまって、最後の最後で間違いだったら? 私、もうなにも信じられなくなるわ」
重症だ。俺の手には負えねえ。早く野郎が戻ってきて、イチの値の四大元素でも精製してくれりゃあ万事解決なんだが。ああ、なにしてやがんだトイチ。おまえがさっさと英雄を決めてココにいてくれなけりゃ、ティターニヤは——
俺の願いが届いたのかどうかは分からねえ。それから間もなくしてトイチが戻ってきた。といっても、そうとう辺境にある村へだ。「ヒューマンを保護したから身柄を送検したい」と言われた時にゃ「非番だから断る」と答えるつもりだったが、書面に〝カワナミ〟って文字を見た時にゃあ飛びついた。
とはいえ、身柄を預かりにドルーバを飛ばした道中。心配だった。
「なぜヤツは〝トイチ〟と名乗らない」
俺には理解できなかった。
「まだ警戒してんのか? だが辺境の村で隠すのは危険だぜ。命がいくつあっても足りねえ。互いにな。フェアリーを想うなら名を明かせ、トイチ。俺たちに罪を犯させるな。俺たちを傷つけるな。それともオマエは、それを望んでんのか」
いつのまにか、そう叫んでいた。
***
ようやく駆けつけた時にゃ不安が的中してやがって、肝を冷やした。だがヤツは結構のんきに笑って「水が飲みたい」だとよ。余裕だぜ。フェアリーの兄妹とも仲良くやっていたみたいだ。さすがだと言わざるを得ない。しかも、
「発つ前にティムとローザにお礼をしたいんですけど、どうしたらいいですか?」
なんて言いやがる。しおらしいじゃねえか。柄にもなく胸が熱くなったぜ。ヒューマン全員がオマエみたいだったら、こんな憎しみも抱かなくてすんだのによ。うまくいかねえもんだな。
「あいつらには俺からやっとくよ」
とは言ったものの、いざ謝礼金を渡すってえ時だ。ティムとローザが思いっきり首を横に振って拒みやがった。
「謝礼なんてとんでもない! いただけません!」
「けどよ、ヤツが世話になったから何か礼がしたいって言うしよ」
「ええっ!? だってオレ、エレメンタルブレイカーだなんて思わないから、いきなり後ろから頭殴ったし」
「ぶっ! な、殴ったあ?」
「そ、そのうえコキ使ったし、食事だって、その、畑のもの……を、食べさせたし」
俺は目を見開いてティムとローザを凝視し、唖然とした。
「は、畑のもんって、パンプキンじゃねえか。あんなもの食わせたのか?」
「だ、だってオレたち、二人食ってくのがやっとだし、そのこと話したら、全然それで構わないって言ってくれて……つい。言葉に甘えちゃって申し訳ありませんでした」
ティムとローザはそろって深く頭を下げた。俺は開いた口が塞がらなかった。
信じられねえ。こりゃ想像以上に——
俺はドルーバの前で待つトイチのもとに急いだ。
「謝礼はいらねえんだとよ」
わざと理由を告げずに言ってやると、トイチは困惑した。
「えー? 弱ったなあ……やっぱクレイからっていうのが良くなかったのかなあ。うん、きっとそうだ。すみません。いくら手持ちがないからって、それはどう考えても誠意がありませんでした。断られて当然です。そのうちどうにかして自分でします」
自己完結しやがった。かなりズレたところでだ。俺は頭が痛くなって、こめかみを押さえた。
「おまえ、そりゃ本気か?」
「は?」
「アイツらには頭殴られたり、家畜のエサ食わされたりしたんだろ」
「ワハハ、それはしょうがないですよ」
「な、なにがしょうがねえんだ?」
「ヒューマンを見たら殴りたくなるっていう気持ちは理解できるし、突然やって来てタダ飯は食えません」
「——!」
笑顔でサラッと言いやがって。身分を明かしゃあ、いくらでも上等な扱い受けれたはずだ。それをしなかったのはティムとローザのためだ。そうだろ? 素直にそう言いやがれ。子供二人に負担はかけられねえ。まして殴られてる。そんなことが周囲に知れたらティムはブタ箱行きだ。
ヤツはティムが罪を逃れられる機会をうかがってたんだ。身分を隠してりゃ近郊の大人たちがやってくる。ヒューマンの命を狙いに。そこへ俺が登場すりゃ、どうだ。未遂ってことで村人は厳重注意ですむうえに、ティムのこともうやむやになる。大人たちがこぞって犯しそうになった間違いを、子供がやっても責められねえ。ティムの正当性が証明されるってわけだ。
ヤツはフェアリーを想えばこそ名を明かさなかった。罪を犯させず、傷つけなかった。完敗だぜ。器デカすぎんだろ。
「それじゃあ、行くか」
俺は動揺を見せまいと、背を向けて自分のドルーバに股がった。トイチもならってドルーバに股がり出発した。中継の宿屋に着くまで、俺はふり返ることができなかった。トイチの顔をまともに見られなかった。
伝説なんてのは美化されてるもんだと思っていた。フェアリーを愛しているヒューマンなんているわけねえ。ヤツはヤツなりの野望があってフェアリーを救ったんだと、どこかで疑っていた。エンブレムによる束縛がある以上、全面的にエレメンタルブレイカーを信用するわけにはいかねえ。それが俺の信念だった。
だが覆されそうだ。今トイチの顔を見たら、完全に覆される。エレメンタルブレイカーは伝説以上にスゲエ野郎だってよ……
***
俺はトイチを迎えに行く前に、義父とティターニヤを説得していた。こっちの事情を話すのはまだ早いが、顔合わせくらいはしておいたほうがいいと思ったからだ。だがティターニヤは心を閉ざしちまってるし、義父はそんなティターニヤを心配して反対している。会っておく価値は絶対にあるんだが。
俺は仕方なくシャーリーに相談した。彼女のほうは乗り気だった。さすが俺のカミさんだ。俺はシャーリーを連れてティターニヤの部屋を訪ねた。礼拝堂裏にひっそりとたたずむ屋敷の一室。薔薇の温室に続いている部屋で散歩もできるが、だからって毎日そんなところに閉じこもっているのは感心しねえ。これは表に引っ張り出すいい機会だ。
「会ってみなさいよ、例のトイチってやつに」
両手を腰にあてながら、シャーリーは言った。イスに座っているティターニヤは怪訝そうにシャーリーを見た。
「お姉様ったら、またそんな下着みたいな服を着て」
「水着よ。私の管轄区域は暑いの。これならいつでもシャワーを浴びれるし、川でも泉でも泳げるでしょ?」
「だからって……上になにか羽織ったら?」
「マントがあるわ」
「そんなの背中しか隠れないじゃない。意味ないわ」
「ウルサイわね。私の勝手じゃない。それより会うの? 会わないの?」
「会わない」
「強情ね」
シャーリーは肩をすくめ、俺に向いた。
「ターニャは無理。お父様を説得しましょ」
「おいおい、ちったあネバれよ」
「あのね、この子は一度イヤと言ったら最後まで譲らないのよ」
シャーリーは言って、さっさと温室を出た。俺はその背を見送ってティターニヤに言った。
「なあ、ヤツは礼拝堂の階段に堂々と腰かけて、なんともなかったんだぜ? しかも妖精の粉を触って遊んでやがったんだ。その指にも粉はついてなかったってんだから間違いないって」
「クレイ、それは直接あなたが確かめたことなの?」
「え? あ、いや。俺は階段に座ってたヤツのことしか見てねえけどよ」
「じゃあダメよ」
「街の連中が嘘ついてるっていうのか?」
「そうは言ってないわ。でもダメ。妖精の粉くらいじゃ証明できないわ。ただ単に欲のないヒューマンだったのかも知れないじゃない」
「欲のないヤツなんかいねえ。それがフェアリーでもよ。俺だってシャーリーだって……長老だって妖精の粉には酔う。ヒューマンにそんな特殊なヤツがいるなら、そりゃどう考えたってエレメンタルブレイカーじゃねえか」
俺が言い切るとティターニヤはうつむき、膝の上で指をいじった。
「彼がイチの値の四大元素を私の目の前で精製するまでは、信じない」
分からず屋のティターニヤは放って、俺はシャーリーを追いかけた。ちょうど義父の部屋から出てきたシャーリーは、俺を見てニッと笑った。勝利の女神の微笑みだ。
「あなたが連れ帰ってくる頃に、お父様が不在でいればいいんだわ。そうすれば否が応でもあの子が出迎えなきゃならない。お父様は承知したわ」
我ながらホントいい嫁さんをもらったと思う。このカワナミ・トイチってやつも絶対にエレメンタルブレイカーだ。こりゃティターニヤと対面させる日が楽しみだ。
***
なんて思っていたが……ティターニヤの態度が異常に良くねえ。むりやり矢面に立たせたのは悪かったけどよ、そりゃねえだろ。テンション上げてたトイチも萎縮しちまったじゃねえか。本気でエレメンタルブレイカーに助けてもらおうって気があんのかオイ。
トイチはトイチで偽エレメンタルブレイカー宣言しやがるし、なんなんだテメエらは。
俺はなんだか恨めしくなってチラッとトイチの顔を見た。するとトイチが軽く視線を返した。その目にゾッとした。紅く光る瞳に秘宝石の力を感じたからだ。コイツは確かに持っている。エンブレムに埋め込んだあの秘宝石を、体内に封じていやがるんだ。
それでもエレメンタルブレイカーじゃねえって言い張る理由はなんだ? 勇者に会いたくないってえことと関係してんのか? 英雄を選べないのか?
いや、エンブレムを渡す気がねえんだ。それはつまり……ヤツはひょっとしたら——
俺は背筋を伸ばして咳払いした。
「とにかく勇者を避け続けることはできない。そりゃ分かってんだろ?」
トイチは憂いを帯びた表情でゆっくりうなずいた。