オール・バイ・マイセルフ その壱
いったい誰がこんなことになると予想しただろう。しなかったのは俺だけか。教習所に通おうとする第一日目から玄関先にカルテット。どうやら「お迎え」というやつらしいが、いいかげんにしてもらいたい。
母は朝からテンション高めだ。もうすっかり乙女に戻ってキャーキャー言っている。
「まあ! どうぞお上がりになって! お茶でもいかが?」
そんなことを口走りながら、俺の腕をこっそり突ついた。
「なーに? いつのまにお友達になったの? ちっとも母さんに言わないんだから。あんたも隅に置けないわね!」
ふっ、隅に置けないのはアンタだ母さん。息子と同い年の男どもに色目使わないでくれ。ま、一人は女の子だけど。
俺は無言で靴をはき、一人でさっさと玄関を出ようとした。その俺を、母が慌てて呼び止めた。
「あ、斗一! これこれ!」
ふり向くと、母の手に長形四号の茶封筒がヒラヒラしていた。
「なんだよ」
「住民票。入校手続きにいるって言ってたじゃない」
「あ、そっか」
「落とさないでよね。それだって三百円よ」
「セコイ!」
俺は封筒を肩かけ鞄にしまい、「行ってきます」と言って玄関を開けようとノブに手を伸ばした。だが真部に先を越された。彼はスマートにドアを開け、「どうぞ」と笑顔。おまえは銃士より執事向きだな、真部。
その後カルテットは母に向かって「では息子さんをお預かりします」と頭を下げ、当然のようにして俺とともに教習所へ向かったのだった。
***
教習所へ向かう道中。カルテットが後ろからゾロゾロついてくるのを疎ましく思いながらも、俺はふと住民票が気になった。正確に言えば住民票より情報量のある戸籍謄本が気になったのだ。
めったに必要としないから見たことはないのだが、あっちは出生した場所や両親との続柄が明確に記載されているはずだ。それなら自分や両親の謄本を取って祖父母くらいからの家系を明らかにすれば、俺が間違いなく地球人だと証明されるんじゃないだろうか……なんて。
地球人の身体を介して転生したとか言われたらおしまいだが、してみる価値はある。というのも、桜井の妹が精霊界のヒューマンだと判明しているからだ。ヤツが後を継がなきゃ妹が継ぐってことは、そうだ。なら、こっちに来ている両親もおそらく精霊界のヒューマンだろう。三銃士の家族構成については謎だが、奴らの両親だって十中八九、精霊界のヒューマンだと思う。だったら俺の両親が精霊界のヒューマンじゃないと証明すればいいんだ。そうすりゃ俺も自動的に地球人。エレメンタルブレイカーじゃないと証明できる。
もっとも、あいつらが地球で生活するにあたって、そのへんの身分証明をどうやっているのか不明だが——戸籍制度のない国から日本国籍取れば、どうにかならないこともない。
よっしゃ、解決の糸口が見えてきたぞ。
つか桜井。おまえんち王家だろ。城開けっ放しでいいのかよ。
ごちゃごちゃ考えている間に教習所に着いた。中へ入ると、入校手続きで並んでいた列がサーッと開いて道を作った。*モーゼ!
「おや、まだ誰も並んでいませんでしたね。運の良いことで。さっそく手続きしてしまいましょう」
さわやかに言ってのけたのは真部だ。俺は虫酸が走るような思いでふり返った。
「それ本気で言ってんのか。俺、割り込む趣味はねえんだけど」
「割り込みだなんて人聞きの悪い。みなさん快く譲ってくださったんですよ」
真部の笑顔は詐欺師のようだ。俺はウンザリした。
「やっぱ並んでたのは見てたんじゃねえか」
「細かいことは言いっこなしです。さあ、手続きを」
「……わかったよ」
出だしがコレだから、すでに察しはついていたが、教習所でのVIP待遇は凄まじかった。この調子だと、どこ行ってもこんなんだろう。気分がいいのか悪いのか。俺はとにかく普通のことを望んでいたから、カルテットの差し金による異常待遇は眉間にしわ寄せものだった。
こんな俺にへりくだってまでカルテットに良く思われたいか、街人よ。俺もそんな時期があったから理解できないこともないが、本性を見たあとなので納得がいかない。
どっかの皇太子でも迎え入れるような調子の入校案内やら何やらが終わったのは、十二時ジャストだ。肩が凝った。特別に用意されたらしい教習所内の食堂の席で、俺は向かい合うカルテットを順に眺め、首をかしげた。
「どうしてこの街の住人は、おまえ達なんかをもてはやすんだろう」
その席はセパレータで区切られている。座っているのは背もたれがあるダイニング用のイス。テーブルも木製で光沢がある。不自然なくらい新品だ。カルテットが事前に連絡して用意させたに違いない。そんな威力を行使できることが、俺には信じられないのだ。
カルテットは視線を交わしあい、皮肉げに笑った。
「勇者は英雄に選ばれるだけの素質を持ちます。英雄には民を惹き付ける魅力が備わるものです。そこから放たれるオーラによって、民は自然と憧れ従うのです。地球人は精霊界の者よりオーラの影響を受けやすいようです」
説明をくれたのは佐藤だ。俺は唸って腕を組んだ。
確かにコイツらが放つ存在感は半端じゃないが、精霊界が考える勇者像に大きな不信感が募る。地球人が想像するソレとは違うんだろうか。
俺が頭を悩ませていると、桜井が口をはさんだ。
「おまえはちっとも影響されないよな」
このひと言は、だいぶ意味深だった。俺がキョトンとして桜井を見ると、やつはニヤリと笑った。
「左右されないのはエレメンタルブレイカーだけ。これは常識だぜ?」
ぐおー! なんだそれ! 俺がエレメンタルブレイカーだと疑える理由がそんなところにもあったのか! くそっ。最初に言っとけS王子! 俺だって昔はちょっと憧れていたんだ。そうと知っていれば、その旨を伝えまくったのに。いまさら言ったって信じてもらえねえじゃねえか!
俺は頭皮に大量の汗をかきつつ必死に言い訳を探した。
「……い、いくら影響されやすいっつっても、本性見れば誰だって熱冷めるって」
だが桜井はまたも不敵に笑んだ。
「普通はどんな醜態をみせても美化される。勇者や英雄の特権だ。それが通用しないなんて、エレメンタルブレイカーだと言っているのも同然のことだぜ」
俺は大きく目を見開いて桜井を見た。人生で初めて「ギャフン」と言ったかも知れない。
桜井はテーブルに腕をついて身を乗り出した。
「いいかげん白状しろ」
なるほど。ここはちょっと見てくれのいい取り調べ室だったんだな。じゃあセパレータで区切らないとな。あとは音声変えれば完璧だ——て、冗談じゃない!
俺は頬を引きつらせながら無理に笑顔を作った。
「腹へったな。注文したやつ、まだかな?」
強引なそらし方だったが、カルテットは慌てて席を立った。そしてまもなくトレーに載せたランチを持って戻った。
「申し訳ありません。気がつきませんで」
真部が俺の分を目の前に置いて謝った。ほか三名は自分らの分を手際よくテーブルに置いていった。
「冷めないうちに、いただきましょう」
佐藤が言って、みな席についた。俺はうなずき、黙々と食べた。
それにしても英雄オーラパワーときたか。都合のいい力だなあ、おい。どんなことしてもカッコ良く映るなんて、ふざけてる。どうせなら俺もそっちのがいいぜ。ライバルというには雲泥の差があるが、ハタからみてカッコ良けりゃ負け犬でもいいさ。
食事が終わると、また真部が素早く動いて食器類を下げてくれた。俺の世話をやく姿すらサマになっているのは、心底〝執事〟向きなのか、やっぱり英雄オーラの力なのか。
俺はイスから立ち上がり、セパレータで区切られた空間から出た。そこで携帯からメール着信音が聞こえたので、取り出して見た。先輩の沢垣からだ。
〝これから井上たちとカラオケ行くけど、来るか? 来るんなら、いつものところだからヨロシク〟
俺は急いで返信した。そしてカルテットに言った。
「俺、これから先輩と会うから、ついてくんなよ」
「そんな。我々もお伴します。決してお邪魔はいたしませんから」
いやいや。おまえたちは「いる」だけで邪魔だっつーの。わかってねえな。
「ついて来たりしたら今後いっさい口利かないぞ」
無性に腹が立って言い捨てると、さすがに四人とも沈黙した。俺は有無を言わせない勢いで踵を返し、教習所をあとにした。
***
教習所を出た足で俺が向かったのはカラオケルームじゃない。市役所だ。自分の戸籍謄本を取りに行ったのだ。もちろんカラオケへは行くつもりだが、思い立ったら吉日である。これ以上カルテットに縛られていてはいけない。こんなことが日常茶飯事では、いざって時に普通の生活に戻れなくなる。一刻も早く「俺はエレメンタルブレイカーじゃない」と突きつけられる証拠が必要だ。
そうとも。この時の俺はただ、平凡で自由な青春を満喫したい一心で、紙切れ一枚にすがっていた。それなのに……
戸籍謄本と睨めっこしながら市役所を出た俺は、確実に青ざめていたと思う。紙面にありえない文字が踊っていたためだ。
『養子縁組日』平成○年□月△日
『養父・河波正』
『養母・河波良子』
ちょっと待ってくれ。誰でもいいから「これは何かの間違いだ」と言ってくれ。俺が証明したかったのは、こんなことじゃない。
紙を持つ手が震えた。体中の血が沸騰して顔が熱いし、もう泣きたい。
生まれてこのかた一度も実の親と信じて疑わなかったあの両親が養父母だったなんて、本当にありえないことだ。足元にある確かなものが音を立てて崩れていくような錯覚——めまいを覚える。
俺は「誰」なんだ。
そんな疑惑が胸の奥底から沸き上がった。
俺は書類を鞄へ乱暴に突っ込んで、道路を渡ろうとした。あまりにショックで、周りは見えていなかった。
次の瞬間、耳元で響くブレーキ音にハッとした。トラックの正面が見えた。そして暗転。
*訳注『モーゼ』……エジプトのファラオに紅海まで追いつめられたヘブライ人を救済するため、杖をかざして海の水を割り、道を作ったという伝説で有名な、旧約聖書の登場人物。