春休みは危険の幕開け その壱
「地味だけど、それなりにはイケてるんじゃない?」と言ってくれるのは母親だけ。彼女いない暦=年の数という、なんの取り柄もない男、河波斗一とは俺のことだ。
平均的な顔立ちで身長一七八センチ。運動神経は並。成績は真ん中ぐらいで、人からの印象は特にない。父親は中小企業サラリーマン。母親はパートタイマー。兄弟はいない。資格もない。貯金は二万五千円。
このたび、平凡な高校生から平凡な大学生へと転身を遂げるわけだが、それがどうした。極めて何事もない春休みだ。現在住んでいるところは都会ではないが、それほど田舎でもない市で、よくある街だ。そして平凡な俺には、非凡に片足突っ込んだ友人がいる。桜井享だ。
美形で、身長は一八〇センチ。運動神経抜群で成績も上位。人からの印象はカッコイイ&王子様だ。父親が社長で母親は専業主婦。兄弟はカワイイ妹が一人いる。資格は十個くらい持っているそうで、貯金までは知らないが金回りはいい。
桜井とは高校で知り合った。俺のような人間とつるもうというのだから、かなりの変わり者である。おのれを引き立てるためだとしても変人だ。なぜそう思うかについては後ほど語るとして。
やつはノートを貸してくれたり昼飯をおごってくれたりと、なかなか役に立つ男だった。しかも「週末には女の子とカラオケ」なんていう特典までついてくるので、右に並ぶ者はない友達といえる。
***
「おまえ、大学どこ行くの?」
急に思い出したように桜井から質問された。卒業式の日の午後である。卒業証書を片手に、うららかな日差しの中、校庭を歩いていた時のことだ。
「地元に決まってんだろ」
と俺は答える。「知らなかったのかよ」と思ったが、俺もヤツの行き先を知らないことに気づいた。意外と話題にのぼらなかったんだな。
「そういうオマエはどこだよ」
「T大」
「T大!?」
反復したものの、俺は一瞬だけ理解できずにポカンとした。T大といえば日本を代表すると言っても過言じゃない某有名大学だ。
「え? ひょっとして合格した?」
「あたりまえだろ」
なにが、あたりまえなものかよ。しかし……T大か。
「そっかあ、上京するんだな」
思わずしんみりしてしまった。そのせいか桜井もしんみりとなった。
「逢えなくなるけど、ずっと友達でいてくれよな」
「ゴホッ……」
青春ドラマや少年向けアニメなどで、よく吐かれる台詞だ。テレビではジーンとくるのだが、現実で言われると恥ずかしさいっぱいになるのは、なぜだろう。
きっと前置きに熱い友情エピソードがないせいだな。ここで「なに言ってんだよ! 俺とおまえは死ぬまで友達さ!」とは返せない。唐突に盛り上がりすぎだし、クサすぎる。
「よくそんな台詞吐けるな」
「そう言うなって。考えてみたら俺、おまえしか友達いないんだ」
「はは、まさか」
「ホント。ガールフレンドはいっぱいいるけどな」
なんだそれ。充分じゃねえか。野郎フレンドなんか、ちょっといりゃいいんだよ。
「あのさ」
「あ?」
「これ、住所とケータイ番号。ケータイ新しいのに変えるんだ。メアドも変わるから、よろしく」
メモ用紙を渡された。
「おいおい。俺のは変わらないんだから、後でケータイのほうに送れよ」
「ああ、ゴメン。紙に書くほうが慣れてるもんで」
「は?」
そこで突然、女子団に前方をふさがれた。門前一メートル手前。ざっと数えて九人ほどいる。
「桜井くーん! いまから打ち上げするんだけど、一緒に行かない?」
「きゃあ、言っちゃった!」
「キャーキャー」
「キャーキャー」
キャーキャーうるせえよ女子! 俺も誘え!
そんなことを思っていると、桜井がチラッと俺の顔色をうかがった。
「斗一も一緒でいいなら」
ナイスフォローだ、桜井。あとは女子が嫌な顔をしませんようにと祈るだけ。まあ、たいていはOKだろう。さきほどの台詞から乙女たちは「桜井君は斗一が一緒でないなら行かない」と解釈したはず。これでいつも八割がた同行していた俺だ。いまさら却下はないだろう。
案の定、返事はこう返ってきた。
「い〜よ〜! もっちろーん!」
やった! それみろ! ……あ、でも金がない。
心配する俺をよそに、桜井はひょうひょうとしている。「さては持ってるな。あとで必ず返すから貸してくれ」と相談しようとした俺の気持ちもなおざりに、このあと桜井が吐いた台詞で、俺は心底冷えた。
「そっちが誘ったんだから、オゴリだよな?」
ぎえ〜っ、割り勘だろ! 割り勘! それともアメリカンなのか!? いくらおまえでも、それはブーイングだろ!
ところが女子団は、キャピキャピしながら盛り上がった。
「あたりまえじゃーん! つきあってくれるなら私たちが出すよ〜」
桜井、おまえは神か。俺が言ったら絶対に袋叩きだぞ。「けっ、誘ってやってんじゃんよ!」と言い返されること請け合いだ。
唖然としていると、桜井が俺の腕をつかんで引っ張った。
「ラッキーだったな。行こうぜ?」
男から見ても、さわやか好青年。
桜井よ、女友達がこれだけいれば、男友達はいらんぜよ。
***
そんな桜井も、春休み突入とともに上京した。今は部屋を片付けるので忙しいらしく、電話もメールもない。いや、一回だけ電話があった。周囲の喧噪? が受話器に入るので聞いてみれば、「女の子達が荷物開けるの手伝いに来てくれた」とのこと。
おいおい、もう女子に囲まれてるのかよ。
俺はバカらしくなって電話を切った。
「ヒマだなあ〜。歩いてくっか」
というわけで、近所をブラついた。住宅が並ぶ通りを大通りに向かってまっすぐだ。大通りへ出ると道路をはさんだ向こうにコンビニがある。自販機でジュースでも買って飲むか、とジーンズのポケットを探る。百五十円。
よっしゃ、買える。
小学生のように百五十円を握り締め、信号が変わるのを待っていると、なんか見たことのある三人組がコンビニから出てきた。
佐藤海地、真部李幸、坂本里奈。
佐藤と真部は男で、里奈は女だ。幼稚園から中学校まで一緒だったが、それほど接点はない。なにしろこのトリオは最強。子供の頃から目立ちまくっていた。つまり俺とは正反対の人種だ。
佐藤は身長一八三センチのスポーツマンで、ごっついハンサム。真部は理数系のクールビューティー。里奈は超美少女。性格もハナマルで、強く優しく、たくましく、品のある連中である。幼少のみぎりからその傾向があり、「住む世界が違う」とみんなにもてはやされ、芸能人でもないのに芸能人あつかいだ。今も周囲の視線を集めキラキラとオーラを放っている。
同じ土地で生まれ育ったとは思えん。
俺はうなだれつつ、青信号に変わったのを機に横断歩道を渡った。キラキラなヤツらともすれ違ったが、もちろん俺には目もくれない。華やかに、さわやかに微笑みながら、春の日差しの中を歩いて過ぎる。俺は極力、連中を見ないようにした。
注目なんかしてやるか。おまえたちに興味なんかない——
ミジンコ並みの意地だった。本音は違う。興味津々だ。特に里奈とは話くらいしてみたい。あんな美少女はテレビにだって、そうそう出てくるもんじゃないからだ。
生まれつき色素が薄いらしく、肌は真っ白で、長い髪は茶色。瞳も薄い茶色だ。まつげは自然に長くてカールしている。ピンク色の唇に、ぱっちり二重。背は一六〇センチと理想的なサイズ。手足の長さも充分で、華奢なのに胸はある。
まったくよく創られている。傑作だ。高嶺の花どころか天上の人だ。だからこそ優秀な男児が二人も付いてガードしているのだ。俺はそう思う。そう思って来た。この十八年。
なんにしても気分がヘコんだ。せっかくジュース一本買える奇跡が台無しである。おかげで思い出したくないことまで思い出した。